イタリアから

|2008/11/1(土曜日)-00:03| カテゴリー: 蒐集
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 12 inchのデュークフリードフィギュアを、イタリアの方に頼んで買ってもらっていたのが届いた。
 これまで、ヤフオクなどで出ていたフィギュアに比べると2回りくらい大きい。最大のポイントは、ヘルメットのマスクが別パーツになって、サングラス越しに中の顔が見えるということ。残念ながらメット可動にはなっていないのだけど……。これで、だいぶ、アニメのイメージに近くなった。サングラス部分ははめ込みかと思ったら、マスク全体がクリアパーツで、薄い黄色を、目の部分だけ残して塗装するというやり方で作られてた。
 工作に自信のある人なら、マスクを外して、剥がした傷を補修し、マスクを上に上げた状態を再現するというのも有りかも。

 一緒に、ダイナミック版のUFO ROBO GOLDRAKEのCD-ROMも届いた。曲自体は、総集編の映画の付録に入っていたもので、目新しいものはありませんでしたが、18ページほどのブックレットがついていて、解説などが書かれている。ブックレットを開いた見開きの右側に、豪先生のアップ写真が……解説は勿論全部イタリア語。なお、日本のCDと違って、歌詞カードはついていない。
 GOLDRAKEのCDは、昔(レコードの時代に)出ていたアルバムをCDにしたものも販売されているので、そっちも何とかするしかないかな。



ANIMANIA 1997 No.1

|2008/10/12(日曜日)-00:02| カテゴリー: 蒐集
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 イタリアのアニメ雑誌「ANIMANIA」1997 No.1を入手。表示に大きくグレンダイザーの絵。真ん中に白黒ページで桜多吾作先生のグレンダイザーコミックスのイタリア語版が掲載されている(ブリュンヒルド登場の回)。前後の巻も手に入れてみないと、連載されていたのかどうかがわからない。
 コミックスイタリア語版は単行本については既に正規版が2種類出ている。登場人物の名前が、日本語と同じ名前のものとイタリア語名前の2種類があるらしいが、細かい違いについては確認できていない。



ストーリーメーカー

|2008/10/12(日曜日)-00:02| カテゴリー: 創作
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 9月は仕事が忙しく、出張がたてこんで週末もほとんど無いに等しい状態で、買い込んだアニメDVDを見るどころではなかった。やっと少し落ち着いて本業の方が定型業務に戻ったので、趣味の方も進めていきたい。
 最近出た「ストーリーメーカー 創作のための物語論」大塚英志著、アスキー新書を読んだ。二次創作を書くにしても、構造をきちんと作りたいと思ったから。
 最後の方に、問いに答えていくだけで一定の構造でプロットを作る方法が書かれていて、大変興味深い。パソコンで手軽に実行しようとして、Macのソフト2種類くらいに、問いを先に書き込んだテンプレートを作ってみたり。

 昔、といっても中学から高校にかけてだけど、ノートにオリジナルの小説を書いていた時は、なかなか最後まで完結しなかった。その経験からいうと、私の場合は、プロットを最後まで作ってからでないとうまくいかないということがわかったわけで、それなら最初から「設計する」方針で書こうかと。



作業メモ

|2008/9/2(火曜日)-00:01| カテゴリー: コンピューターの使い方関係
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 300dpiでjpegで取り込む。
 Graphic Conveterで70%を指定してjpeg圧縮し上書き保存。
 サムネイルは10%サイズで作る。



お墓参りに行きました

|2008/8/30(土曜日)-00:00| カテゴリー: 雑記
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 英さんのお墓参りに行った。永井豪ファンクラブの数人の方々と現地集合。お花、お水、お線香をあげてきた。

 5月にも、告別式に間に合わなかったメンバーがご自宅を訪問させていただいた。

 地面に穴を掘ったら、まわりから土や水が流れ込んで集まるように、英さんが亡くなってから、ファンクラブのみんなが、東京でも集まったしご実家の方にも集まっている。多分、英さんの人徳がとても大きくて、亡くなったらその部分に大きな穴があいて、みんなでちょっとずつ埋めようとして集まっているような、そんな印象を持った。



