二次創作とかファンフィクとか呼ばれる一連の「アレ」の攻め受けの話。自分なりに納得できる説明を思いついたのでメモ。あくまでも私が納得出来る説明であり私なりの理解なので、全然違うよ、という人はたくさん居るだろうから、その場合はスルーしてくれればと。
コトの発端は数年前。グレンダイザーのコレクションを始めた時、他の人達が作品をどう受け止めているかを知りたくて、同人誌を集めてみたら、大介×甲児のBLばっかりだった。それまで、同人誌界隈がどうなってるかノーチェックだったので、一体なぜこうなったのかと疑問に思ってあれこれ調べた。「タナトスの子供たち」「アニパロとヤオイ」「やおい小説論―女性のためのエロス表現」「オタク女子研究 腐女子思想大系」「腐女子化する世界」といった本を買って読んでみたし、ヤオイについて解説してあるサイトを見たりしたんだけど、どの説明もしっくりこなかった。
「わたしがやおいを好きな理由」を見ると、
でも、現実の恋愛をいくつか経験して、気がついたことがある。やおいは、女の子の夢見る恋愛だったんだと。
とあったりする。これが絶望的に私にはわからない。なぜなら、私は、生まれてこの方恋愛を夢見たことが一度も無いからだ。思春期の頃に夢見ていたコトといえば、独立独行自己完結できる存在になること、そしてできれば悟りをひらくこと、であったから、そもそも恋愛の相手という他者を必要としなかった。
このはてな匿名ダイアリーにのっかって書かれた、題名のないエントリーがある。
腐女子はまずこの”女として”、という定義に抵抗を示してしまう。(今はこの定義は恋愛面と異性関係においてのみ、に限局しておきます)
よく言われる僕女俺女などはそのわかりやすい例だろう。この種の厨房が、思春期と言う性別の間で揺れ動く様な中高生に多いのも当たり前なので割愛。
「女として」という定義が意味を持つためのは、恋愛対象になり得る他者(多くの場合は男性)が必要なんだけど、その他者の存在が不要ならば、「女として」という定義は、生物学的あるは解剖学的分類以上の意味を持たない。
“これが心地よいのは、これだけの素の自分を見せて、さらには性別まで超えて、愛してくれる人が現実にはいないということに自分が薄々気づいているから”という理由に示されるように腐女子は自分が愛して欲しいが故にやおい本を読むのだ。だからどこかで自己を投影している。それは理想の自分や相手かもしれないし、実際の自分の一部分かもしれない。つまりそいつらは純然たる男同士のカップルではない。女が混じった、そして不自然にも第三者の意図を汲んだカップルである。男と女のいいとこだけをもったつがいの生き物、というべきか。乳首なでたりやおい穴が出来た理由も推して知るべし、である。
これには腐女子の総意じゃない、という但し書が付いているんだけど、でも、もし、これがある程度やおいを描(書)いたり、読んだりする人の共通の属性だとすると、どうやっても実感するのは私には無理だ。自分の辞書に「恋愛」の2文字が欠落しているのだから、愛してくれる人が居るかどうかといった発想は想定外のものになってしまっている。
それでもまあファンフィクの主流(?)はBLなので、自分が書くとしたらどうだろう、と考えたのがちょっと前の日記なんだけど、やっぱりうまくいきそうにないなあ、と考えてたわけ。
そこに、重要なヒントをくれたのがReeさんで、「皆さん贔屓筋を受けにしている」という指摘をもらいまして。
我が身を振り返ると、グレンダイザーは元々大介=デューク好きだったから、大介受けの話の方が読んでてしっくりくるし、BL書けと言われたら、大介受けの方が多分書きやすい。その後、宇門博士のファンに転んだのだけど、宇門博士受けの話の方が、宇門博士攻めの展開よりは、書きやすそうに思う。最近だとガッチャマンの南部博士に嵌ってるんだけど、攻め受けどっちが書きやすそうかと言われたら、やっぱり南部君受けだなぁ、と。
ということは、贔屓筋というか、(好きだから)書きたいキャラを受けにする、という傾向なんじゃないかと思い当たった。
