絆 1
by Ree
月明かりが川面に揺らいでいる。
空には雲もなく、満点の星が輝いていた。
宇門源蔵は、分厚いデータファイルからまた細かくデータ分析するため書斎のデスクに向かっていた。が、ふと鳥の鳴き声に手を止め、小さくため息をつきお気に入りのパイプに手を伸ばした。
カチッ
パイプに火を付け、立ち上がり、惹きつけられるように窓の外の景色を眺めていた。
「静かだな…… こんな日は気持ちが和らぐ……」
しばし煙を揺らめかせていた。
コンコン…… ガチャ!
「父さん、コーヒーでもどうですか? 一緒に飲もうと思って……」
息子の大介がトレーにマグカップを二つ乗せて入ってきた。
「あぁ、ありがとう。今一息入れていたところだよ」
大介はマグカップを父にわたし、自分もカップを手に取り二人並んで窓の外を眺めた。
「静かですねぇ。こんな日はなんだか心が落ち着きますね」
「あぁ、そうだな…… きれいな星空だ……」
自分と同じ想いを抱いた事が よけい宇門の心を和ませた。
いつもどうしてわかるのだろう。タイミング良く彼はこの部屋に入ってくる。
そしてその仕草や言動は、いつも宇門の心を和ませた。
多分それだけ自分に気を配ってくれているのだろう。それは彼の所員に対する態度から見てもわかる。
過ぎた息子…… と、宇門は目を細めながらコーヒーを口に運んだ。
息子と呼ぶようになってかれこれ3年ほどになる。今では本当の親子のようだと自負しているが、果たして彼はどう思っているのだろうか?
大介は、多くは語らない。無口では無いのだが自分の事は進んで話さない。いや話せないのかもしれないと思うと、時折不憫にも思えた。
宇門はまたパイプをくわえ、軽く目を伏せた。
「今日、吾郎君が小さい子犬を拾ってきましてねぇ」
しばらくの沈黙の後、宇門の心を知ってか知らずか、大介が話しはじめた。
「ほぉ……子犬をねぇ」
「僕が母親になるんだって、張り切ってましたよ」
「そしたら団兵衛おじさんがいきなり怒って……」
「バッカモーン! お前は牧葉家の長男だー! なるんなら父親だろうがー!って」
「なんだか変なところでムキになっちゃって、またいつも通り喧嘩ですよ……」
「ははは! 団さんらしいね」
「おじさんは、まだちっちゃい子犬に、お前は立派な牧羊犬になるんだぞって言い聞かせてるし……吾郎君は、この子は女の子なんですから大人しいかわいいレディに育てるんです。お姉ちゃんみたいにお転婆になったらどうするんですか?って……」
「あははは!」宇門は声をあげて笑った。
「それを聞いてひかるさんがまた怒り出して…… 三人でまた大喧嘩ですよ。全く……」
「あははは! あの親子らしいな」
「ええ全く…… いい親子ですよ」
二人は笑いながら会話を楽しんでいた。
リリーン リリーン
遮るように電話が鳴った。
宇門はマグカップをデスクに置き、せっかくの楽しいひとときなのにと迷惑そうな顔で、夜も遅い電話に手をかけた。
「はい、宇門です」
「え?あ……ああ……平井? 平井君かね……久しぶりじゃないか。懐かしいねぇ。どうしていたかね?」
どうやら電話の相手は昔の宇門の知り合いの様だった。
「元気でやっているかね? あぁ……うん……、ほぉ……」
そこまで聞くと大介は空いたマグカップをトレーに乗せて黙って部屋を出ていった。
朝……白樺牧場はあわただしい朝の仕事が始まっていた。
ひかるは、山羊の乳搾りをしており、その傍らで吾郎がちっちゃい子犬を抱きながら、
「お姉ちゃん、この子お腹空いてるんだからさぁ、早くしてよぉ」
「わかったわよ。ほぉらどうぞ」
ひかるは小さいボールに搾り立てのミルクを入れてやった。
「美味しいかい? いっぱい飲んで大きくなるんだよ」
吾郎はミルクを一生懸命飲んでいる子犬の頭をなでてやった。
大介は搾り立ての牛乳のボトルを荷車に積んでいた。
「大介さーん、みてー。この子いっぱいミルク飲んだよ。きっと大きくなって美人さんになるよね」
と、吾郎は大はしゃぎしている。
「うん。吾郎母さんがついてるんだから、きっとかわいいレディになるよ。ひかるさんみたいにね」
と、吾郎にウインクして見せた。
「まー大介さんたら、お世辞言っても何もでませんからねー!」
