既に公開済みのフィクですが、blogに出した方が読んでもらいやすいというアドバイスをいただいたので、連載形式で出してみます。
初めての方は先に、
- 迷宮にて (1)
- 合掌
- 超金属の元ネタはこれか(初代7話)
- 実写版ガッチャマン
- チャット復活しました
- 業務連絡
- 別の意味でもジョーすごいかも(初代 101話)
- 元ネタはMJ?
- 実写映画化ですと
- 小学2年生2月号
- 小学1年生12月号
●PHASE 6 工業団地跡
タクシーを拾って駆けつけた隣の市の工業団地跡は静まり返っていた。一区画が塀で囲まれ、塀の上には鉄条網が設置されていた。ゲートは施錠され、ISOのロゴ入りの「危険、立ち入り禁止」の看板が出ていた。
南部は、借りてきた鍵で錠を開けて、中に入った。
五キロ四方はある敷地は広々としていた。五年前に閉鎖したとき、敷地内の建物の無い部分に産業廃棄物が投棄されており、その影響で、植物は枯れ果てていた。気温は氷点下で、水たまりは凍り付いていたが、廃棄物の油と溶液が混じった液が滲みだした部分は、凍らずに液体のままだった。体重をかけると、底なし沼のように地面が沈み、足がめり込みそうになった。南部は慌てて後ろに下がった。
「土壌も随分傷んでいるな……。まるで死の世界だ」
生き物が死に絶えた土地の向こうに、今は廃墟となった工場が並んでいた。
汚染された化学物質が拡がらないように敷地の境界を地下まで封鎖するための工事は終わっているはずだった。その後、ISOの技術で汚染除去を行う計画はあったが、そちらはほとんど進んでいない。
南部は、凍っているところを選んで歩きながら、工場の建物へと向かった。懐中電灯は持ってきていたが、日没までに一通り様子を確認しておきたかった。
資料室で確認した工場の配置図を思い出しながら、南部は、工場の建物入り口を順番に確認していった。ガラスの一部が割れているところもあったが、ほとんどは施錠されたままで、最近、誰かが鍵を開けた様子もなかった。広い建物をいくつも過ぎて、南部は立ち止まった。右手に、三階建ての管理棟が見えた。南部は、借りた鍵で中に入った。
手前の部屋二つはモニターが並んでいて、奥の部屋と上の階にはコンソール付きのディスプレイが並んでいた。工場が稼働していた時は、警備員や技術者が詰めて、事故が起きないか監視していた部屋である。長く使われていなかったらしいモニターは全体に汚れ、コンソールの上にも埃が積もっていた。南部は、ブレーカーを入れた後、電源スイッチを片っ端から入れてみた。しかし、全く反応が無かった。
「監視設備は完全に止まっているということか。いや、送電が止まっているのか」
誰かが、南部が此処に来るように仕向けたのなら、その人物はどこかで南部の様子を見ているはずである。監視という目的に最も合っているのは旧モニター設備だろう、と考えたのだが、どうやら外れたらしい。南部は建物の外に出て、周囲を見渡した。
ここまで来る間に、前を通った建物は、全体の五分の一にも満たない。一応、様子は窺ってみたとはいえ、外から、出入り口の部分を簡単に確認しただけである。中で何かが起きているのなら、本来の出入り口以外に入れそうなところが無いかまで確かめた上で、建物内部も見て回る必要がある。その作業を一人でやっていたのでは、明日の朝になっても終わりそうにない。
チョコレートを贈って南部の注意をこの場所に向けさせて、最後にパンドラ博士の写真を送ってきたということは、五年前にパンドラ博士が活動していた場所に誘っていると考えるべきだろう。この工業団地の閉鎖の件以外で、南部とパンドラが一緒に仕事をしたことは無かったのだから、他の可能性は捨てても、間違えることはないだろう。
「パンドラ博士は確かあの時……」
南部は必死で記憶を探った。ライデン博士の妹に接触したパンドラ博士は、この工場内のどこかの建物の休憩室に、妹と一緒に居たはずだった。確か、簡単な流しやコンロのある部屋だった。別の場所から潜入して証拠を押さえた南部は、外で待っていた国連軍と警察に突入を命じた後、パンドラ博士の身の安全を確保するために休憩室に向かって……。