贔屓筋=書きたいキャラ、ならば、ストレートにそのキャラが活躍する話を書けばいい。冒険でも何でも。だから、私のフィクは基本的に全部そうなってます。
じゃあ、なぜわざわざBLにしなきゃならないのか?というあたりで今度は引っ掛かかることになった。エロを書きたいのならそれでもいいけど、キャラを書きたいのなら、エロは別に必要ではないはず。
単純にポルノとしての需要により、セックスシーンを好きなキャラで想像したい、というのなら理解はできるのだけど、それ以外に何かあるのか、と考えた。
そうしたら、実は本当の「攻め」は、フィクを書いている作者自身じゃないのかってことに気が付いた。「受け」は、作者の贔屓のキャラで、BLシーンでの「受け」になってることが多いかもしれない。贔屓のキャラを好きなように解体し再構成し普段の生活からベッドでの振る舞いまで描写したい、って、つまりは、作者による受けキャラの陵辱ってことになる。作者の分身の「攻め」キャラを登場させてベッドインさせるとBLになるし、「受け」の置かれた状況というか物語の構造そのものが「攻め」になるなら、それは所謂普通の(ノーマル、って言うのかな、やおいとの対比では)物語になる。
そういう構造ならば、作者の特権を存分にふるって「受け」であるひいきのキャラを書ききればいい。わざわざ、作中に性行為の相手方としての「攻め」を存在させるのは、逆にまわりくどくなる場合があるんじゃないか。それに、性的な行為を介在させないと絶対に書けない話だ、というケースはかなり希なんじゃないか。
ってなことを考えていたら、グレンダイザー同人誌を出してるたきおれいこさんという方のサイトで、「YAOI30年史・付録 ~どうしてやおいにしたがってしまうのか~」というのがあったのを思い出した。同人サイトさんなので、リンクは避けますね。引用だけさせてもらいます。
然るに私たちは。
変化がなくても構いはしないとされてる世界の、変化、つまり主人公や登場人物、それを取り巻く世界の緊張感、が見たいわけですね。要するに原作と同じ平行なままでは詰まらない。何かの形で交わらせたい。より近づけたい。それでこんな事をやっている。
で、その交わらせる、少しでも近づけるためにはどうすればいいか。「ノーマルの上手とやおいの上手を比べたらノーマルが上。ノーマルのお下手とやおいのお下手を比べたらやおいのお下手がまだマシ」 というのが関係してくるんですが、つまりノーマルと言うのは近づけ方が非常に難しい。のですね。
さっきも言ったように、緊張感を出す方法は 「事件そのもの」 に頼るという場合と、 「人間同士のぶつかり合い」 を描く場合とがあるわけです。 (もちろん二つを兼ね備えても可)
(中略)
しかしこういう話というのは、なかなか書けるものではない。ネタだってそんなにないし、何よりしんどい。ノーマルでやおいと同等の満足感を出すのは、至難の業なんです。そこまでになれない話の場合は、 (その方が多い) やおいにする方が自分に満足感がある。
(中略)
「なぜやおいにしてしまうのか」 それは原作では平行なままでいるであろう二人を限りなく近づけたいためで、近づけるためには何らかの緊張感が必要で、その緊張感がどこから来るにせよ、恋愛とした方がやりやすい。満足感が得られる。自分が気持ちがいい。ノーマル、ほのぼのでは、 「ヌルく」なりがちになる。
たきおさんの本もいろいろ買って、楽しませていただいたのだけど、多分ここに書いておられれる通りなんだろうと思う。でも、多分これは、「自分の辞書に恋愛の2文字はない」という私のような人間にとっては、話が全く逆になります。やおいでノーマル並の満足感を出す方が至難の業になる。おそらく、フィクを書く場合のそもそもの出発点も異なっている。原作での「キャラA」と「キャラB」の関係をどうにかしたい、という動機じゃなくて、自分がキャラAをどう理解するかとかどう動かすかというのをやってみたい、あるいは、好きな原作を補完したい、が動機で、そのために緊張感のある物語(舞台)を構成しよう、となりますので。
まとめると、
