UFOロボ・グレンダイザー パロディ編 真夏の夜の悪夢[[ナイトメア]]
● PHASE 1 北八ヶ岳、蓼科高原
長野県、蓼科山の北側斜面、標高約一八〇〇メートルの地点に宇宙科学研究所がある。施設全体は、信濃川の支流に面したダムと一体構造となっており、巨大な観測ドームの上に、直径五十メートルを超える電波望遠鏡のパラボラアンテナや、指向性の強い通信用のアンテナを展開していた。観測ドームの背後には、航空機[[スペイザー]]用の巨大な発射台[[ランチヤー]]が三基そびえ立っている。研究所のほとんどを被うドームはフルオープンとなっており、発射台[[ランチヤー]]の先端部と中程に、衝突防止灯のフラッシュ光が一秒に一回点滅していた。宇宙人実在説を唱える異端の天文学者、宇門源蔵博士を所長に戴くこの民間研究所は、小規模ながらも、天文台兼航空宇宙技術工廠[[エアロスペース・インダストリー]]として活発な活動を行っていた。
観測室では、林、佐伯、大井、山田の四人の所員がそれぞれの専門を活かして、宇門をサポートしていた。それ以外にも、何人もの技術者がロケットの製作と打ち上げや航空機の整備などの作業を行っていた。
その蓼科山山中の研究所からさほど遠くない斜面に、唐突に、それは出現した。最初はぼんやりとした光を放っていたそれは、急速に明るさを増しながら、二体の人型をとった。片方は短めの尖った髪、もう片方は緩やかにウエーブした肩まである髪をもつその人型は、光のオーラをまとった若い男性の裸であった。足下のあたりは光が弱く、周りの闇にとけ込んで形がはっきりしない。
二体は腰を下ろして互いに向き合い抱き合った。髪の短い方が長い方の唇、肩、胸、と順番にキスをし、そのたびに髪の長い方が身悶えする。やがて、髪の短い方が左手で相手を支えながら、手を股間へとのばした。髪の長い方が身をよじりつつ寄りかかる。ため息とあえぎ声でも聞こえてきそうな風情であったが、斜面を時折吹き抜ける風以外の物音はない。
輪郭がはっきりしないが、遠目に見れば、単なる若い男性のホモセックス行為そのものであった。唯一つ、その二体の身長が約三十メートルであったという点を除けば。
● PHASE 2 蓼科高原、シラカバ牧場
「さあさあ、宇門先生、ビールをどうぞ」
牧葉団兵衛に言われて、チェック柄の帽子にマント姿の宇門はジョッキを差し出した。
シラカバ牧場は、宇宙科学研究所から二キロメートルほど離れたところにある。研究所から原生林の間の曲がりくねった道を北東に進むと、途中に宇門邸があり、さらに道なりに進んだ先の開けた平地がシラカバ牧場で、その脇に牧葉家があった。牧場は、牧葉団兵衛と宇門が共同で出資して経営していたが、研究所の仕事が多忙を極めていたため、実際の作業は牧葉一家、つまり団兵衛と娘のひかると息子の吾郎がほとんど行っていた。
三年ほど前から、宇門の息子の大介が、研究所の仕事を手伝うかたわら、牧場の仕事を手伝うようになっていた。大介というのは地球人としての名で、本名はデューク・フリードといい、アンドロメダ星雲のフリード星から地球にやってきた宇宙人である。フリード星はベガ星連合軍に侵略され、フリード星の王子であったデュークはフリード星の守護神グレンダイザーに乗って命からがら母星を脱出した。追撃を振り切ってほとんど墜落同様に地球に不時着したデュークを、宇門が発見し、保護して手当を行った。その後しばらくは平穏に暮らしていた。やがてベガ星の地球侵略が始まると、デュークはグレンダイザーを駆って戦うようになり、研究所は戦闘支援施設としての役割を担うことになった。同じ頃に、NASAから宇門を頼ってやってきた兜甲児も、共に戦いに身を投じた。既に戦いが始まって一年近く経っていた。デュークに先立って、侍従と共に地球に逃れてきていた妹のグレース・マリア・フリードが合流してきたのは、ついこの間のことである。
シラカバ牧場では、お盆の行事である、仮装盆踊り&バーベキュー大会が始まったところだった。近隣の牧場の人たちや住人たちと研究所のメンバーが集まり、親交を深めようという企画である。
牧場の端にバーベキューのコンロが五つほど置かれ、すでに野菜や肉の香ばしい臭いがあたりに漂っていた。テーブルには、ビールや日本酒やジュースがの瓶が並び、ガラスのジョッキやグラスに混じって、使い捨ての紙コップや紙皿や割り箸が用意されていた。
愛用のパイプを口に、シャーロック・ホームズになりきった宇門が、西部劇スタイルの団兵衛にビールを注いだ。近くの牧場からやってきた牧童達の扮装は、例年通り、思い思いにガンベルトや保安官バッジをつけての西部劇スタイルが多かった。
「思ったより暑くありませんね、所長」
宇門と同じ、英国紳士の格好をしたワトソン役の山田が言った。
「うん、今夜はよく晴れているからね」
「お、先生は探偵コンビですか」
甲児に声を掛けられて、宇門と山田は振り返った。頭にプラスチック製の緊箍を付けた孫悟空姿の甲児が立っていた。
「おや、そちらは西遊記の一行かね。みんな上手いねえ、よく似合ってるよ」
長い上着に冠の三蔵法師がひかるで、沙悟浄が背の高い大介、猪八戒が最近太り気味の林であった。大井と佐伯は色の違う古代中国の拳法着にひょうたんを下げて、金閣・銀閣に扮していた。
「まあ、先生。でも、衣装の準備するのが大変だったんですよ」
「こういうの、僕は初めてで……」
「これ、お似合いだって言われちゃいましたよ。もうちょっとスマートにならなきゃって、ちょっと気にしてたところだったのに」
林の不満気な口調に、武将姿のマリアと吾郎が吹き出した。
「おや、マリアちゃんと吾郎君は何かね?」
「二郎真君と三太子です、おじさま」
「僕の絵本をみて決めたんだよ、先生」
「活発な君たちにぴったりだねぇ。ところで甲児君、私としてはその緊箍の本物が欲しいところだね。君ときたら、いつも私の言うことを聞かずに飛び出していってしまう」
「参ったなあ、先生……」
甲児が照れたように笑った。
「先生、乾杯の音頭をお願いしますぞ」
団兵衛がに促されて、宇門は周囲を見回した。