突然、南部は全てを思い出した。パンドラ博士とその妹は、一緒になってチョコレートを作っていた。その時に使っていた型が、この十日間、南部に贈られてきたチョコレートを作ったものと同じだった。ホワイトチョコレートで文字を先に埋め、ハート型の部分に普通のチョコレートを流しこむ手順で作っていた。それを渡すつもりだった相手は……
——兄の仕事の関係で時々会う南部博士が独身だって聞いて、興味を持ったみたいよ
パンドラはそう言っていた。
「何てことだ……」
南部は呻いた。五年前は、有無を言わさぬ証拠を押さえることと、突入に際して怪我人を出さないようにすることだけで精一杯だった。工場の警備員は武装していた上、ヤクザまがいの荒っぽい連中も用心棒代わりに雇われていたから、警官隊と銃撃戦になる可能性もあったのだ。
南部の指揮で、無事に工場を制圧した後は、今度は法律家を動員してのマンパワーまかせの事務処理作業に追われた。南部には、バレンタインデーのこともチョコレートのことも頭になかった。だが、妹の側からすれば、気を許して恋心を語ったパンドラ博士は謂わば敵のスパイであり、手作りのチョコレートを渡してデートに誘おうとした南部は警官と軍を引き連れて兄を拘束した張本人ということになる。
「任務とはいえ、恨まれたか……」
南部は溜息をついたが、同時に怒りを覚え始めていた。
「こんな面倒なことをせずに、恨み言なら直接言いに来ればいいのだ」
プラントのある建物をいくつか通り過ぎたその奥に、従業員もやたらに立ち入れないことになっていた建物があるはずだった。南部は、かつて、パンドラ博士の身を案じながら自らが突入した建物の前で足を止めた。外から見た限りでは、建物の中に人のいる気配はなかった。南部は、入り口のドアノブに手を掛けた。鍵はかかっていなかった。コートの裾を翻して、南部は中へと進んだ。南部の歩く音だけが、建物の中に響いた。
原料となる試薬を保存し、製造ラインに送り込むためのタンクはそのままになっていたが、そのうちのいくつかは錆びて穴が空き、中身が床にこぼれ、床を腐食させていた。南部は、建物の中央で立ち止まって声を上げた。
「誰か居たら返事をしろ! ライデン博士! ここに居るんじゃないのか? 誘い出されて来たぞ。南部だ」
南部の叫びが反響した。返事はない。代わりに、下の方で何かがぶつかる音がした。確か、五年前もパンドラ博士は地階に居たはずだ。南部は、工場の中央付近にある階段に向かった。鉄製の階段は相当錆びており、体重をかけるとそれだけで崩れそうに見えた。
「誰か居るのか!」
南部は叫んで、返事を待った。下からは小さなうめき声が聞こえた。南部は、階段の細い手すりにつかまって下を覗いた。スーツ姿のパンドラ博士が手足を縛られ、口に何かを詰められたまま、南部に向かって必死に首を振っていた。
「今助ける」
南部は、階段を降り始めた。その瞬間、爆発が起きた。崩れかけた階段ごと南部は一階から切り離された。時間差で工場の上部で爆発が起き、配管などを支えていた支柱がはずれ、地階の床に倒れた南部の上に一斉に落下してきた。そのうちの一本が南部の左胸を直撃した。
南部は直ぐには起き上がれなかった。息がつまり、目の前が暗くなった。痛みは不思議と感じなかったが、体に力が入らない。両手両足の指に神経を集中すると、感覚はあった。致命的な怪我をしたわけではなさそうだ。
南部は、足で床を押し、パンドラが居た方に体をずらした。左手を動かそうとすると胸に激痛を感じた。右手と足だけでパンドラの所までどうにか這っていき、パンドラの口を塞いでいた布を外した。
「無事か」
「それはこっちの台詞です」
即座に言い返されて、南部は苦笑した。
「……大丈夫そうだな」
南部は、右手だけでパンドラの手足を縛っていた紐を外した。パンドラは、ポケットからハンカチを取り出して、床に倒れたままの南部の顔を拭った。
「ん? 何だ?」
「顔色が真っ青だし、ひどい冷や汗ですよ」
「そうか……。さっきの爆発の後、胸を直撃されて左の肋骨を二三本折ったかもしれない。痛みが酷くて左腕を動かせない。とにかく此処を出よう」
南部は、壁にすがって立ち上がった。地下に降りる階段はさっきの爆発で破壊されていた。他に上に上がる階段はない。
「階段は一つだけか」
「そのようです。五年前から……。南部博士、怪我をなさっているのなら、動き回らずに救助を待たれた方がよろしいのでは」
「残念だがその余裕はなさそうだな」