(1)ほとんどの場合、BLにしない限り絶対に書けない内容とは、エロシーンそのものである。
(2)キャラの描写(誰が誰を大事に思ってるかなど)は、普通にストーリーを作ってやれば、エロ抜きでも充分表現可能。
(3)(Reeさんのところの)掲示板でも出ていたように、BLにすると、そっちに引きずられて、キャラの関係や、そのキャラについて作者が伝えたかったことが逆に薄まってしまうかもしれない。
(4)ポルノには安定した需要があるから、(3)の不利益に目をつぶっても読者獲得のためにベッドシーンを入れるというのは、作者の営業方針としては有り。ベッドシーンは「定番」だし、世の中、恋愛とセックスに話を持って行った方が理解できるという人の方が多数派だろう。また、そういう人(作者読者双方)にとっては、恋愛話(セックス含む)の方が心地よい。
ってあたりになるのかな、と。
まあ、辞書に恋愛の2文字が無い人間も存在していて、そういう人がファンフィクを漁るとあれこれ悩む羽目になって難儀した挙げ句に自分なりの説明をつけようとした、というだけのことなので……。もし、私と似たような人が居て、なぜBLが全盛なのかと悩んでいる場合には、私が思いついた納得の仕方を1つの参考にしていただければと……。
【追記】
大事な先行研究を忘れていた。「やおらヤオラー研究」。
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なるほど、(4)にスッキリ(゚∀゚)!しました
確かにそうですよね、そういう観点かー
いわゆる「攻め」のほうに自己投影してるとしたら、攻めと受けが逆転した「リバ」というのを厳密にカップリング違いとして分けているのも納得いきます!
しかしながら、何故圧倒的に女性の間ではこの男性同士の(そして想像上の)恋愛であるBLが人気なのか、私にもよくわからない範疇であります
「正義と勇気と友情と」みたいな一昔前のジャンプ漫画みたいな作品を書く私のようなタイプはむしろ少数派らしいですね…不思議(´・ω・`)
yudouhuさん、
まあ、男同士の方が何かと便利なんでしょうね。男女だとコトの後で妊娠しただの何だの厄介なことになりますが、男同士だと原則それはない(男×男で妊娠話を書く人もいるけど多分少数派)。また、体の構造上いつでもどこでもコトが可能だし、体の方は攻め受け同じに書き得るので。
生物学的には女性が一方的に損をしているというのがあるかも。射精は気持ち良くても、女性の生理には快感は無い(むしろ大不調を来す人もいる)わけで、出発点から不公平感はありますよねぇ。カロリーベースというか物質量ベースで考えても、精子と卵(魚類からほ乳類に至るまで)を比べた場合、♀の方が明らかに大幅に「持ち出し」になってて、損をしてます。
「理想の恋愛」とか「愛されたい私」云々以前に、このどうしようもない不公平な扱いをどうにかしてくれと思わないでもなく。
だからファンタジーの世界でも、いや、ファンタジーの世界だからこそ、そういう不公平感は無くした上で、気持ちいい方が良いってことなのかなぁ、と。また、生物学的に課せられた非対称性からくる不公平感を無くしてしまえば、純粋にスピリチュアルな恋愛だけを抽出しうる可能性はありますし。
いくつか本を読んだ感じでは、生物学的な性の不公平感というよりも、社会学的な性の不公平感、つまりジェンダーの問題をクリアした上で恋愛物語を、という発想もあるようです。これは、ジェンダーをどう受け止めてるかとか、これまでどういう抑圧を感じてきたかに個人差があるので、千差万別でしょう。ジェンダーの制約が不自由で仕方が無いという人も居るでしょうし、私のように、社会的な意味で女性であることを意識するのは書類に書くときだけ、生物学的な意味で女性であることを意識するのは肉体労働の時と生理の時だけ、という人も居るでしょうし。
ただ、なぜ「恋愛」になるのかというのは、趣味だろうとしか言いようがないです。