 グレンのダブルスペイザーの開発が宇門博士か甲児君か、ということについて、私は宇門博士だろうという立場をとっている。ところが、(英さんもそうだったんだけど)、甲児君によるとか、光子力研究所の協力をかなり得たといった考え方もある。このあたりを確定させる資料は見当たらないのだけど、あの3つの研究所間の協力が簡単にできるという見方に違和感を覚えたので、ちょっとあれこれ書いてみる。

 まず、マジンガーZを作った兜十蔵博士が天才であることに間違いはない。光子力の研究の基礎も築き、光子力研究所を作った。

 光子力研究所の本来のミッションは、ジャパニウムと光子力の利用について研究することで、おそらく、その研究分野は自然科学の全分野に及ぶはずである。研究所に居る人々の専門分野も多岐にわたっているはずである。弓教授自身は、地質調査用のロボットは作ったが、本格的な戦闘用ロボットは結局開発していないし、Zについては運用と修理をやっていただけである。Zの運用をすることになったとき、運用に携わる人数を増やすなどして対応したのだろう。弓教授や三博士は、十蔵博士の弟子なのでそれなりにロボット工学もやるが、そちらに特化しているというわけでもなさそうである。また、スクランダー開発前に小型ロケットでZを飛ばしているが、気象観測用の小型のもので、上空を観測した後は地上に落下するタイプのものと思われる。スクランダーについては弓博士が設計し、誘導についてはスミス博士が担当した。
 Zの戦いの間は、超合金Zは国家機密指定されていたので、管理を一手に引き受けていたはずだし、精錬・鋳造設備があるのも公式には光子力研究所だけだから、戦いが終わって機密指定解除になったとしても、その後の供給や、利用研究の拠点となったはずである。

 科学要塞研究所はどうか。兜剣造博士は、兜十蔵博士の成果をさらに発展させている。Zより高性能なグレートマジンガーを設計製作、材料においてもより優れた超合金ニューZを開発している。秘密裡に科学要塞研究所を建設し、パイロットを訓練しつつ、十蔵博士のやってきたことをそのまま踏襲する方向で研究を行っている。グレートは、スクランブルダッシュという翼を持っており、これは最初から兜剣造博士によるものである。しかし、より大きな翼であるグレートブースターは、最初の設計がスミス博士によるもので、製作し完成させたのが兜剣造博士である。
 もともと、対ミケーネの基地として作られた戦闘目的の研究所であるので、光子力ビーム砲を備えている。兵器の開発もメインテーマの1つであったに違いない。
 ミケーネを倒した時点で一応の目標は達成したことになるが、その後はグレートの動態保存や保守などをすることになっただろう。

 宇宙科学研究所は、電波望遠鏡や宇宙望遠鏡を備えている上、宇宙ステーションの打ち上げやらスペースアイの打ち上げやらを自前でやっている。また、ダブルスペイザーは280トンのダイザーを飛ばしているわけだが、この重量のものを積んで離陸できる航空機は、現実の地球上には存在しない(Z、グレートの重量なら、積み込めれば輸送機で一度に運べるが)。ロケットの打ち上げと探査機や衛星の運用、重量物輸送できる航空機の開発(現実の重量物輸送できる航空機は宇宙用のシャトルやロケットの輸送のために作られた)、電波天文の技術を利用したSETI、といったことが宇宙科学研究所のやっていることになる。天文台兼エアロスペースインダストリーといった色合いが強い。