工場一階に設置された濃硫酸のタンクから下に向かって配管が伸びていた。地階に設置されたバルブの部分に亀裂が入り、地階の床に硫酸が流れ落ちていた。どうやら、梯子や設備の一部だけをきっちり破壊するように爆薬が設置されていたらしかった。起爆スイッチは、階段にあったのだろう。
「タンクにどれだけ残っているかは知らんが、一晩もここに居たら硫酸のプールに浸かることになる。工場を停止させた時、危険な試薬は抜いておけと言ったはずだが、ISOの怠慢だな」
「そうとは限りません。仕組まれたものかも。南部博士、とりあえずバルブを閉じてみましょう。漏れているのがおさまるかもしれません」
「待て!」
南部はパンドラを止めた。
「良く見たまえ。バルブに何か仕掛けられている」
明らかに、本来なら必要無いはずの線がバルブの内部に向かって延びていた。バルブ本体とは溶接されているように見えた。
「何でしょう、これは……」
「見たところ新しいな。埃も積もっていない。何かは私にもはわからないが、階段や設備の一部をピンポイントで爆破した奴が仕掛けたものだとすると、迂闊に触るべきではないだろう」
「じゃあ、どうするんです」
「別の方法でいくしかない。穴を塞ごう」
南部は後ろを振り返った。ガラス貼りの試薬棚が並んでいた。
「化学実験室だったのか、ここは?」
「本格的なものじゃないですけど……。ただ、流しやコンロがあったので、途中から休憩室に転用されていたみたいです」
試薬棚の扉には、鍵が掛かっていて開かなかった。南部は、肩からかけたままにしていたショルダーバッグを置き、コートを丸めて右手に巻いた。そのまま思い切り戸棚のガラスを殴りつけた。ガラスは粉砕されたが、同時に衝撃が怪我をした左胸に伝わった。
「うあっ……!」
悲鳴を上げて南部は試薬棚に寄りかかった。背中を丸めて、痛みがおさまるのを待った。さらにもう一度、別のガラス窓を砕いて叫ぶ羽目になった。
「い、痛い……!」
「南部博士、無茶しないでください」
南部は座り込んで、苦痛に顔を歪めた。額から汗がしたたり落ちた。暫くそのまま呼吸を整えてから、ゆっくり立ち上がり、扉の枠に残っているガラスを引き抜いて床に捨てた。
「まずこれだ」
南部は、プラスチックの試薬の瓶を手にして、パンドラに向かって振って見せた。
「グルコースと、それからマルトースだ。硫酸と反応すれば水ができて、純炭素が残る。漏れている場所に振りかけよう」
「南部博士、私が……」
「背の高さからいって、私がやった方がうまく行く。ただ、左手に力を入れられないんだ。蓋を開けてくれ」
南部は、パンドラが蓋をあけたグルコースのボトルを受け取り、漏れ出しているバルブの上から振りかけた。白い粉末は見る間に黒く変色して膨らんだ。
「さっきのガラスの破片を持ってきてくれ」
南部は、ガラス板にグルコースを盛って、硫酸が漏れている部分の下から押しつけた。途中でグルコースが無くなり、マルトースに変えて、漏れている部分の管の周囲に押しつけた。膨らんだ炭素がバルブの周囲に付着し、硫酸の漏れが止まった。
「これで時間が稼げる。何があったか話してくれないか」
パンドラが通勤途中に脅されて監禁されたのは三日前で、工場に連れ込まれたのは十四日の早朝だった。南部の予想通り、ライデン博士の仕業だった。
「では、ライデン博士は、もう出所しているのか」
南部の問いに、パンドラは頷いた。その後、パンドラに促されて、南部は、この十日間の出来事と、なぜ此処に来たかを話した。
「脅迫めいたものが何も無かったため、警察に届けることができなかった。結局私は一人でここに来てしまった。今にして思えば、それが狙いだったのかもしれない」
「私もそう思いますわ、南部博士」
「一思いに殺すつもりなら、階段に仕掛ける爆薬の量を増やしておけば良かったのだ。わざわざこの場所に二人まとめて落とし込んだ上で、じっくり酸で溶かして殺そうとは、私達は余程恨みをかったらしいな。しかし、私がチョコレートの件を無視したり、あるいは気付かなかったりしたらどうするつもりだったんだろう」
「その場合は、私だけがここで殺されて、それを後から南部博士が知ることになります。それでも良かったのではないでしょうか。気付かなかったという後悔をさせることならできますし」
逆恨みとはいえ随分歪んだ奴だと思ったが、そこで南部は考えるのをやめた。