私の場合は、そもそも男女間の恋愛物を見ても面白くも何とも感じないので、それを男×男に置き換えてもやっぱりピンと来ません。他の方のファンフィクを読んでいて、キャラ単体の描写が面白いと思うことは多いのですが、関係性の部分は理解できません。これは、そもそも男女間の恋愛物を見ても理解不能なので、仕方がないのだろうとあきらめています。小学校以来、恋愛話には全く縁がないし、他人のうわさ話すら私に向かって語る人は誰一人居なかったので、まあそういう性分だということなんでしょう。
私もyudouhuさんと同様に、恋愛要素抜きでSFやサスペンスを書くタイプなんですが、ファンフィクでは少数派みたいですね。思うに、恋愛物(マンガ、アニメ、ドラマなど)を見てそれなりに共感できる人の母数がそれだけ多いということのなかなぁ、と思ってます。恋愛物に共感できて、かつ、正義と勇気と友情の物語が好きな人も居るでしょうけど、「恋愛物」で投げた方が、すんなり受け止める人の数が多いということなのかも。
むしろ、男女間の恋愛物はとてもよく理解できて共感できるんだけど男×男は理解不能だとか、その逆だ、という人の話を聞いてみたいですね。
取り敢えず、この本文に追加説明入れますね。
『ご贔屓筋を受けに』と言う話は、私が言った言葉では有りません。頂いたメールの引用です。ご了承を~
で 2時間掛けて 色々文を考えたあげく、削除して漸くアップしようと思ったらエラーでクリアになってました。
脱力したので 書き逃げします(^^;)
Reeさん、
はーい、了解です。
でも、Reeさんからヒントをいただいたのは確かなんですよ。
脱力から復活したらまたよろしくです。
>yudouhuさん
ご無沙汰しております。ご挨拶が遅れまして申し訳ないです。
よければ一度、フィクを拝見させて頂けたら嬉しいです(*^_^*)
さて、昨日は頑張ったが結局コメントできなかったので、今日、改めて書いてみます。
上手く説明出来ないのですが、私の考え方で書いてみます。
まず、BLが好きか? と聞かれると以前は好きじゃないと言ってましたが、今ではバリOKな状態です(笑)
人様の心理状態はよく解らないので、自分の中での事を語ります。
BLは多分、架空恋愛でしょうね。異性だからこそ綺麗に見えているところは有ります。これが男女のカップル、女同士だとリアルすぎるんです。なので引くところは有ります。だからBLのお話しは、全くのフィクションとして見ているのではないかと思えます。
実際にリアルにBLを想像すれば、ちょっとやですから。
BLについては、人それぞれ考え方が有るのでそれはおいといて、私の場合は取り敢えずの形が有るわけです。
「受け」は美女でなければならない。
これ、裕川さんと意見が分かれましたね。でも私的には、男が男に欲情する場合、相手の中に欲情する何かが有るはずだと思っているわけで、それが女性的な男で有るわけです。この方程式(笑)が大事なわけです(私的にです)此処にもう一つ、方程式が入ります。「受け」は、躰は女性的で有るが心は男で有ること。どちらかというと「攻め」より遥かに男としてのプライドが有り、強さも持っている。なので男であるが故に「受け」になったことの苦悩描写が必要になる。
単にいい男といい男が居て、BLに発展するお話しは、スルーさせて頂きたい。
で、私の中に、グレンダイザーのBLは存在していません。最近色々書いてますが、私が書くグレンのフィクは親子愛が主なので、BLが存在しないのです。
今回「輝」を書かせて頂きましたが、表面上は大×甲ですが、ストーリーとしては大介受け話だと思ってます。
ではこの「受け」とは何かと私の脳内で考えると、悩み傷つき苦しむキャラが受けな訳です。今回のお話しは、その部分をどっぷり突っ込んだつもりです。私の書くフィクは何時も大介が受けになってます。(ご贔屓キャラを受けにと言うのは、そう言う意味だと思う)そう言う意味では、裕川さんも受け要素たっぷりなフィクを書かれていると思いますよ(笑)南部君も宇門パパも何時も大変だし・・・
この苦悩が上記のBL時の苦悩と重なったとき、BLを私的には肯定する事になるわけです。