「それではみなさん、お盆の夜のひとときをどうか楽しんでください。乾杯!」
宇門がジョッキを高く掲げた。乾杯、の声が続き、そのあと各々が皿の料理に手を伸ばした。誰かが音楽をかけたのか、テンポのよい曲が流れ始めた。
「盆踊りっていうよりも、ディスコにでも来たみたいだねぇ、お姉ちゃん」
「若い人たちにはきっとこの方がいいのよ、吾郎」
ひかると吾郎は連れだってバーベキューのコンロの方へ歩いていった。
参加者たちもコンロのまわりに群がったり、いくつか用意された椅子に座って酒を酌み交わしている。
「おや、大介も甲児君も飲まないのかね?」
参加者の間を回って挨拶をしてきたあと、団兵衛に勧められるままに飲んでいた宇門は既にだいぶ酔っていた。まっすぐ立っているつもりでも上体が揺れていた。
「先生、僕はまだ未成年ですよ」
「父さん、何かあったら僕は出撃することになりますからね」
「---そうか、私達だけ羽目を外してしまったようで、悪いね。たまには君たちにもリラックスしてほしかったのだが」
山田は赤い顔で椅子にすわってぐったりしていたし、佐伯と大井はすっかりできあがって、朗らかに談笑していた。
「甲児君、林君はどうした?居ないようだが……」
「さっき、通信機の警報[[ブザー]]が鳴ったので、様子を見に研究所に戻りました」
「何!またUFOでも現れたのか?」
「そうじゃなくて、どうも、自動でやらせてる観測の方のトラブルらしいって」
「ふむ。このところ順調だったのだがねぇ」
宇門が考え込んだ。
牧場の門を結構なスピードで通過した研究所の特殊バスが、派手な音を立てて急ブレーキをかけた。運転席のドアから、猪八戒の仮装のままの林が走り出てきた。宇門がそれを見てわずかに顔をしかめた。
「林君にしては乱暴だな。いくら私有地でも酔っぱらい運転は良くない……」
「所長、大変です!」
他の参加者を驚かさないように、林は、宇門の側まで来て小声で言った。
「何かあったのか?」
「それが……研究所の近くに幽霊が出ました」
「トラブルの報告に幽霊が登場するのは初めてだな。お盆らしいとは思うが、酔っぱらって幻でも見たのではないかね?」
「私だってそう思いたいんですが、観測に影響が出始めてまして」
「わかった。とにかく研究所へ戻ろう。他の所員達も呼んできてくれ」
「先生、僕が三人をジープで送ります。飲んでないのは僕と大介さんだけですから。先生は特殊バスで研究所へ……」
「頼んだよ、甲児君」
● PHASE 3 宇宙科学研究所、観測室
「何が起きたのか報告したまえ、林君」
「これが、ここ一時間くらいの観測データ受信ログなんですが、エラーの発生回数が大きく上がっています。このため、観測システムの自動診断プログラムが警報を出しました」
メインスクリーンを、自動観測中のログが流れていく。宇門は、額にタオルを載せて氷水を飲みながらその様子を見つめた。赤で表示されたエラーの割合は、記録の半分以上となっており、普段より異常に多いことは明らかだった。
山田は真っ赤な顔で、椅子にもたれて深呼吸している。佐伯と大井は酔い醒ましのコーヒーを片手に席についていた。着替える時間など無かったので、全員仮装のままである。
「最初は通信装置の故障を疑ったんですが、エラーの出方がどの装置も全部同じでした。ですから、これは研究所の外で起きてる何らかの電波障害が原因だろうと見当をつけました」
「---それで?」
「研究所の周辺のセンサーやらモニターカメラやらで何か異常がないか観測した結果、見つかったのがこれです」
メインスクリーンが、夜の蓼科山中を映しだした。真ん中で、光り輝く男性二人が絡み合っている。
「光学センサーからの映像ですから、実際に何かが光っていると思われます。念のため他のセンサーに切り替えてみたんですが、違う場所から同じものを捉えていることがわかりました」
「実在する何かを見ているということだな。大きさはわかるか?」
「木の高さから考えて、見えている部分だけで約十五メートルです」
「どっちかっていうと、妖怪の類ですね。幽霊話は世界中にありますけど、普通は生前のサイズで出ることになってるようですから」
佐伯の前のディスプレイには、多数のウィンドウが開き、研究所のコンピュータシステムのログが表示されていた。メインコンピュータには、特に異常は見られない。
「出ている場所はどこかね?」
「センサーの設置位置と検出された方向からみて、研究所から南に約一キロメートルの山中です」
林はキーを叩いて、付近の地図をメインスクリーンに出した。センサーの場所が青い点で示され、観測方向を示す直線がいくつかのセンサーから伸びて、一カ所で交わっていた。宇門が頷いたのを見て、林は山中の映像に切り替えた。
「レーダーには何か出ているかね?」
「レーダーではよくわかりません。見ての通り、輪郭があまりはっきりしませんし、高度が低すぎます。ただ、その方向を見ようとすると、妙に電波が乱れることは確かです」
林は、危なっかしい手つきで氷水を口に運ぶ宇門の方を見た。
研究所のレーダーは、エレメントを機械的に回転させる方式ではなく、平板固定のフェーズドアレイを使っていた。スペイザー発射台や観測ドーム上のあちこちに設置されており、同時に全周を見渡せる。レーダースクリーンには、電波を掃引[[スキヤン]]する線は無く、リアルタイムで飛行物体の位置が出る。
「現場に行って確認してみて、もし実体がなければ、幽霊は通信回線か宇宙科学研究所[[うち]]のメインコンピュータのどこかに入り込んでいるってことになりますが……」
「冗談じゃないぜ、林さん。最新鋭の宇宙科学研究所[[うち]]のシステムに、怪奇現象が紛れ込む余地なんかあるわけがないだろ」
コンピュータ担当、腕利きの魔術師[[ウイザード]]の佐伯は、システム自体のログに異常がないことをもう一度確認した。
普段であれば宇宙の星々を映し出し、戦闘中であれば円盤獣を監視するのに使われるメインスクリーンに、光を放つ男性二人の裸の上半身がくっきりと捉えられていた。さほど高くない原生林の木々に隠されて、下半身は見えない。が、髪の短い方が後ろから髪の長い方に腰を押し当てて、しきりに突き上げていることが見て取れた。