 光子力研究所と科学要塞研究所は、業務がかぶる部分もあるので、情報を開示しあえば、それなりに協力が可能ではある。しかし、科学要塞研究所が、ロボットの設計製作や超合金NZについて、光子力研究所から学ぶ部分は無いだろう。科学要塞研究所は、兜十蔵の仕事の直系に特化した研究を、戦闘目的でやっている。そのかわり、分野の拡がり(利用技術など)といった部分は、光子力研究所の方が進んでいるはずである。
 宇宙科学研究所は、興味の向きが全く違っていて、ロケットや航空機を作る技術の蓄積が突出している。一方、光子力研究所は気象観測用の小型ロケットしか持たず、軌道上に何かを打ち上げるどころではない。航空機の開発にしても、飛ばせる重量を考えると、むしろ先行しているのは宇宙科学研究所の方であるから、この部分で光研や科研から技術を学ぶ必要はない。しかし、超合金な材料を作るノウハウは全く無いから、買ってくるとかもらってくるといった形で2つの研究所の支援を仰ぐということはあり得る。

 マジンガーシリーズの3研究所は、個性も持っている技術も所長のバックグラウンドもまるで違うので、そう簡単に協力して何かをする、というのは無理ではないかと思う。支援を仰いだって仰がれたって、お互い困惑するだけではないかと。きっちり分担を決めておけばいいのだろうけれど……。



第6話:ヘルメットの色違い

|2008/8/20(水曜日)-23:58| カテゴリー: グレンダイザー
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 グレンダイザー第6話(「大空を斬る闘魂」)より。デュークのヘルメットの色が全部赤という珍しいシーン。

1-192-1.png


ヘルメット本体の色はグレーが正しい。赤いのはツノみたいな部分だけ。
 ひかる達の乗ったバスやTFOが円盤獣に閉じ込められてしまい、デュークは、どう対処すべきか宇門に相談する。方法はあるが危険だと言って、宇門博士が観測室を出て行くシーン。その観測室のスクリーンに出ていた姿がこれ。

 何回か通してDVDやらLDやらを見てきたんだけど、ヘルメット全体が赤になってるのは他には無かったと思う。
 塗り間違えたのか?やっぱり……。



 グレンダイザーで、デュークが地球に来るまでの時間経過について。
 マジンガーシリーズの物語中での時間は、放映当時の時代季節と同期したものである。これを前提にして年と月を振ってみる。
 まず、本編(第2話)では次のように語られている。

宇門「大介は、わしの実の息子ではない。君だけには、大介の本当の正体を話しておこう」
宇門「大介はベガ星雲にあるフリード星の王子だった。名をデューク・フリードという」
宇門「フリード星は科学の発達した、戦争を知らない平和な星だった。ところが……」
大介「ある日突然、ベガ星雲の完全征服をもくろむ恐星大王ベガは、連合軍を押し立ててフリード星に襲来した。罪もない人々が次々に殺され、緑の大地を非常の炎が焼き尽くした。そして、燃え落ちる王宮の中で……父と、母は……」
宇門「悲惨な最期を遂げられたのだ。フリード星の優れた科学力を我が物にしたベガ大王は、恐るべき戦闘マシンを作らせた。それがグレンダイザーだ。ベガは、グレンダイザーを駆使して全宇宙を征服しようと考えた」
大介「しかし、どんなことがあろうと、グレンダイザーを奴に手渡すことはできなかった。俺は牢を破り、グレンダイザーを奪って、フリード星を脱出した。(追撃される映像あり)グレンダイザーは果てしない宇宙空間を飛び続け、やがて、青く輝く美しい星にたどりついた。それが地球だった」
宇門「わしはたまたま八ヶ岳山中に不時着したグレンダイザーと半死半生のデュークフリードを発見した。それが、わしとデュークフリードとの、不思議な運命の糸で結ばれた出会いだった」
甲児「それで大介さんを息子同様に」
宇門「うむ……もうかれこれ二年前のことになる」