まぁ早い話、ご贔屓キャラが悩み傷つき苦しむ姿が表現されていれば、BLなんてのは私の中には必要無いわけです。反対にBLによってもたらされる苦悩で有ればOKと言う訳です。
なので、今回甲×大を書かせて頂きましたが、どうも違和感が有るんです。確かに受けだけど、美男だけど美女ではない。この辺が私に違和感を抱かせまして、これを自分なりの形にするなら、その苦悩を表現しなければならないわけです。これで漸く治まりました。(けど、攻めが何故自分より男らしい人を愛するのか、その辺はやはり納得してないです。つまり甲児君が大介さんを抱く理由がわかんない。だから大介さんが女々しくなってしまったのだ)
さてでは何故BLを盛り込むのか? ですが、ファンが多いからでしょう。初めてグレンのBLを書かせて貰って、その反響の大きかったこと。商業誌で無くても、はやり書いたら反響は欲しい物ですよね。何もコメントを貰えなかったら話が面白く無かったのかとか考えちゃうし。今回の反響の理由は、多分甲児君を格上げしたからでもあるでしょう。
私の中のグレンには甲児君は居ないので、そう言う意味でも読者が減りますね。書きたいから書くは基本だけど、やっぱり反響は欲しいわけで・・・それを増やすには、読者のお気に入りキャラをふんだんに盛り込み、BLを入れることによってまたその読者も取り込むことが出来ると言うのが 今回解ったことです。そう言う意味では同人活動されている方は気になるところでは無いでしょうか。
でも実際、BLを激しく表現しちゃうと、本来書きたかった部分が薄れちゃうのは事実で、そうなると、本当に自分が表現したかったところを見て貰えない。此処が書き手の力なのかな? と考えました。(私は泣きながら書いてたのに、その辺は皆さんスルーでした 笑 表現不足……)
話が前後してますけど、私が好きな小説はご贔屓キャラの苦悩する姿を表現した小説です。そうなると、よしよし……ぎゅぅ~としたくなるわけです。母性愛ですね。自分がするわけに行かないので、そう言う相手を出す。グレンの場合は宇門パパなわけです。だから私の中のグレンにBLが存在しないわけです。
これがガッチャマンになると、南部君がぎゅぅ~とするキャラでは無いので、ジョーが登場するわけです。この場合は、BLに発展してしまいます。この辺は方程式通り美女な受けですね。
まとめると、私のBLは母性愛の変形バージョンなんだろうなと思うわけです。普通の男と女の恋愛話とは違う目線で見てる気がする。
で、これでBLに慣れてしまったので、少々のBLでもOKな自分が出来上がったという訳です(笑)
なんか本文から逸脱した感ありだな・・・(^^;)
家露さんの肖像画に触発されて別の南部君絵書いてたらレスが遅れました。まだ仕上がらない〜〜。
>実際にリアルにBLを想像すれば、ちょっとやですから。
うん、確かにXつべあたりに無修正な画像は山程転がってますが、アレとBLの間には決して越えることのできない深くて暗い川があるような。
>でも私的には、男が男に欲情する場合、相手の中に欲情する何かが有るはずだと思っているわけで、それが女性的な男で有るわけです。
「欲情」を持ち込むあたりでファンタジーになるのかな、と思わないでもなく。
>「受け」は、躰は女性的で有るが心は男で有ること。どちらかというと「攻め」より遥かに男としてのプライドが有り、強さも持っている。なので男であるが故に「受け」になったことの苦悩描写が必要になる。
なるほど。苦悩を演出する手段がBLになる、という感じなのかなぁ。作中で苦しむキャラが受けだと後の方でおっしゃってますし。
>裕川さんも受け要素たっぷりなフィクを書かれていると思いますよ(笑)南部君も宇門パパも何時も大変だし・・・
興味深い指摘です。この意味では、南部君も宇門パパも、私にとっては受けですね。作中にBLの攻め役
に相当するキャラが出てこないだけで。毎回散々な目に遭ってますから。
コメントを単純に読むと、美男だけど美女じゃないキャラを好きになってフィクを書こうとした途端に、ある程度共通のジレンマが発生するのかな、と思いました。
