グレンダイザーで、デュークが地球に来るまでの時間経過について。
 マジンガーシリーズの物語中での時間は、放映当時の時代季節と同期したものである。これを前提にして年と月を振ってみる。
 まず、本編(第2話)では次のように語られている。

宇門「大介は、わしの実の息子ではない。君だけには、大介の本当の正体を話しておこう」
宇門「大介はベガ星雲にあるフリード星の王子だった。名をデューク・フリードという」
宇門「フリード星は科学の発達した、戦争を知らない平和な星だった。ところが……」
大介「ある日突然、ベガ星雲の完全征服をもくろむ恐星大王ベガは、連合軍を押し立ててフリード星に襲来した。罪もない人々が次々に殺され、緑の大地を非常の炎が焼き尽くした。そして、燃え落ちる王宮の中で……父と、母は……」
宇門「悲惨な最期を遂げられたのだ。フリード星の優れた科学力を我が物にしたベガ大王は、恐るべき戦闘マシンを作らせた。それがグレンダイザーだ。ベガは、グレンダイザーを駆使して全宇宙を征服しようと考えた」
大介「しかし、どんなことがあろうと、グレンダイザーを奴に手渡すことはできなかった。俺は牢を破り、グレンダイザーを奪って、フリード星を脱出した。(追撃される映像あり)グレンダイザーは果てしない宇宙空間を飛び続け、やがて、青く輝く美しい星にたどりついた。それが地球だった」
宇門「わしはたまたま八ヶ岳山中に不時着したグレンダイザーと半死半生のデュークフリードを発見した。それが、わしとデュークフリードとの、不思議な運命の糸で結ばれた出会いだった」
甲児「それで大介さんを息子同様に」
宇門「うむ……もうかれこれ二年前のことになる」

 この第2話放映は、 1975年10月12日である。大介が地球に来たのは、約2年前の1973年の10月前後、もう少し曖昧な部分を残すならば、 1973年の秋ということになる(英氏とは「かれこれ二年前」の幅をどう持たせるかで議論になっていた)。
 放映が始まった時の大介の年齢は推定20歳(テレビランドワンパック)。シナリオと企画書でも20歳だというのが、DVD-BOX1のライナーノーツの解説部分に記載されている。しかし、ライナーノーツに収録された企画書(『UFOロボ ガッタイガー(仮題)』)では、「宇門大介(デューク・フリード)(推定18歳)」とある。
 シナリオは未確認だが、一応、推定20歳としておく。
 71話で、フリード星脱出直前のシーンがある。このシーンに登場するデュークとモルスの設定画では、両方とも15才とされている。回想シーンなので、季節は不明である。71話の展開からいって、モルスと別れてからフリード星壊滅まで、長い時間はかからなかったものと思われる。従って、脱出時のデュークの年齢は15歳で、放映開始時は20歳、宇門博士に救助されたのが18歳の時、となる。フリード星脱出から地球にたどり着くまでに約3年かかっていることになる。この3年の間は、追撃されながらアンドロメダ星雲あたりを逃げ回っていたのだと考えるしかないだろう。フリード星壊滅は、地球時間でいうと、1970年の秋頃を中心にして1年程度の間のどこか、ということになる。
 マリアについては、9歳の設定画がある(魔神全書に掲載)。但し、侍従に連れられての脱出シーンと衣装は異なっている。マリアが登場するのが、 49話で、 1976年9月5日に放映されている。翌週( 1976年9月12日)放映の50話では、

宇門「うむ……しかしマリアちゃんをチームに加えることは……」
大介「マリアは、フリード王の娘です」
宇門「まだ14歳だよ、マリアちゃんは……」

というやりとりがある。
 これらの関係を図にすると、次のようになる(クリックで拡大表示)。

1-191-1.png

 マリアも大介も誕生日がわからないため、はっきり分かっている年齢を挟んで、前後1年がその年齢で居ることが可能な期間となる。この期間に含まれる1年間が、実際にその年齢でいた期間ということになる。デュークとマリアの年齢は独立に決めることができる。
 マリアが合流したとき、15歳になる直前だったとすると、図の青色の期間のうち早い部分のどこかの1年間が、マリアが14歳であった期間ということになる。これに連動して、9歳であった期間の方も決まる。9歳であった期間が、青で示した期間のうち比較的早い方に来れば、デュークが15歳、マリアが9歳でフリード星滅亡、さらにデュークが約3年程さまよった後、地球にやってくるということが可能になる。

【追記】
 英氏と議論になったのは、第14話(1976年1月4日放映)で、宇門博士が「正月を迎えるのも初めて」と言っていたことによる。
 まず、「正月を迎える」が、ただ単に1月1日を過ぎるという意味であれば、大介が地球に来たのが 1975年の1月1日以降でなければならなくなる。これでは、1975年10月12日にはまだ丸1年が経過していないことになり、「かれこれ2年」という宇門博士の台詞と矛盾する。この説は、英氏も私も採用していない。「正月を迎える」は、日常的な意味で、年末の大掃除や正月の飾り付けをして、初詣をしたりといった、年末年始定番のイベントを行ったという意味に解するべきである。
 大介が地球に来たのが1973年の秋だとすると、正月は、1974年1月1日、1975年1月1日の2回あることになる。1974年の正月は重傷を負っていて普通の意味でお正月イベントが不可能だったとしても、1975年をどうするかが問題になる。
 1975年の正月がどうであったかということについては、設定も資料も何もないので、解釈の付け方はいろいろあると思うが、これで確定というものがあるわけではない。
 私は、資料が無いのなら解釈次第でなんとでもなる部分はそのままにしておいて、宇門博士の「かれこれ2年」の発言を重視し、1973年の秋に大介がやってきたという立場をとっていた。英氏は歴史家なので、「かれこれ2年」の方に幅をもたせ、ぎりぎり遅い時期に大介がやってきた、つまり1974年の正月の後の可能性を考えていた。
 制作中のエピソード0で何らかの回答を出し、英氏に見てもらう予定だったが、それが叶わなくなってしまったのが残念である。