「いつ、また硫酸が漏れ始めるかわからない。犯人をとやかく言う前に、脱出するか救助を呼ぶかする方法を考えないと」
「外へは連絡できないのですか?」
南部は、上着の左内ポケットを探った。普段、忍者隊を呼び出すために使っている通信機を引っ張り出した。通信機は真ん中で折れた上、内部の基盤も砕けていた。南部は、部屋の隅の流しのついた机の上に壊れた通信機を投げ出した。
「これをポケットに入れていたおかげで、落ちてきたパイプに胸を貫かれるのは免れたのだが、ここまで壊れてしまっては私にも直せん。連絡の方法はない。踏み台や梯子を作ろうにも、その材料は無いし、この部屋は天井が高いからとても届かないだろうな」
金属製のパイプは何本か転がっていたが、接続して伸ばす方法は無さそうだった。階段の手すりなども、さっきの爆発でほとんど無くなっていた。
「救助は期待できるんですか」
「秘書の一人に、此処に来ることは言ってある。夜に会う予定だから、その時までに私が行かなければ、連絡はするだろう。いずれにしても日が暮れてからになる」
あたりは暗くなり始めていた。南部は、床に置いたショルダーバッグを手に取った。流しのある台の上において、中のチョコレートを取り出し、さらに懐中電灯も取り出した。
「調理器具もそのまま残っているとは好都合だな」
南部は、錆びたキッチンナイフを手にした。
「何とかして、我々がここに居ることを知らせる方法を考えないと、救助が来たところで時間を浪費するだけだろう」
南部は上を向いた。工場の高い屋根があった。
「あの屋根を撃ち抜いて信号弾でも上げるしかないのでしょうけど……」
「私もそう思ったよ。ところでパンドラ博士、固体ロケットの作り方を知っているかね?」
「専門外ですけど、酸化剤と燃料を混ぜたものをエンジン内部に詰めて点火、でしたわよね。でもそれをどうやって?」
「酸化剤はここにある」
南部は、薬品棚から過塩素酸ナトリウムの瓶を二本取り出した。
「そして燃料はこれ。チョコレートだ」
南部は、今日もらったチョコレートを取り出し、流し台の上で細かく切り刻んだ。過塩素酸ナトリウムをまぜて、さらによくかき混ぜた。パンドラがアルミのパイプの一方の端を潰して閉じ、開いている側から出来上がった粉末を入れ、長い箸で押し固めた。
「 安定板《スタビライザー》 がないと真っ直ぐ飛ばない。強度は必要無いから、アルミホイルでもプラスチック板でも材料は何でもいい、羽根を作って取り付けてくれ」
南部に言われて、パンドラは、コンロの周りを覆っていた古びたアルミシートを切り、金属パイプに取り付けた。
「次は発射台《ランチャー》だが……」
南部は、懐中電灯であたりを照らした。排水管用の樹脂パイプの切れ端があった。
「こいつで垂直に立てて点火すればいい。熱でやられるだろうが、一、二度使えれば充分だ」
即席のロケット二本が完成したときには、工場内は既に真っ暗になっていた。
「これでいい。後は救助を……」
南部はパンドラの方を向いた。パンドラは、流し台の脇にゆっくりと座り込んだ。
「どうしたんだ?」
「済みません南部博士……」
南部は、パンドラの手をとった。熱い。
「熱があるのか。随分寒かったからな」
南部は、コートの埃を払ってからパンドラに着せ、並んで座った。
「頑張れ、チャンスを待つんだ」
パンドラに語りかけた南部は、左の肺に違和感を覚えて咳き込んだ。点火に備えて懐中電灯は消してあったから、見ることはできなかったが、明らかに血の味だった。動き回っている間に肺を傷つけたらしい。
——怪我人と病人のコンビじゃどうにもならんな。この気温で一晩このままだと、正直、危ないかもしれん。
「南部博士、五年前にこの部屋で……」
パンドラが呟いた。
「無理に喋らない方がいい」
「話していた方が気が紛れるから。さっき、チョコレートから燃料を作ったでしょう? 同じ場所で、五年前に、ライデン博士の妹さんと一緒にチョコレートを作っていたのを思い出したわ」
「私宛だったのだろう? 此処に来る途中でそこまでは思い出した」
「手作りの手伝いをして、固まるのを待っていたら、南部博士がISOの保安部の人達を引き連れて、血相変えて踏み込んで来たんですよ。武装は解除した、君たちは包囲されている、抵抗は無意味だ、おとなしく投降しろ、って。科学者の台詞とも思えなかった」