BLを書いた方が反響は大きい&ひいきキャラを受けにしたい&でもひいきキャラがたまたま相手との関係性において「美女役」になりそうにない、ということですよね。どれかを立てようとするとどれかが壊れる。
ひいきキャラの苦悩の原因は多分何でもよいのでしょうね。BLのフォーマットに則ると「BLの受けになっちゃったよどうしよう」が苦悩の内容になるということで。
>話が前後してますけど、私が好きな小説はご贔屓キャラの苦悩する姿を表現した小説です。そうなると、よしよし……ぎゅぅ~としたくなるわけです。母性愛ですね。自分がするわけに行かないので、そう言う相手を出す。グレンの場合は宇門パパなわけです。だから私の中のグレンにBLが存在しないわけです。
もう少し一般的な話から始めると、登場人物の葛藤がないと物語は作れないと思うんですよ。ファンフィクならやっぱり贔屓のキャラでそれをやりたくなる。すると、「贔屓キャラの苦悩」=葛藤、ということになる。
その次に、「よしよし……ぎゅぅ~」にいくかいかないかが、Reeさんと私の違いかも、って今思いました。多分、ある状況においてきっちりキャラを動かしてしまえば、私の場合はそれで満足できちゃうんですよ。
私の場合だと、本編補完話をやりたいというのもあって、グレンだと宇門パパ、ガッチャマンだと南部君を主人公にしちゃってるわけですが、多分、自分が読みたいものを書いてるんです。宇門博士かわいいとか南部君かわいい、と言った時に、自分が宇門パパや南部君をどうこうしたいという発想じゃなくて、宇門博士なり南部君なりに感情移入して読める物語がほしい、になる。で、この場合の条件としては、元の作品を大きく壊さないこと、なんです。それを自分で書いちゃってるんです。だから、BLからくる苦悩や葛藤は特に必要じゃないみたいです。
多分、大介で、とか、健、で、というのを書くことがあったら、やっぱり、贔屓のキャラに感情移入して読める物語を作ろうとするだろうなぁ、と。
Reeさんが書いたものを読んで、宇門博士視点ならどうなるか、とか、考えちゃいますよ、やっぱり。
涼さん
あくまでも、これは自分の考え方なので、人様はどう思われているかは解らないです。
> 「欲情」を持ち込むあたりでファンタジーになるのかな、と思わないでもなく。
そうですね、私の場合はファンタジーでしょうね(笑)だから受けがとびっきり綺麗な表現になる。
ちょっと例えが違うかも知れないけど、涼さんの場合は、ゴルゴ13で 私の場合はシティーハンター と言う感じかな(笑)
話の背景と言うかストーリーが無くて、ご贔屓キャラの葛藤を永遠と書いた話でも私は大好きですけど(^^;)
そう言うフィクを読ませて頂いて、改めてそのキャラが何故そんな性格になったのか、何故そんな行動を起こしたのか? が解る気がするんです。
この辺はただの嗜好だと思うので 人それぞれだと思います。
Reeさん、
贔屓キャラの葛藤が延々続くフィクですか……。それはそれでいいんですが、背景がわからなかったり、シチュエーションと矛盾があったりすると、今度は、勝手に一人で悩んでいる贔屓キャラがアホに見えてくるという欠点が(爆)。
その意味では、BLを書く時はストーリーを作らない方が逆にいいのかもしれませんね。
ファンフィクのBLモノで、キャラだけ変えて世界全く別、ってのがありまして、何故そこまでして、と思ってたんですが、なまじ本編設定をひきついで作ると、BLを入れた場合に設定や背景から浮いてしまうからなんじゃないですかね。それなら、キャラだけ借りて、全く異世界の話にした方が、設定を減らせる分だけあらが出てこなくなりそうです。
元の作品が持っている情報量ってのがかなり多くて、その内容による制約がきつい分、本編の設定をある程度使う方向でいくと、BLにする方が逆に難しくなるんじゃないですかね。無理矢理そのシーンを入れたとしても、木に竹を接いだ感が漂うだけのような。違和感なくBLを入れるって至難の業というか、普通に二次創作するよりも相当高度な技が必要とされるというか。