ひかるはぷいっとふくれっ面をして見せた。
大介は首をすくめ、やれやれ……と笑った。
3人の笑い声が朝の柔らかな日差しの中に響いていった。
朝の一仕事が終わる頃ジープで甲児がやってきた。
「おはよー!みんな早いねぇ」
腕をうーんと伸ばしてあくびをしながら歩いてきた。
「甲児君、おはよう。仕事手伝ってくれるつもりだったのならもう終わったわよ」
少し嫌みそうにひかるが言った。
「ちぇっ! ひかるさんにはかなわねぇや……」
大きなバケツを提げているひかるに近づき、代わりに持ってやった。
「ありがとう、さすが甲児君ね。じゃこれもお願い」
ともう一つのバケツを渡した。
「はいはい……お手伝いいたしますっと……」
あははは!二人は連れだって馬小屋に入っていった。
馬小屋では大介が干し草の整理や片づけをやっていた。
「大介さん おはよー」
甲児がバケツを二つ提げて入ってきた。
「甲児君、おはよう。あれ?手伝ってくれてるのかい?感心感心♪」
大介は大きな鍬で干し草をほぐしながら言った。
「いきなり嫌み言われちゃぁ、手伝わないとねぇ……」
甲児はバケツを馬小屋に置き、頭をぽりぽりと掻いた。
「あっそうだ、大介さん。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「え?」
「新しい俺の円盤の事なんだけどさ、ちょっと行き詰まっちゃって…… ちょっと設計図見てもらえないかなぁ?」
「え?甲児君。また新しい円盤を考えているのかい?」
「何とかサイクロン砲を効率よく動かしたくてさ。今度は凄いの考えてるんだ。だからさぁちょっと見てもらえないかなって……」
「わかった。でも今は忙しいから、昼からでもいいなら研究所の方に行くよ」
「オッケー! じゃ俺今からまた設計図引いてくるよ。なんだか燃えてきたぞー」
甲児はガッツポーズをして見せた。
「あはは! 甲児君はいつも前向きだねー」
「じゃ 後でな!」
甲児はそこまで言うと馬小屋から走り出してジープに乗って行ってしまった。
「ちょっと甲児くーん!」
ひかるが慌てて呼び止めようとしたが、甲児は走り去ってしまった。
「なによ!手伝ってくれるんじゃなかったのぉ? もう!」
「あはは! 甲児君は今新しい円盤の事で頭がいっぱいらしいよ」
「甲児君らしいわね。走り出したら止まんないんだから」
あはは と二人は笑いながら仕事を続けた。
昼少しを回った頃、大介はデュークバギーで研究所に向い、玄関に横付けすると観測室に向かった。
キューーン
自動ドアが開くと、所員達が雑談をしていた。
「あれ? 父さんは?」
「あっ大介君。所長は今来客中なんですよ。応接室にいます」
背の高い山田所員が説明した。
「来客?」
「それがね、とびっきりの美人さんなんですよー。あの人、絶対独身ですよ。だって指輪してなかったもんな」
林所員が説明する。
「おっ!林君、観察が鋭いねぇ。きっと大和撫子ってああいう人を言うんだろうなぁ。奥ゆかしくて、品があって……」
佐伯所員が続けて羨ましそうにしゃべった。
「へぇ、珍しいね。父さんに女性の客って」
「所長もまんざらでもなかったなぁ……あはは」と山田所員。
「あの人だったら誰でも鼻の下伸ばしちゃいますよー」と林所員。
「林さん、その話、彼女には内緒にしときますね」と大介。
「いや、こりゃまいったなー。あはは!」
林は頭を掻きながら照れ笑いをした。
「じゃ、僕、甲児君と設計室にいますから……」
「(お客さんに)会わないんですか? 勿体ない……」
「おじゃま虫は、いない方が良いでしょ? ははは!」
と笑いながら大介は観測室から出ていった。
設計室に向かう途中、大介は昨日の電話を思い出していた。
多分昨日の電話はそういう事なのだろうと納得していた。
大介は息子になって約3年。
父の昔の知り合いは自分の存在を知らない。本当の事を説明する事は出来ない。自分を紹介する度、困惑する知人や父の態度を見るには忍びなかった。だからなるべく昔の知り合いには会わないようにしていた。まして女性ならば尚のこと、なるべく自分の存在を知らせない方が良いだろうと大介は足早に設計室に向かった。
コンコン……カチッ!