「犠牲は出したくなかったからな。君の安全を確保できた時点で、私はそのまま引き上げた」
「結局ライデン博士はその場で逮捕され、妹さんの方も事情を訊かれることになって、チョコレートどころではなくなったわ」
「事務処理が終わった後、チームは解散し、私はマントル計画室長の職務に戻った。この場所の再生計画までは立案したが、進んでいないようだな。報復が始まったのは、ライデン博士が動けるようになったからだろうが、それにしても回りくどいやり方だ。私を恨むのなら仕方がないが、もっと直接伝えに来ればいいものを……」
「直接伝えるのは無理かもしれないわね」
「どういう事だ?」
「妹さん、病気で亡くなったから」
「何だと?」
「だから、妹さんの分まで、何の恨みなのかを南部博士に思い出させたかったんじゃないかしら、ライデン博士は。逆恨みに変わりはないのだけれど」
「それは……何とも気の毒だな」
遠くからヘリの音が近付いてきた。
『こちらISO保安部です。南部博士、聞こえたら応答してください』
スピーカーで呼ぶ声が響いた。
「そろそろやるぞ。辛いだろうが、筒を真上に向けて支えてくれ」
パンドラが両手で筒を持ったのを見て、南部は、ロケットにライターの火を近づけた。激しく燃料が燃え出し、即席のロケットは工場の屋根をぶち抜いて飛び出していった。
「見えたかな?」
南部は呟き、二発目のロケットを真上に向けた。同じように筒をかぶせて点火した。今度は真上には飛ばなかったが、それでも何とか屋根を突き抜けた。
『信号確認』
スピーカーからの応答の後、十分と経たないうちに、工場の扉が開いた。
「こっちだ。引っ張り上げてくれ」
南部は叫んだ。
●PHASE 7ユ ートランドシティ
パンドラ博士を病院に搬送させた後、南部は別のヘリでユートランドシティに戻った。上着のポケットに入れておいた招待状によれば、パーティーはまだ終わっていない筈だった。近くのヘリポートに強引に着陸を命じ、南部はスナックジュンに向かった。
右手でドアに触れ、体重をかけて何とかドアを開けた。ジュンと甚平がびっくりして南部の方を見た。秘書課の女性達も一斉に南部の方を見て、黙ってしまった。
南部は、自分に注目している女性達を見て、それから自分の姿を見た。
髪は乱れ、工場の床を這い回ったために、薄いブルーの上着もズボンも、泥と油にまみれていた。その上、硫酸の飛沫を浴びたために、ズボンや上着にいくつも穴があいていた。咳き込んだ時に吐いた血が上着に飛び散っている上に、拭った手も血で汚れている……ということは、口の周りも血まみれに違いなかった。
「遅れて済まない。これには複雑な事情と深い訳が……ミズ・バーネット、通報は君が?」
顔を引きつらせてバーネットが頷いた。
「そうか、ありがとう。無事に助け出された。ついでにこの十日、手作りチョコレートを送りつけてきた奴の件も解決した。しかしどうやら、パーティーに参加する格好では無くなってるようだ。……何せ急いだもので、着替える余裕も無かったので失礼」
南部は会場を見回した。
「ところで、その……今日戴いたチョコレートだが、食べずに全部使ってしまった」
食べずに使う、という状況は、秘書達の想像を超えていた。南部はさらに続けた。
「しかしそのチョコレートのおかげで助かった。今日チョコレートをくれた人達は、私の命の恩人だ。本当に感謝している」
普通、バレンタインデーにチョコレートを渡した場合、期待するのはデートの誘いかホワイトデーのお返しかであって、命の恩人呼ばわりされることではない。南部の言葉は、秘書の女性達の想定外も甚だしかった。何と返事をしたものかと迷っている秘書達の前で、南部は深々と頭を下げ、そのまま床に倒れ込んだ。
「な、南部博士ーっ!」
「救急車を早く!」
一斉に上がった声を聞きながら、南部は意識を失った。
南部が、左腕と胸を固定された不自由な体で何とか出勤出来るようになったのはその三日後だった。既に、チョコレート騒ぎの顛末は秘書課にも、そしてISO中にも伝わっていた。回復したパンドラ博士の証言で、ライデン博士は再び逮捕された。ぼろぼろの姿になってまで律儀にチョコレートの礼を言いに来たことは秘書課の女性達に評価されたが、同時に、やはり南部は別世界の住人だったということも再確認されたのだった。
——完——