宇門は黙り込んだまま、五分以上もメインスクリーンにくり広げられる行為を見続けた後、やっと口を開いた。
「最近の幽霊は男同士のカップルで出て、本番の行為を見せつけるのが流行[[トレンド]]かね?」
「そんなの、聞いたこともありませんよ」
大井の前のモニターが、三方向から撮影した幽霊の姿を出していた。観測室に入ってすぐ右の、ディスプレイが規則正しくならんだモニター画面にも、映像が表示されていた。
「しかも、この二体は大介と甲児君にそっくりのようだが」
「ええ、私も最初見たときからそれが気になってました。ちょっと顔の部分を拡大してみてくれ、大井君」
大井が手早くコンソールのスイッチを操作した。山中の高感度CCDカメラが、顔の部分にピントを合わせてズームした。
「大介、甲児君、あれは君たちではないのかね?」
振り向かずに宇門は声を掛けた。所員達を送ってきてからずっと宇門の後ろに立っていた大介と甲児が、あらためてメインスクリーンを見た。髪を乱して行為にふけりまくる二体の表情は、自ら光を放っているとはいえ、その判別は容易であった。
「本当だ……俺そっくりだ……」
「髪の長いのは確かに僕……ですよね」
「ということは所長、あそこに居るのは幽霊ではなくて生き霊[[ドツペルゲンガー]]ってことになりますね」
「佐伯君はオカルト話にも詳しいのかね?」
「いえ、友人に一人マニアが居まして」
本人の死後に現れるのが幽霊で、ドッペルゲンガーは本人が生きているうちから本人そっくりの姿をとって現れるものをいう。本人の意識が無い時に現れることが多かったり、自分自身のドッペルゲンガーに出会うと死期が近いなどとされていた。
「まことに言いにくいんですが……所長、ドッペルゲンガーの行動には本人の潜在意識や欲望が反映されることがあるってのが、その友人の話でした」
宇門は、口に含んだ氷を思わず飲み込んだ。
「では、君たちはあそこで一体何をしているのかね?」
「先生、俺たちさっきからずっとここに居ますけど」
「父さん、分身を作り出す能力なんて、フリード星人にもありませんよ」
大介と甲児は宇門の背後で顔を見合わせて、身に覚えが全くない、と首を振った。
「しかし、あれは君たちの意識の中にあるものではないのかね?佐伯君の言うのが正しければの話だが」
「男相手にそんな趣味ないですよ、所長。疑うなんて酷いじゃないですか!」
「わかった、甲児君。だが、我々が容易に判別できたように、あれが君たちだということは誰にでもすぐにわかると思うぞ」
「そんなこと言ったって……なあ、大介さん」
大介は、空になった宇門のコップに水を注いだ。こぼれるのも気にせず、宇門は一気に飲み干した。
「林君、最初に出現した場所からドッペルゲンガーは動いているか?」
「いえ、全く移動していません」
「ともかく、こんなものが出てることが知れ渡ったら、大介も甲児君も恥ずかしくて外を出歩けなくなるな。まあ、夜が明ければ目立たなくはなるだろうが、電波障害の方は何とかしないと研究に差し障るしねぇ」
「どうします?所長」
「研究所のレーダーとセンサーをすべてドッペルゲンガーの観測に向けるんだ。捕まえるにせよ消すにせよ、正体がわからんことには手の出しようがない」
宇門は、額のタオルを裏返して当て、大きく息を吐いた。返杯の連続で泥酔直前まで飲んでしまったため、なかなか酔いが醒めない。
「どうも、既に遅かった……みたいですね。リゾート地の方に偶然取材に来てたTVクルーが見つけちゃったようです」
モニターディスプレイにTV番組を出しながら大井が言った。
● PHASE 4 蓼科高原、原生林
「---ここ、蓼科高原の山中に、突如、巨大な若い男性二人の姿が現れました」
通信用のケーブルを引っ張った中継用のワゴン車の脇に、レポーターが立っている。テレビカメラがレポーターの姿を映した後、レポーターの背後に光を放ってそそり立つドッペルゲンガーの姿を捉えた。
「一体これが何なのか、何者によって出現させられたものなのか、まったく見当もつきません」
ドッペルゲンガーが長いキスをしながら身悶えした。
---こちら、スタジオですが、十八歳未満お断りのシーンが展開しているようですねぇ。
「そうなんです。私達は、蓼科高原リゾート村で行われた花火大会の取材に来ていたのですが、偶然地元の住民からの連絡をうけて、ここに駆けつけました。足下がはっきりしなかったり、向こう側が何となく透けて見える部分があったりすることから、いわゆる『幽霊』に近いものに見えます」
一般家庭に配信される映像であることを考慮して、テレビカメラはドッペルゲンガーの胸から上だけを狙って撮影を続けていた。
「全長三十メートルに達する二体の幽霊は、夜目にも淫らに輝き続け、周辺住民の顰蹙をかっております。なお、この幽霊は、近くの宇宙科学研究所の所長の息子と研究員にそっくりだという情報も入っております。現場から、早見がお伝えしました」
● PHASE 5 宇宙科学研究所、観測室
インターホンが、甲高い電子音を立てた。宇門が額のタオルを左手で押さえながら、右手を伸ばして通話のスイッチに軽く触れた。
「観測室[[コントロール]]の宇門だ」
『守衛室ですが、電話がひっきりなしにかかってきています』
勤務時間終了後は、観測ドーム直下の出入り口は自動でロックされ、カードキーを使うか暗証番号を入れないと中には入れない。研究棟の通用口には守衛所があり、時間外の訪問者の受付と電話の応対と受け持っていた。
「近くにおかしな物が出現したのは知ってるか?」
『さっき、テレビで見ました。それで、電話の件ですが、数が多いのでまとめて報告します。一応、通話記録は全部録音しているので、後でご確認ください』
「どんな具合だ?」
パイプをくわえたまま、宇門は訊いた。
『宇宙科学研究所は一体何を始めたのか?公序良俗に反するのも甚だしい。即刻やめて陳謝しろ、が約八割』
「当然の反応だが……あれは我々がやっているわけではない。今後はそのように答えてくれ」
『もっとやってくれ、が約二割』
「意外に多いな」
『どうかなさいましたか?』
