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絆 7

by Ree


 ピピピィ
 小鳥のさえずる声が聞こえた。
 屋上で、夕子は、うーんと背伸びをした。
 宇門は、そんな夕子を眺めて微笑んでいた。
「なんだかすごくすっきりしちゃった」
「夕子君、世話をかけたね。大介も君に救われた……」
「いいえ……私の方こそ、あの子に救われたわ……」
「あの子?」
 宇門は、夕子のその言葉に少しびっくりした。
「そう……私にとってはただの子供よ。ふふふっ」
「あんなでかい子供もいないと思うが……ははは!」
「ふふふ……ばらしちゃおうかな?」
「あの子……眠っている間、ずっとうなされてたの。私には、助けて!助けて!って、言ってるように聞こえて……思わず抱きしめてしまったの。大丈夫……大丈夫って言いながら」
「そしたら……小さな声で……母上って、そう言ったのよ」
「え?」
 宇門は、あまりの意外さに驚きの声をあげた。
「私、母親になった気分だったわ。まだ子供も居ないのにね。ふふふっ」
「あの子の心を解放してやりたかったの……私に出来ることはそれだけ……」
「いや……夕子君。君にしか出来ない事だよ。大介はきっとつかの間の幸せを感じた事だろう……ありがとう」
 宇門は、心底夕子に感謝した。
「先生……私、今日帰ります。お世話になりました」
 夕子は、宇門に頭を下げた。
「大介が寂しがるな……」
「先生は、どうなんですか?」
「あはは!わしも君の手料理が食べられないと思うと残念だよ」
「まぁ先生、私は家政婦さんじゃありませんよ!ふふふっ」
「そうだな。これからは加藤君の為に頑張っておくれ」
「先生!ご存じだったんですか?」
「あぁ……平井君に聞いていたよ」
「知っていて……ひどいです。先生!」
「すまなかったね。いやわしも懐かしくてつい……な」
「先生をこれ以上待ってたら、私おばあちゃんになっちゃうわ。だから、これからは彼と一緒に歩いていこうと思います」
「幸せにね」
 と、宇門は、これ以上ないと言う満面の笑みを讃えながら、彼女の幸せを願った。
「あっそうだ、あの子のご飯……。先生、付き添っててもらえます?目を離すとすぐに無茶するんだから!」
「あぁいいよ。出来ればわしの飯もお願いしたいがね」
「やっぱり……家政婦さんと思ってる様ですね。ふふふ」
 二人は笑いながら屋上を後にした。
 
 宇門が、部屋に入ると、大介は静かに眠っていた。昨日の苦しみが嘘の様に穏やかな顔をしていた。
 またすぐに辛い戦いがやってくる……だけど、今だけはゆっくり休ませてやりたいと宇門は願った。
 窓から見える景色は、さわやかな秋の気配を映し出していた。
 
「……父さん?……」
「あぁ目が覚めたかね?具合はどうだ?」
 宇門は、そう言って大介の側に座った。
「ええ……もう大丈夫です。心配かけました……」
「当分は、安静にしてろ。いいな」
「……はい……」
 大介は、そう言って目を伏せた。
「……父さん……僕は……」
「もうなにもよけいな事は考えるな!いいか……」
 宇門は、大介の左手を握り諭すように話した。
 
 コンコン
 よいしょ。と言いながら夕子が入ってきた。
「おお、夕子君。すまなかったね」
 そう言って、宇門は、荷物を持ってやった。
 大介は、先ほどの事が恥ずかしかったのか、少し視線をはずした。
「お待たせしました。研究所のキッチンって使いづらくって……大したもの作れなかったんですけど……」
 そう言って、宇門にお弁当を渡した。
 そして、大介のサイドテーブルに鍋を一つ置いた。
「ん?それは?」
 大介は不思議そうに聞いた。
「大介君は、怪我人なんだから消化のいい物と思って、雑炊作ってきたの」
「ちょっと待ってね」
 そう言いながら、夕子はベッドのリモコンスイッチを押して、大介の背中をあげてやった。
「これで食べられるでしょ」
 大介は呆気にとられていた。
 宇門はソファに座り、お弁当を開けて、おおこれは美味しそうだ。と言いながら食べはじめた。
 さてと。と言いながら、夕子は、鍋から小さい器に雑炊を入れて、大介の横に座った。
 夕子が、器からスプーンで雑炊をすくい……
「はい、あーんして」
 宇門は、ブッ、と吹き出した。
「あっあの……夕子さん、自分で食べられますから」
「怪我人は、黙ってなさいって言ったでしょ。はい、あーん」
「あの……左手は使えます……だから……グッ」
 夕子は、口に無理矢理放りこんだ。
「大介! 諦めろ……ぐふふ」
「父さん!グッ」
 また、無理矢理食べさせる。
「夕子さん、もういいです。お願いですから……」
「え?不味かったかしら?」
「いいえ。美味しいです。でも……」
「じゃもっと食べて。しっかり体力付けなきゃ。はい、あーん」
「うん。美味しいねぇ。夕子君の手料理は」
 そう言いながら、宇門は笑っていた。
 結局、大介は笑われながらも食べさせてもらう羽目になってしまった。
「ごちそうさま。さてと、わしは仕事に戻るから、夕子君、後よろしくお願いするよ」
 と立ち上がり、クックックッと笑いながら出ていった。
「父さん!グッ」
 宇門に笑われて真っ赤になってる大介の口に、また夕子が無理矢理突っ込んだ。
 宇門は、観測室に向かう廊下で、大爆笑してしまった。
「あははは!初めてみたぞ。大介のあんな顔……あははは!」
 その声は、観測室にも届いていた。
「あれ?所長の笑い声……?」
 と林所員が、びっくりしていた。
「きっと、大介君が元気になって安心したんだろ」
 と、佐伯所員がよかった。と言う顔で答えた。
 