 この第2話放映は、 1975年10月12日である。大介が地球に来たのは、約2年前の1973年の10月前後、もう少し曖昧な部分を残すならば、 1973年の秋ということになる(英氏とは「かれこれ二年前」の幅をどう持たせるかで議論になっていた)。
 放映が始まった時の大介の年齢は推定20歳(テレビランドワンパック)。シナリオと企画書でも20歳だというのが、DVD-BOX1のライナーノーツの解説部分に記載されている。しかし、ライナーノーツに収録された企画書(『UFOロボ ガッタイガー(仮題)』)では、「宇門大介(デューク・フリード)(推定18歳)」とある。
 シナリオは未確認だが、一応、推定20歳としておく。
 71話で、フリード星脱出直前のシーンがある。このシーンに登場するデュークとモルスの設定画では、両方とも15才とされている。回想シーンなので、季節は不明である。71話の展開からいって、モルスと別れてからフリード星壊滅まで、長い時間はかからなかったものと思われる。従って、脱出時のデュークの年齢は15歳で、放映開始時は20歳、宇門博士に救助されたのが18歳の時、となる。フリード星脱出から地球にたどり着くまでに約3年かかっていることになる。この3年の間は、追撃されながらアンドロメダ星雲あたりを逃げ回っていたのだと考えるしかないだろう。フリード星壊滅は、地球時間でいうと、1970年の秋頃を中心にして1年程度の間のどこか、ということになる。
 マリアについては、9歳の設定画がある(魔神全書に掲載)。但し、侍従に連れられての脱出シーンと衣装は異なっている。マリアが登場するのが、 49話で、 1976年9月5日に放映されている。翌週( 1976年9月12日)放映の50話では、

宇門「うむ……しかしマリアちゃんをチームに加えることは……」
大介「マリアは、フリード王の娘です」
宇門「まだ14歳だよ、マリアちゃんは……」

というやりとりがある。
 これらの関係を図にすると、次のようになる(クリックで拡大表示)。

1-191-1.png

 マリアも大介も誕生日がわからないため、はっきり分かっている年齢を挟んで、前後1年がその年齢で居ることが可能な期間となる。この期間に含まれる1年間が、実際にその年齢でいた期間ということになる。デュークとマリアの年齢は独立に決めることができる。
 マリアが合流したとき、15歳になる直前だったとすると、図の青色の期間のうち早い部分のどこかの1年間が、マリアが14歳であった期間ということになる。これに連動して、9歳であった期間の方も決まる。9歳であった期間が、青で示した期間のうち比較的早い方に来れば、デュークが15歳、マリアが9歳でフリード星滅亡、さらにデュークが約3年程さまよった後、地球にやってくるということが可能になる。

【追記】
 英氏と議論になったのは、第14話(1976年1月4日放映)で、宇門博士が「正月を迎えるのも初めて」と言っていたことによる。
 まず、「正月を迎える」が、ただ単に1月1日を過ぎるという意味であれば、大介が地球に来たのが 1975年の1月1日以降でなければならなくなる。これでは、1975年10月12日にはまだ丸1年が経過していないことになり、「かれこれ2年」という宇門博士の台詞と矛盾する。この説は、英氏も私も採用していない。「正月を迎える」は、日常的な意味で、年末の大掃除や正月の飾り付けをして、初詣をしたりといった、年末年始定番のイベントを行ったという意味に解するべきである。
 大介が地球に来たのが1973年の秋だとすると、正月は、1974年1月1日、1975年1月1日の2回あることになる。1974年の正月は重傷を負っていて普通の意味でお正月イベントが不可能だったとしても、1975年をどうするかが問題になる。
 1975年の正月がどうであったかということについては、設定も資料も何もないので、解釈の付け方はいろいろあると思うが、これで確定というものがあるわけではない。
 私は、資料が無いのなら解釈次第でなんとでもなる部分はそのままにしておいて、宇門博士の「かれこれ2年」の発言を重視し、1973年の秋に大介がやってきたという立場をとっていた。英氏は歴史家なので、「かれこれ2年」の方に幅をもたせ、ぎりぎり遅い時期に大介がやってきた、つまり1974年の正月の後の可能性を考えていた。
 制作中のエピソード0で何らかの回答を出し、英氏に見てもらう予定だったが、それが叶わなくなってしまったのが残念である。