「いや、何でもない。……趣味が人それぞれなのはわかったが、大介と甲児君の名誉のためにも放置はできんな」
インターホンの向こうで守衛が黙った。
「他には?その二種類で全部かね?」
『---それから、〈攻〉と〈受〉が逆なのは絶対に許せない、というクレーム。主に女性からですが。こいつが一番すさまじくて、今にも研究所に殴り込みに来そうな勢いでして』
「は?」
口を開けた拍子に、宇門はパイプを取り落とした。床に転がる前に何とかキャッチする。
「---何のことだか訳がわからんな」
宇門は暫し考え込んだ。
「まあいい、電話の対応の方はよろしく頼む。我々の方でも目下調査中だ。何とか対策を考えてみる」
スイッチから出るノイズを残してインターホンが切れた。
「林君、様子はどうだ?」
「相変わらずです。能動[[アクテイブ]]レーダーの方は何となくゴーストっぽいものが出ますが、はっきりしません。受動[[パツシブ]]レーダーも、ドッペルゲンガーの方向で妙なノイズを拾っています。ただ、ノイズにしては猛烈に強く、付近一帯はほとんど無線封鎖されてるような状態です。宇宙科学研究所[[うち]]のレーダーと観測態勢はケタが違うのでまだ何とかなってますが、そろそろ付近の航空管制にも影響が出始めるのではないかと」
「それじゃ、あのドッペルゲンガーは、まるでプラズマでできているみたいだな」
「大井君の専門は素粒子物理学だったな。プラズマはあんなふうにどこにでも出現させられるのか?地球上では容器に閉じこめるだけで大騒ぎだというのが、私の理解なのだが」
「原子核は専門じゃないですが、火の玉ならともかく、プラズマに人型をとらせて動かす技術なんか、全く心当たりがありません」
「まあそうだろうな。しかし電波障害が起きているのだから、荷電粒子が大量にうろついているとでも考えるしかないのか---」
「所長、もう少し近くで観測しないとわからないんじゃないですかね」
可能な観測手段と機器のリストを宇門に手渡しながら大井が言った。クリップボードを受け取った宇門が、紙をめくって一瞥した。
「大井君、林君、私と来てくれ。佐伯君は残れ。大介と甲児君は観測室に待機。山田君は……酔いが醒めるまでそこで休んでいた方が良さそうだな」
額のタオルを大介に渡し、マントを翻して宇門は立ち上がった。
● PHASE 6 蓼科高原、原生林
猪八戒の仮装のままで、陸軍仕様のベルトをショルダーハーネスでつり下げ、その上から測定用の機材やらバッテリーやらを括り付けた背負子を背負った林が、原生林の下草をかき分けながら進んでいた。兵士であれば弾倉をつり下げるはずのホルスターには、各種のセンサーや測定器の部品を詰め込んでいた。宇門がマント姿のまま、左腕にリストバンドで懐中電灯を固定し、前を照らしながら後に続いた。首から、中性子用の線量計をぶら下げている。さらにその後から、大井が、調査機材を背負ってヘッドランプをつけ、左手に放射線計測装置[[ガイガーカウンター]]を持って従った。
「大体このあたりですね」
林が立ち止まった。大井が、ガイガーカウンターのセンサー部分を持った右手を前に突き出し、装置のスイッチを入れた。
「大したカウントはありませんね、所長」
言った途端、大井は宇門に勢いよく後ろに引っ張られた。
「うわっ!何ですか」
「近付いてから検出器をONにしたんじゃだめだぞ」
強い放射線が飛び交う場合には、カウンターが飽和して実際よりだいぶ小さな値を示すことがあるので、数値だけ見て安心するのは危険である。この場合はちょっと遠ざかるとカウント数が跳ね上がる。あらかじめ検出器を動かしたまままま線源に近付けば、徐々にカウント数が上がるので、飽和する前に危険であることがわかる。
大井と一緒にひとまずドッペルゲンガーと距離をおいてから、宇門は左腕の懐中電灯で、カウンターの数値と自身の首から提げた線量計の数値をチェックした。
「γ、β、中性子はほとんどバックグラウンドと変わらないな」
「でも、電波障害は相変わらずかなり強いですね」
大井の腕の通信機は、PTTボタンを押しても雑音が出るだけで、研究所を呼び出すこともできなかった。
「電界強度計の数値も上がりっぱなしですね。どっちを向いても変わりゃしない」
アンテナを左手に持ちながら林が言った。軽く首を振ってOFFにすると、今度は右手で頭の暗視[[ノクト]]ビジョンをずらして眼にかけた。視野に入ってきた光をCCDで捉えて増幅・表示するので、光源無しに周囲を観察できる。
「ドッペルゲンガーの足のあたりですが、付近より多少明るい程度で、目立った異常はありません」
「赤外線ビュアーでも特に明るいところはなさそうです」
大井は、取っ手のついたビュアーで原生林の中を一通り見た後、最後に上に向けた。
「じゃあ、あれは主に木の上に存在しているということか」
宇門は上を見上げた。光のオーラを放ちながら二体は相変わらず抱き合っているようだが、近すぎて重なり具合がはっきりしない。
「上半身が約十五メートルなら、奈良の大仏を近くで見上げるのと変わらんな。身長はグレンダイザーに匹敵するということか……」
「サイズが大仏並みでも、やってる行為[[こと]]は煩悩の塊のようですが。おとなしく座禅でも組んでてくれりゃ、まだ問題がなかったんですがねぇ」
「見かけの問題だけでは済まないよ、大井君。探査機とのデータリンクが途切れたり、電波望遠鏡の信号がノイズだらけになったりしているからねぇ」
「所長、周辺の大気の採取をしました。光っている部分を直接捉えるには、もう少し高いところから狙うしかなさそうですね」
林は背負子を降ろして、周辺の地図を取り出した。宇門と大井が懐中電灯で照らした。
「うまい具合に、一番近い送電線の鉄塔と研究所を結ぶ線上に居るみたいですね。ちょっと行ってレーザーを仕掛けてきます」
「林君、気をつけるんだ」
「大丈夫ですよ」
獣道をたどって、林は暗闇に姿を消した。大井がバックパックからテスターのような機械を取り出した。
「荷電粒子の塊が飛び回っているんじゃないかっていうので持ってきたんですけど、イオンの個数、大気一cc中に一兆個以上……測定限界以上出てますね。でもこの値、どこまで当てになるのかなあ」