設計室のドアを開けると、散乱した図面と腕組みをしてドラフターの前に座り込んでいる甲児がいた。
「へぇ? 凄い図面の量だね。甲児君一人で書いてるのかい?」
「あぁ 大介さん。コンピュータで図面起こすのもいいんだけど、俺、手書きの方が性にあっててさ……」
「そりゃ甲児君らしいねぇ」
散乱している図面を取り上げ、大介はまじまじと眺めていた。
「この詳細図、よく書けてるよ。これが手書きとは、驚いたなぁ……」
「図面が書けてもそれが動かなきゃ意味が無いんだ!俺は早く大介さんの片腕になりたいんだ!」
「ありがとう、甲児君。でも無茶はしないでくれよ」
「無茶は俺の十八番だからね。いい加減大介さんもあきらめてくれよ」
「あはは! 強い味方だ」
「でさぁ、ここをちょっと見てくれないか?」
甲児はドラフターに挟んである図面を指さし、説明をはじめた。
大介も図面を覗き込み、
「ふん・ふん……」
「ここにサイクロン砲を取り付けて、その横に光子力ビームも取り付けたいんだ。そうなるとスペースの問題が出てくる。ここをどうやって確保すればいいのか……」
甲児は頭を抱えた。
「う〜ん、ここのスペースの確保は難しいな……う〜ん……」
「これをここに移動すれば……」
大介は図面を指さし話を続けた。
「大介さん、そうするとさぁ、また今度はエンジンの出力の問題が出てくるんだ」
「あぁ、そうだな…… じゃこうすれば……いやそれもまずいな……」
「俺、こうすればどうかって、考えてるんだけど……」
「う〜ん、そうできればいいんだが……」
二人は設計図を前にしてああでもない、こうでもないと議論していた。
二人がふぅっとため息をついた頃には夕方になっていた。
「お? もうこんな時間だ。甲児君すまん、牧場の仕事を残していたんだ。続きは今晩ということでいいかな?」
と大介は腕時計に目をやり、甲児に説明した。
「もうそんな時間かぁ……オッケー、続きは夜にしようぜ。俺も少し外の空気を吸ってくるよ。」
大介は、じゃ!と片手をあげ設計室を後にし、慌てて外へ飛び出し、バギーで白樺牧場に向かった。
(ん?大介……こっちに来てたのか……また牧場に向かったな?)
応接室の窓からパイプをくわえ外を眺めていた宇門は、慌てて走り去る大介を窓から見送った。
「先生のパイプの匂い……懐かしいわ。今でも同じ銘柄なんですね。あのころを思い出しますわ……」
応接室のソファには30半ばのきれいな女性が座っていた。
優しい面もちで、線が細く、髪の毛は緩いウエーブがかかっており肩まで伸びていた。
「そうだね。あのころからずーっと同じ銘柄だからねぇ」
「夕子君、今日は実に楽しかったよ。わしも久しぶりに若返った気持ちだよ」
「いえ。先生はいつまでもお若いですわ」
夕子と呼ばれるその女性は、くすっとはにかんだように笑った。
「あの、研究所は案内してもらえませんの?」
「いや、すまんね。研究所は部外者の立ち入り禁止なんですよ。一般の方はここまでということで……」
「そうなんですか…… 先生のお仕事ぶりを拝見したかったのですが……残念ですね」
夕子は儚く笑った。
「先生はこちらの研究所にお住まいなのですか?」
「いや、同じ敷地内に居宅を構えてるんだが……」
「じゃ、そちらにおじゃましてもよろしいかしら?」
「男所帯のむさ苦しいところですよ。そんなところでよければ……」
「嬉しい……今晩泊めていただけます?」
夕子はすがりつくような目で宇門を見つめた。
宇門は少しびっくりしたが、
「私は仕事がありますので、あまりおかまいできませんが、それでよろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
夕子は少女の様に微笑んだ。
宇門は、では車を回してきましょう。と言って、夕子を伴って応接室を後にした。
宇門邸は華やかさは無いものの、しっかりとした造りで、周りの景色に溶け込んで落ち着きを見せていた。
宇門は、玄関を開けて夕子を招き入れた。
「さぁ、どうぞ」
夕子は辺りを見回しながらも、宇門のエスコートに心を躍らせていた。
宇門は夕子をリビングに案内した。
宇門邸のリビングは20畳ほどの大広間だ。窓はフルオープンでウッドデッキへと続いている。窓を開け放つと、少しひんやりとした外の風が心地よく入ってきた。
チッチッチッ…… 小鳥のさえずりが聞こえる。
「ああ、なんて素敵なところなんでしょう♪ そう言えば、以前、兄と一緒に天体観測所に連れて行っていただきましたね。あの時もこんな心地よい風が吹いて、私なんて素敵なところなんだろうって大はしゃぎしてましたわ」
夕子は、長い髪の毛を風になびかせながら、ウッドデッキの手すりにもたれかけ懐かしそうに微笑んだ。