「美味しかった?」
 夕子は、片づけをしながら大介に問いかけた。
「……ええ……ありがとうございました」
 大介は、左手で、頭を掻き、照れ笑いをしていた。
 夕子は、大介の横に座り、
「私、今日帰るわ」
「え?いいんですか?……父のこと……」
 夕子は、しばらく沈黙してから、
「……ふふふっ、私、結婚するわ……」
「え?」
「ずーっとプロポーズされてたの……兄の同僚の方に……」
「でも、私ずーっと迷ってて……だって初恋だったのよ。先生のこと……先生は忙しくてずっと会ってなかったけど、でも思い切れなくて……」
「兄に、いい加減にしろ!って怒られちゃって……先生は、お前なんか相手にしないぞ!って、そう言われてムカッて来て、じゃぁ会いに行くわ。って飛び出して来ちゃったの」
 大介は、驚きながらも静かに聞いていた。
「ここに来てよくわかった……」
「私は、いつも自分の事ばかり……過去だけを見て生きて来たわ……」
「あなたには、人に寄りかかれって言ったけど、私は反対ね……誰かにもたれかかってないと生きていけないんだわ。もっと自立しなきゃ」
「あなたにそれを教えてもらった……ふふふ……こんなおばさんになってるのに今頃わかるなんって、情けないわね……」
「……夕子さん……」
「それに、私、先生を待ってたらおばあちゃんになっちゃうもの……子供産めなくなっちゃう」
「私って、母性本能があったのね……あなたのお世話して、よくわかった」
「全く……図体ばかりでかくて、号情っ張りで、大きな子供なんだから……あなたって子は……ふふふ」
「でも私には一番心をくれた人……ありがとう」
 そう言って夕子は、大介の左手を自分の頬にあて目を閉じた。
 (夕子さん……)
 大介は夕子の言葉が嬉しかった。
「さてと!体拭いたげるわね」
「え?いいです!自分で出来ます」
「怪我人は黙ってなさい」
 そう言って夕子は、外に出てバケツにお湯を入れて持ってきた。
 熱いおしぼりを作ると大介の顔を拭こうとした。
「あっあの……自分で出来ます。出来ますから……」
「もーこの子は!黙ってなさいって言ってるでしょ!」
 夕子に怒られて渋々されるがままになっていた。
 そこへ……
「ちーっす!」
 と言いながら甲児がドアを開けた。
 目に飛び込んできたのは、大介がきれいな女性に覆い被されて抱きついている姿だった。
「え?」と、甲児。
「あっ!」と、大介。
「あら?」と、夕子。
 ドアを開けたまま甲児は固まってしまった。その間、数秒……
「失礼!」
 ドアを開けた手で、そのまま閉めて走り去った。
「お・おい!甲児君!おい!うっ……」
 甲児を呼び止めようと上体を起こした大介は、傷が痛み、唸った。
「うふふ、誤解されてしまったようねぇ……彼が甲児君ね」
「全く……当分彼に嫌み言われそうだよ……」
 ふぅやれやれと言う顔で大介はため息をついた。
 
 身支度を整えた夕子は、大介に向かって、
「じゃ、帰るわ……」
「夕子さん……ありがとうございました。……もう会えないかもしれないけど、あなたには感謝してます」
 がはっ!夕子は、大介を抱きしめた。
「会えないなんて言わないで……生きてればまた会えるわ」
「決して命を粗末にしないで……生きることを考えるのよ。私は遠くからあなたの無事を祈ってるから……」
 そのまましばらく夕子は、大介を抱きしめていた。
 (……ありがとう……)
 大介は、心から感謝し、初めて自分も夕子を抱きしめた。
 そして夕子は、じゃ……と言いながら部屋を後にした。
 