「髪が逆立つわけでもないし、サーベイメーターも黙ったままだが、このあたり一帯に強力な電磁波が飛び交っている状態だからねぇ」
「最初の予想は外れちゃいましたね。どうします?所長」
「林君の作業が済んだら、一旦戻ろう。雑音[[ノイズ]]だらけとはいっても、宇宙科学研究所[[われわれ]]の観測態勢を動員すれば、何かわかるかもしれん」
遠くからヘリの音が近付いてきた。音のする方向に宇門は眼をこらしたが、何も見えない。
「こんな時間にこのあたりを飛ぶのは珍しいな」
「報道のヘリじゃないですかね、所長」
「---厄介なことになりそうだな」
「もう十分なってる気がしますけどねぇ」
作業を終えて戻ってきた林が、置きっぱなしになっていた背負子を担いだ。
● PHASE 7 宇宙科学研究所、観測室
「父さん、無線が全く通じないので心配しましたよ」
自動ドアが開くなり、大介が振り向いた。
「全員無事だから安心しなさい」
「何かわかったんですか、所長」
さっきよりは酔いの醒めた山田が、コーヒーカップを片手に振り向いた。
「どうもあれは強烈な電波障害の発生源らしいが、それ以上のことはまだよくわからないのだよ」
マント姿のまま、宇門は中央の席に座った。メインスクリーンには、甲児のドッペルゲンガーが後ろから大介のドッペルゲンガーを責める姿が写っていた。
「---その、済みません、一緒に調査に行けなくて。つい飲み過ぎちゃって……」
「宴会の途中で緊急招集をかけたのだから、仕方がないだろう。悪かったね」
「先生、さっき入った連絡なんですが、あのドッペルゲンガーに対して国防軍は攻撃を決定しました。電波障害がひどくて、付近の航空管制や軍事用のレーダーにも影響が出始めているということです。間もなく出動するそうです」
甲児が報告した。
「攻撃だと?国防軍にゴーストバスターズが設立された話などきいてないが……」
宇門は、顔の前で両手を組んで眼を閉じた。
「所長、富士山麓空軍基地より通信が入っています」
「つないでくれたまえ、林君」
言い終わらないうちに、メインスクリーンがTV電話の画面に切り替わった。ウィングマークに多数の線の入った階級章をつけた軍服姿の男がまっすぐ正面を向いていた。部隊章のワッペンには、富士山をバックにハクトウワシが描かれている。
『富士山麓空軍基地司令官だ』
「宇宙科学研究所の宇門です」
怒気を含んだ司令官の声を、宇門は淡々と受け流した。
『これは何のいたずらかね?正直に答えたまえ』
「我々は何もしていませんが」
『とぼけるんじゃない。貴様の息子と研究員の姿をした巨人が電波障害を起こしながら暴れ回っているというではないか』
「暴れ回る、ですって?私にはとてもそうは見えませんが」
『見解の相違だ。で、また何かくだらない実験をやってあんなものを作り出したのではないだろうな』
「私は天文学者だ。巨人を作り出すなど専門外です。第一、我々の観測だって邪魔されて困っているところです」
『では、お前のところの所員の体質か?』
「身長三十メートルのドッペルゲンガーを発生させるような特異体質などきいたこともない。もう少し真面目に考えていただきたい」
モニター越しに宇門は司令官とにらみ合った。
『我々はあのドッペルゲンガーとやらに対する攻撃を決定した。お前達が関わっているなら、白状するのはいまのうちだぞ』
「正気ですか?あれを物理的な攻撃で破壊したり消したりできるという根拠はあるのですか」
『あれのおかげで空軍の自動警戒管制[[バツジ]]システムに穴が開きっぱなしだ。これ以上放置はできん』
「対策が立てられるものなら、我々だってとっくにやっている」
宇門は、操作卓[[コンソール]]に手をついて立ち上がった。モニター越しに司令官が怪訝な表情をし、すぐにそれが侮蔑に変わった。
『一体そのふざけた格好は何だ?お前達は真面目に仕事をする気があるのか!』
「こちらは休暇中[[オフ]]で宴会の最中だったのだ!これでも休暇を返上して調査にあたっているのだぞ」
怒鳴りつけられた宇門は、負けじと言い返した。
『まあいい、関係が無いというなら、余計なことをせずにそこでおとなしく見ておれ』
通信はそれで切れた。宇門は勢いよく椅子に腰を下ろした。まだ酒が抜けきっていないのに興奮したため、再び酔いを感じていた。
「木っ端役人が……」
呻くようにつぶやいて、水差しからコップに水を注ぐ。
「あの司令官、あまり怒らせない方がいいですよ。空軍じゃイーグルの脳髄って、自他共に認めていた切れ者で優秀な軍人ですからねぇ」
林は映りの悪いレーダーをいじくり回していた。
「厄介な相手だな」
「何だ。要するに鳥頭ってことかよ」
水を飲み込んだ瞬間に佐伯に言われて、宇門は盛大にむせかえってコンソールに突っ伏した。
「あははは、こりゃいいや、佐伯さんうまい!」
「甲児君、失礼だよ……」
大介は、咳き込む宇門の背中をさすった。
「所長、大丈夫ですか?」
山田が立ち上がって近付いた。何度か深呼吸して宇門は息を整えた。
「---うむ。空軍の邪魔をするわけにはいかんから、電波の状況の方から調べてみよう。単なるノイズではないかもしれん。電波望遠鏡の設定を少し変えるから、一緒に来てくれ」
● PHASE 8 富士山麓空軍基地、管制塔
「三流研究所の異端児が……」
通信のスイッチを切るなり、空軍司令官は叫んでいた。
「出撃準備、完了しています」
オペレータの澄んだ声が管制室に響いて、司令官は我に返った。
「よし、出撃せよ」
「ホワイトルーク・クリアード・フォー・テイク・オフ」
管制官が離陸許可[[クリアランス]]の指示を出す。Fー15C[[イーグル]]が三機編隊を組んで離陸していった。
「言いにくいんですが、宇門博士と喧嘩するよりも、協力を要請した方が良かったんじゃないですか?」
副司令官が遠慮がちに言った。
「元々、軌道上から宇宙の彼方まで相手にしようって連中です。自前の管制機能は勿論、C4Iの機能だって突出してますよ」
「今回の騒ぎを引き起こしているのは、奴らかもしれんのだぞ」