「ははは、そんな事もあったかね? 風が気持ちいいでしょう。ここは私のお気に入りの場所なんですよ」
「夜には息子も帰ってきます。三人で一緒に食事でもしましょう」
「え?」
夕子の顔色が一瞬変わった。
「息子さんがいらっしゃるのですか?」
「さっき研究所に来ていた様なんだが、また牧場の方に行ってしまったようで……」
宇門は、嬉しそうに息子の話をしていた。
夕子はじっと下を向き、手すりを持っている手がわなないていた。
宇門が話しかけていたが、彼女の耳には届いていなかった。
「夕子君?」
「え? あっ? はい?」
夕子はびっくりしながら振り返った。
「部屋に案内するよ。荷物はそちらに置きたまえ」
「あっ……はい……」
夕子はもうこれ以上長居する気はおきなかったが、自分から泊めて欲しいと言い出した手前渋々ついていくしかなかった。
廊下を歩いていく途中あたりを見回したが、女性が一緒にいるような気配は無かった。
(息子さんがいても奥さんがいる感じじゃ無いわね。男所帯って言ってたし……決心して出てきたんだもの……このままでは帰れないわ)
夕子はとぼとぼと宇門の後ろをついていたが、やがて顔を上げ、決意した様に歩き出した。
2階のゲストルームに荷物を置き、軽く身支度を整え、用意してあったエプロンを持ってダイニングルームへと向かった。
ダイニングルームに続くキッチンでは、宇門が、さてどうしたものかと悩んでいた。
「あの、先生……夕飯の準備お手伝いしますわ」
「おお?そうかね。食材は切らさないようにしてあるんだが、実は料理は苦手でね。大抵研究所で食事をとっているし、家に居るときは大介が作るんだが……」
そういいながら調理スペースを彼女に譲った。
「昔からそうでしたわね。アパートメントに伺うといつも店屋物ばかりで……」
「そうだったかね? そういえば君はお兄さんの平井君と一緒によく遊びに来ていたね。そう確かシチューを作ってくれたことがあったなぁ。君のシチューは美味しかったよ」
「まぁ覚えていてくださったのですか?うれしいですわ」
夕子は宇門が自分の事を忘れずにいてくれたのだと思うと嬉しくてたまらなかった。
「兄は、なんだかんだと先生のアパートメントにお伺いするものだから、私も一緒に連れて行って!て兄に無理矢理頼み込んだんです。あの頃は本当に楽しかったわぁ」
「今日は時間が無いからシチューは無理ですけど何とか頑張ってみます」
「うむ、すまんね。客人にそんなことをさせてしまって……」
「ご遠慮なく。料理は得意なんですから」
夕子はとびっきりの少女の様な笑顔を宇門に向けた。
「おぉそうだ、大介に電話しておこう。早く帰ってくるようにね」
ぴくっ!と彼女の手が止まった。
「いや自慢の息子でね。歳は君の方が近いしね。話も合うと思うよ」
と言いながらダイニングルームを出てリビングルームに向かった。
(自慢の息子……先生はいつご結婚を?)と聞きたかったが言葉に出せないでいた。一番聞きたくない言葉だった。
しばらくして宇門が戻ってきて、
「では申し訳ないんだが、少し研究所の方に仕事を残してきているのでね。料理が出来上がる頃戻ってくるよ」
宇門は夕子に微笑みながらダイニングルームを後にした。
白樺牧場では、大介と団兵衛が牛を牛舎に入れるため馬で追い立てていた。
「はーっ!」
「そぉれーそれそれーっ」
牛が大人しく牛舎に入ったとき、ひかるが大声で叫びながらやってきた。
「大介さーん! おじさまが今日は早く本宅の方に帰って来るようにってー!さっき電話があったわよー!」
「え?父さんが?なんだろ?」
牛舎の片づけをしながら大介が言った。
ひかるが側にやってきて、
「もうここは私がやるから、先に帰って」
と言って、ひかるは牛たちのブラッシングをはじめた。
大介は心当たりがあった。きっと林さん達が話していた女性の事と関係あるんだろう。
そう思うと憂鬱になった。
「いや きっと大した用事じゃないよ。急ぎなら緊急コールが入るだろうし……それにひかるさん一人じゃ大変だしね」
そう言って大介も牛たちのブラッシングをはじめた。
「え?でも おじさまに悪いわ?」
ひかるは腑に落ちなかった。なんだか大介が帰りたくない様に見えた。だが大介と一緒に仕事ができるのが嬉しくてあまりしつこく言わなかった。
「さっさと済まして帰るさ」
そういって大介は牛たちのブラッシングを続けていた。
「ふぅ〜 やっと終わったわね」
ひかるは額の汗を拭いながらため息をついた。
「大介さん、もう遅いわよ。早く帰った方がいいわ」
バケツやブラシを片づけようとしている大介の荷物を取り上げてそういった。
「あぁ、そうだな。そろそろ帰るよ」
大介はお先にといってバギーに乗って帰った。