物語の文法

|2009/11/6(金曜日)-23:20| カテゴリー: 創作
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 いろいろファンフィクを考えているのだけど、プロットを書くときの基本的な指針というか文法になるものが欲しいな、と思って、今読んでいるのがこれ。

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 プロップの本は有名な古典で、ロシア民話の構造の形態分析をやっている。
 アニメの場合は、テクストの代わりにあるのは完成した映像なのだけど、グレンダイザーにせよガッチャマンにせよ、話数がこれだけあれば、もしかしたら各話に対して形態学的分析をかけられるかもしれないな、と思ったり。まあ、そういう見方も楽しいかな、と。

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 こちらは物語生成機械につながる話。虚構を語る場合にどこまで自動生成可能か、といった疑問があるので読みながら考えてみたいんです。また、プロットの構造そのものをどう捉えて記述するかということも知っておきたいですね。
 ファンフィクの場合は、結局のところ自分が読みたい話を書くわけなんだけど、それが一体何なのか、いかなる構造を持ったものなのか、ということをはっきりさせたいんですよ。

 他所様を批判するつもりは毛頭ないのだけど、他の人達のいろんなジャンルのファンフィクを読んでいて、何だか読みづらいなあ、ということがしばしばありまして……。この場合の読みづらいかどうかの基準は、速読したときに頭にすっと入ってくるかどうかなんですけど。

 日本語の表現の問題なのか、そもそもその作者さんと私でキャラクターのとらえ方が違うのか(萌えのポイントが違うのか)、とあれこれ悩んだんですね。で、プロ方の、ファンフィクでない普通の小説と比べた場合でも読みやすさが違うのは、一体何が原因かと悩んだ結果、どうも私は物語を構造で読んでいる、つまり表面に現れたキャラクターの動きや台詞や地の文ではなく、その一段上のプロットの部分を見ているんじゃなかと思い至りまして……。
 同じ書くなら、物語構造の文法まで踏まえた上で、大好きなキャラ達を動かしてみたいなあ、と。できれば、他の誰かに読まれた時に「わかりやすい」物語であってほしいな、と。あと、自分にとって快適な物語って一体何なんだろうな、という疑問も。
 まあ、文学理論の本なんかほとんど生まれて初めて読むわけで、使いこなせるかどうかも疑問なんですが。でも、もし、物語の構造のレベルで文法があるなら、それは習得可能なものなんだろうと。

 コロムビアのガッチャマンDVDvol.3のライナーノーツ。鳥海尽三氏のインタビュー記事より。

——当時、超合金とかで巨大ロボット物の企画が増加しましたが、竜の子は、安易にロボット物に走りませんでしたね。
 僕は、巨大なロボットが簡単に動いたり、自由自在にアクションが出来るものか、と思ってます。しかも、第1話で子供が巨大なロボットを簡単に操縦するなんて、そんな馬鹿なことはありませんよ。もしやるならば、ストーリーの中で段々と解っていくようにやらなければならないわけです。

 ……何だかダイナミッカーに正面から喧嘩売ってる発言。初代ガッチャマンと人気を二分してた操縦型巨大ロボットで、超合金大ヒットの原因を作ったのって、マジンガーZだろう。ガッチャマンが1972/10/1〜1974/9/29の放映、マジンガーZは1972/12/3〜1974/9/1の放映だから、きっちりかぶっている。
 しかし、Zの最初の方は、操縦ができなくて甲児君は困ってたし、グレートの鉄也は最初から戦闘のプロとして訓練されていたことが語られたし、グレンのデュークは元々王族で操縦者だし。ちゃんと最初から見てたのか、と突っ込みたくなった。

 でもまあ、こういう喧嘩はアニメファンとしては歓迎。別の方向にこだわってくれたおかげで、いろんな種類の作品が楽しめる。

よく考えると、南部博士だってとんでもない男だよね。子供達を集めて、宇宙から来たとんでもない野郎と戦わせる訳だから。だから、『ガッチャマンF』の途中で殺してやったんです。
——ばちがあたんたんですね。
そうです。

 ……南部博士殺したのってそういう理由だったんかいorz。