司令官は、電波障害で機影の消えたレーダーを見つめた。
「しかし、おかしなものの相手をすることになったものだ。奴らが又何かSETIでもやって呼び寄せたのではないのか?」
● PHASE 9 宇宙科学研究所、機器室
カードキーをリーダーに通すと、ピッという電子音とともにドアが開いた。冷たい空気が一気に廊下に流れ出してくる。広い部屋の中にはラックが整然と並んでいた。研究所のレーダーや望遠鏡を制御するためのモジュールがぎっしりと収納されている。モジュールの前後面には同軸ケーブルがつながり、何本かは隣のモジュールや、少し離れたところにあるディスプレイとキーボードのついたコントローラに接続され、残りは束ねられて天井のダクトと床の溝へと伸びていた。それぞれのモジュールのLEDアレイが点滅を繰り返し、刻々と変わる送受信の状態を示していた。電子機器の過熱を防ぐために、部屋は真夏でも十五度に保たれている。
「山田君、レーダーの遅延回路の設定を変えてくれ」
宇門はラック越しに呼びかけた。
フェーズドアレイの膨大な数の素子[[エレメント]]の一つ一つに、ラックのコントローラが接続されていた。全体のタイミングを合わせるため、高速演算できるコンピュータがまとめて管理している。
「わかりました。しかし、こんなに近くを精密に観測することになるとは……」
「私は電波望遠鏡の受信を広帯域に切り替える」
宇門は突き当たりのコントローラの扉を開いて、スイッチを跳ね上げ、受信機を切り替えた。別の一群のラックに収納されたモジュールのLEDが一斉に点灯する。
「終わりました、所長。ただ、ベガ星のこともありますから、長距離[[ロングレンジ]]レーダーを一つだけ活かしてあります」
「いいだろう。雑音にしか見えない信号に何か情報が含まれてないか、何とか探してみてくれ」
「わかりました。地球外生命探査[[SETI]]でさんざん培った技術が活きますね。あるか無いかわからない信号を引っ張り出すのは、宇宙科学研究所[[うち]]の十八番[[おはこ]]ですからねぇ」
「幽霊相手に実行することになるとは思わなかったがねぇ」
● PHASE 10 宇宙科学研究所、観測室
観測室に戻った宇門を、半ば自棄になったあきらめ顔の大井が出迎えた。大介と甲児が、入り口入ってすぐ右のモニターシステムの前に座り、神妙な顔で画面を見つめていた。
「どうかしたのかね?」
「どこかの大統領が『悪い報告を最優先せよ』って言ってましたよね」
録画再生のスイッチを入れた。
「さっきの報道で知れ渡ったらしく、今度はワイドショーが詰めかけてきてます。同じ局のバラエティ番組が、放送内容を変更して取り上げてますよ」
出演者数人が口々に好き勝手なコメントをする様子が、モニター二つを使って再生された。
---幽霊の姿が所長の息子と研究員にそっくりですねぇ。
---宇門所長は独身で、まわりにいるのは若い男性ばかりだということですが……。
---宇門所長はそういうのが好みなんでしょうか。
「私の趣味ではない!」
録画を相手に、思わず宇門は叫んでいた。もちろん、スタジオに届くはずもない。
---息子と助手でこんなビデオを撮影するのは問題ですよね。
---それに大々的に上映しちゃいけませんよね。こっそり楽しむだけにしないと……。
「うちのアトラクションでもない!大体、何もない空間に三次元映像を出現させる技術など、宇宙科学研究所[[うち]]が持ってるはずがないだろうが……」
---宇宙人実在説を唱える異端の天文学者として有名な宇門博士は、どうやら別の趣味もお持ちのようですね。
二回り以上も歳の離れた若い女性タレントに締めくくられて、宇門は苦りきった表情になった。
「とんだ濡れ衣だ。しかし、これがシュバイラー博士[[せんせい]]に知られたら、一体何とおっしゃることやら……」
「シュバイラー博士って、先生の師匠の?」
甲児がそっと林に訊いた。
「そうだよ。所長よりだいぶ年上で、若い美人の秘書を侍らせている元気な爺さんだって話だけど……」
林が甲児に耳打ちした。
シュバイラー博士は、スイス連邦工科大学[[ETH]]の天体物理学の研究者で、宇門が留学していた時の指導者である。優秀だが浮いた噂の一つもない宇門を密かに心配し、自分の研究室の若い女性秘書たちに、たまには声をかけて誘ってやれと促した。日本人にしては長身でダンディーな宇門は、失礼にならない程度にそつなく対応したが、関心は常に宇宙論の方にあった。このため、シュバイラーの思惑とは逆に、女性にはまるで興味を示さず科学に魂を吸い取られている変人という評判が定着することになってしまった。結局、宇門が師匠から学んだのは最新の宇宙科学[[コスモロジー]]とパイプで煙草を吸うことだけで、女性秘書を配置するといったことは、全く見習わないまま今に至っていた。
「唐変木な弟子が異端扱いされてるだけでも気をもんでるだろうに、この上衆道[[ホモ]]の噂が立ったりした日にゃ、そりゃあ嘆くだろうなあ……」
林の言葉に、甲児は頭を抱えた。
中央の席のインターホンが再び鳴った。宇門より先に山田が通話スイッチに触れた。
『守衛室です。弁護士の一団[[ロー・フアーム]]が営業に来てますが、どうしましょう?』
守衛は、宇門が何かあるとよく相談している弁護士事務所の名前を告げた。山田がマイクをとって、宇門に渡した。
「どういう用件かね?」
『テレビでひどい言われ様なんで、訴えれば確実に勝てるだろうと……』
「完全に、ビジネスチャンスだと思っとるな」
宇門は苦笑してマイクを置いた。
「大井君、下の会議室に通してやってくれ。とはいえ、依頼の条件を詰める余裕はない。成功報酬、後払いのみ、あとは好きにしろと言っておいてくれ」
● PHASE 11 宇宙科学研究所、研究棟会議室
研究棟の会議室の一方の壁に埋め込まれたディスプレイの半分以上に灯が入っていた。受信可能なTVチャンネルがすべて映っている。スーツ姿の一団が、研究所員から強引に借り出した予備のインカムを付けて、並んで机に向かっていた。スーツの襟には、例外なくひまわりに天秤のバッジが輝いていた。