 甲児は、ぽかんっと口を開けたまま所長室に入っていった。
「ああ甲児君、どうしたんだね?」
「え?あっ?いえ……びっくりしちゃって……」
「何かあったのかね?」
 宇門は、きょとんとした顔つきで聞いた。
「いえ、大介さんが……きれいなお姉さんと、なんかいちゃいちゃ……」
 さては見られたな……
「ふふふ……甲児君、すまんがからかわないでやってくれよ。でないと大介が拗ねるから……あははは!」
 宇門は、大声で笑った。
「はぁ……?」
 甲児は宇門が笑っている理由がよくわからなかった。
 コンコン
 はい。と言うと夕子が入ってきた。
「あら?甲児君ね。先ほどは誤解されちゃった見たいね……ふふふ」
「え?誤解?」
 甲児は、きれいな人が話かけて来るので、少々舞い上がった。
「変な誤解しないでね。あの子の体を拭いていただけだから。でないと、ひかるさんに怒られちゃうわ」
「えー?なんだ。そうだったのかー!……え?(あのこ?)」
 何もかもが甲児には驚きで、訳が分からなかった。
 夕子は、真っ直ぐ宇門を見て、
「先生、ありがとうございました。帰ります」
「うむ。世話になったね。ああそうだ。甲児君。すまんが夕子君を駅まで送ってくれないかな?」
「ええ、いいっすよー!こんなきれいなお姉さんなら、何処までだって付いて行きますよー」
 あはは!一同声をあげて笑った。
 さぁ下まで送っていこう。そう言って宇門は、一緒に玄関まで下りていった。
 玄関まで来ると、ひかるがジープでやってきた。
「おじさま、大介さんの具合どうですか?」
 ひかるは心配そうに聞いた。
「あはは!ぴんぴんしとるよ」
 と、ひかるに向かって微笑んだ。
 よかった。とため息をつき、夕子が荷物を持って立っているのが目についた。
「夕子さん。帰るんですか?」
「ええ、ひかるさん。本当にあなたには感謝してるわ。ありがとう」
「おまたせー!」
 と言って、甲児がジープを回してきた。
「甲児君が送っていくの?」
「ああ。美女の為ならどこまでもーってね」
 と甲児は、いつも調子がいい。
「じゃ、私もついていくわ。甲児君一人じゃ心配よ」
 そう言ってひかるは、ジープの後部座席に乗り込んだ。
「なんだよー!」
「なによ。美女が二人もいて幸せでしょ!?」
「えー?そりゃそうだけどさー」
 あはは!一同みんな大笑いした。
「じゃ、先生……」
「うむ。元気でな……平井君と加藤君によろしく伝えてくれたまえ」
 そう言って宇門は、夕子に微笑みかけた。
 ブーンブーンとけたたましい音を立てて、ジープは走り去っていった。
 
 
 カチャ
 ドアを開けると、大介はじっと左手を眺めていた。
「夕子君は、帰ったよ……」
 宇門が入ってきたので、大介は少し頬を赤らめてはにかんだ。
「ええ……」
「父さんはよかったんですか?」
 大介は聞いてみた。
「なにが?彼女は、加藤君と結婚するんだよ?」
「えー?父さん知ってたんですか?」
「ああ、もちろんだとも。平井君に電話で聞いていたよ」
 大介は絶句した。
「……僕だけ蚊帳の外だったんですか?……僕は、てっきり父さんもその気なんだと……」
「ああ……すまなかったね。先に話しておくつもりだったんだが……余計な気を使わせてしまったね」
 そう言って宇門は窓辺に立ち、遠くの景色を眺めていた。
「ちょっと勿体なかった……と思ってるんじゃないんですか?」
「ああ?……そうだな。彼女の料理は絶品だ」
「いやそうじゃなくて……大体もう若くないのに……あんな若い人……勿体ない……」
 大介は宇門をからかうように言った。
「何をいっとる。わしはまだ若いぞ! お前こそ寂しいんじゃないのか?」
「え?あ・あれは夕子さんが無理矢理……」
「ふふふ……それだけかね?」
「え?」
「わしは、お前がマザコンだなんて知らなかったよ……はははは!」
 宇門にからかわれて、大介は耳まで真っ赤になり、上掛けをすっぽりとかぶってしまった。
 
 外の景色は今日も平和であることを告げていた……

 —終—

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