「先生、録画は全チャンネル、デジタルで行っているそうです」
勤務弁護士[[アソシエイツ]]の一人が報告した。反対側の壁のコルクボードには、TV局一覧---つまり被告一覧---と甲号証リストが貼り付けられていた。机にはノートパソコンとプリンタが持ち込まれ、臨時に設置されたネットワークケーブルが床を這っていた。
「証拠の提出には事欠かないというわけか。凄いシステムだ……事務所にも欲しいな」
経営弁護士[[パートナー]]が、別々の番組を一斉に表示している壁を見つめた。放送番組は三ヶ月の保存が義務づけられているが、ビデオ撮りを忘れた場合はいちいち確認に出向かなければならない。研究所のシステムを使えば、その必要はまったくない。
また、新たな名誉毀損報道が行われたことを確認した勤務弁護士[[アソシエイツ]]が、ホワイトボードに手早く被告と番組名と時間を書き加えた。経営弁護士[[パートナー]]が満足そうに頷いた。
「このネタならどことやっても勝てる!訴状と証拠の組み合わせを間違えるなよ!」
● PHASE 12 宇宙科学研究所、観測室
無遠慮で耳障りなブザーが観測室に鳴り響いた。研究所の入り口や所内の施設を結ぶインターホンは、それぞれ呼び出し音が違うので、音を聞けばどこから連絡が入ったか即座にわかる。
「今度は、正面玄関に誰か来たようですね」
「騒ぎになってるからな。どうせ野次馬だろう。勤務時間外だし応対する必要はない。必要があれば通用口の方に回るだろう」
宇門は、メインスクリーンをにらみつけたままで答えた。しかし、予想に反してブザーはいつまでも鳴り続けた。
「随分厚かましい訪問者だな……」
ぼやきながらインターホンのスイッチを弾いた。
「勤務時間はとっくに過ぎています。用があるなら明日にしていただきたい」
『長野県警だ!ここを開けろ!』
スピーカー越しにだみ声が響き渡った。所員達と大介と甲児がお互い顔を見合わせた。宇門がコンソールのボタンを押して、ロックを解除する。警察手帳を掲げたスーツ姿が自動ドアから走り込んでくるまでに、三分もかからなかった。
「宇門所長は?」
「私です」
椅子ごと振り向いて、マントを着たままの姿で宇門が立ち上がった。駆け寄った警官達が周りを取り囲んだ。一番年配の刑事が正面に立った。長身の宇門を見上げる格好になった。
「事情を訊きたいので出頭していただきたい」
「任意ならお断りする。今はそれどころではない」
「電波法違反と、わいせつ物陳列罪の現行犯で逮捕してもいいのだぞ」
「研究棟会議室で仕事中のロー・ファームを観測室[[ここ]]へ呼び出した方が良さそうですね。被疑者の権利について、夜が明けるまでたっぷり講義してくれるでしょうな」
「何でそんなものが手回し良く来ているんだ?」
刑事が咎める口調になった。
「稼ぎ時のようですからねぇ」
宇門は少し目を細めて言い、胸を張って警官達を見回した。
「……で、私がいつ、何をしたと言うのです?勝手に見せつけているのはあっちだと思うが」
拳を握ったまま親指を立てて、背後のメインスクリーンを示した。
「しかし、あれは所長の息子と研究員だという通報がありましたぞ。実際、写真で照合してもそっくりだ」
「我々にだって訳がわからんのだ」
「あれは本当に研究所が作ったものではないのか?」
「当たり前だ!金にも研究業績にもならんゲイ向けのポルノを演出する暇などない。そうでなくてもベガ星連合軍の相手をするのに手一杯なんだぞ」
「金になったらやるのか?」
「---そもそも、我々の仕事ではない。勿論私の道楽でもない」
刑事は、宇門の肩越しにメインスクリーンを見た。
「どうやら、直接あっちを逮捕するしかなさそうですな」
「我々でさえ、捕獲の目処も消去の目処も立たずに苦労しとるんだ。できるものならやってみろ!さっさとどこへでも連れて行ってくれ」
● PHASE 13 蓼科高原
「こちらホワイトルーク。現在北八ヶ岳に向かっていますが、コンタクトできません」
パイロットの声は、同程度のノイズとともに富士空軍基地に送信された。
『どういうことだ?』
「電波障害が酷くて、レーダーが使い物になりません」
『やむを得ない。目視できるまで近付いて攻撃せよ』
「了解」
漆黒の山中に、光を放ってドッペルゲンガーが揺れていた。
イーグルは編隊を組んだまま、ひねりながら急降下した。ヘッドアップディスプレイに表示された照準器に、抱き合う二体を捉えたことを確認したパイロットが、二十ミリバルカンのトリガーに触れた。曳光弾とともに機関砲弾がなんの抵抗もなくドッペルゲンガーを突き抜けて、蓼科山の斜面に吸い込まれた。超低空まで降下したイーグルは、編隊を保ったまま再び急上昇した。
「バルカンでは効果がありません。ミサイルを試してみます」
目標から一旦離れた三機編隊のミサイルポッドから、自動[[アクテイブ]]レーダー追尾の対戦車ミサイルが発射された。
● PHASE 14 宇宙科学研究所、観測室
曳光弾がドッペルゲンガーをあっさり突き抜ける様子は、研究所のメインスクリーンでもはっきりと確認できた。二十ミリ機関砲があたりの木を吹き飛ばし、土煙が上がる中、大介のドッペルゲンガーは甲児のドッペルゲンガーの股間に顔を埋めていた。
「平気でフェラチオしてますね、所長」
佐伯が、ドッペルゲンガーの状態を正確に報告した。
「実弾攻撃は通用しないということか……山田君、観測の状態はどうだ?」
「画像と同期させて、広帯域の観測を続けています。ですが、データが膨大なので、計算機の演算能力が追いつきません」
「林さんが置いてきたレーザーですが、受信が安定しません。どうも、レーザーがドッペルゲンガーを通過するときに、光路[[パス]]がえらくふらついているようです」
大井は、モニターの一つに研究所壁面にとりつけた検出器の出力を表示させていた。
宇門は再びメインスクリーンを見た。空対地ミサイルが視野に入った。もともとドッペルゲンガーは電波をほとんど反射しないのに加えて、付近の猛烈な電波障害で、ミサイルは目標を失い、あさっての方向に飛んでいく。ミサイルがスクリーンの視野から消えた瞬間、鋭い警報音が鳴るのと爆発が同時に来た。観測ドームが揺れる。
「自動射撃[[オートシヨツト]]が動いた、だと?」
「サイクロン砲がミサイルを迎撃しました。ただ、至近だったので爆発の影響を受けたようです---研究所を改造してなきゃ、今のをまともに喰らってましたよ、所長」
林が、額の汗をぬぐった。
ベガ星の攻撃に備えて研究所を改造した際に、後部のスペイザー発射台に左右二基ずつ四基の対空迎撃システムを設置してあった。砲手[[ガンナー]]は不要で、コンピュータの判断で自動的にビームを発射して迎撃を行う。
「流れ弾でも、人間の反射神経で補足迎撃できるものではないからな。ただ、もう少し早く対応できなかったのか---いや、レーダーの状況が悪いから、コンピュータの判断に時間がかかったのか……」
宇門は立ち上がって、操作卓[[コンソール]]に手を突き、前のめりになって観測ドームの窓から外を見た。門のすぐ外で爆発したのか、門のコンクリートが一部欠けて、石ころや木の枝が研究所の敷地内にまで飛ばされて転がっていた。普通の建造物であれば、間違いなく吹き飛んでいるところだったが、頑丈なだけが取り柄の研究所の建物に大した被害は出ていない。
「広帯域妨害[[バラージ・ジヤミング]]されているのと変わらんというのに、空軍は一体何をやっているのだ?」
「防御シャッターを閉じますか?所長」
「山田君、それでは観測ができんし、迎撃システムも使えんぞ」
防御よりも迎撃を行いつつ観測を優先、と宇門は即座に判断していた。
「だからといって、研究所を壊されてたまるか。富士山麓空軍基地を呼び出せ!」
「作戦中につき、通常の回線はつながりません」
ヘッドセットをつけたまま、林が叫んだ。一息入れて続ける。
「空軍だって馬鹿じゃないでしょうから、一度やってだめなら、次の手を考えるんじゃないですか。またミサイルが向かってくるなら、早めに研究所のECMで誘導回路を壊すことも可能ですし……」
研究所のアンテナの最大出力が作り出す電磁波は、大抵の電子機器を簡単に動作不能にすることができる。
「---仕方がないな」
「迎撃システムの警戒レベルを上げますか?」
「いや、やめておこう。レーダーの受信状態がこれでは、研究所に近付く航空機を間違って撃墜[[おと]]しかねない」
宇門が席に戻ったとき、自動ドアが開いて、ひかる、吾郎、マリアが入ってきた。
「一体これは何の騒ぎですか?先生」
「甲児や兄さんだけじゃなく、宇門のおじさまも研究所の人たちも、みんな途中で居なくなっちゃうんだもん」
「とりあえず僕たちだけで片付けしたけどさ、先生。何があったの?」
「ん、ああ、悪かったねぇ。ちょっと急に手が放せないことになってしまってね」
三人は、メインスクリーンを見ながら宇門の方に歩いていく。大介と甲児が慌てて椅子から立ち上がって駆け寄った。
「あ、あの、ちょっと今、研究所は取り込んでいて……」
「何よ甲児、手伝いもしなかったくせに」
「もう、こそこそ居なくなったりしなくてもいい筈でしょ。大介さんがデューク・フリードだってこと、私たちはとっくに知ってるんだし」
スクリーンを見つめたひかるの顔が、見る間に真っ赤になっていく。マリアの方は口をぽかんと開けてその場に固まった。
「嫌あっ!大介さんも甲児さんも不潔……」
「誤解だってば、ひかるさん。あれは俺や大介さんとは無関係なんだよ。ねえ所長、何とか言ってくださいよ!」
「まあ……兄さんてそういう趣味だったの……」
抑揚のないマリアの声は、大介に容赦なく突き刺さった。
「マリア、違うんだ。何であんなものが出たのか、僕にだってわからないんだ」
「ねえねえ、お姉ちゃん、一体どうしたの?あれは何をしているの?」
「子供が見るものじゃありません!」
ひかるが慌てて吾郎の目を両手でふさいだ。そのまま観測室のドアに向き直ると、引っ張って歩き出した。
「---もう、帰るわ!」
マリアが後を追った。
「あれのおかげで猛烈な電波障害は起きているは、クレームは殺到するはで、私も困っているのだよ……とにかく、当分ここを動けそうにないんだ。それに、空軍も出動していて、攻撃を始めている。とりあえず、君たちは家に戻っていてくれないかね」
三人が出て行った後、自動ドアが閉まるのとほぼ同時に、再び、正面玄関のインターホンのブザーが鳴った。
「誰かね?」
『報道です。宇門所長を出してください!』
「宇門は私だが、君たち、そこにいると危険だぞ。さっきも空軍のミサイルが近くまで飛んできた」
『コメントをいただきたいのですが』
「何も話すことなどないが」
「所長、詰めかけてる報道陣ですが、中継してるチャンネルがあるようです。ここは、出て行ってきちんと説明した方がいいかもしれませんよ」
観測室後方の壁に並んだモニター画面の左下に、研究所の玄関と詰めかけた報道陣が映っていた。
「十分……いや、五分待ってくれ。話をしよう」
インターホンのスイッチを切って、宇門はため息をついた。
● PHASE 15 宇宙科学研究所、玄関
観測ドーム下のロビーに灯りが点いた。明るい灰青色の短い半袖の上着に同じ色のズボンというユニフォーム姿の宇門が、内側からテンキーを押して自動ドアのロックを解除した。軽いモーター音をたてて強化ガラスの扉が左右に開いた。建物の外に出て、階段を降りかけた宇門を、待ちかまえていた取材陣が取り囲んで我先にマイクを突きつける。
---あの幽霊と研究所は関係があるんですか?
「全くありません」
---所長のご子息と、NASAからやってきた研究員にそっくりだという話ですが?
「他人の空似でしょう。単に似ているというだけで関係を詮索されても、責任は持てません」
---宇門所長が作ったものではないのですか?
「私が作るなら、もうちょっとましな物を作ります。少なくとも、観測の邪魔になるようなものを作ったりはしない」
---本当に、所長の趣味ではないのですか?
「身長三十メートルの幽霊を作り出して性行為[[セツクス]]させるのが趣味だという人がいたら、お目に掛かりたいものですな」
---では、ご子息と研究員がああいう関係だということは……
「二人の名誉のためにも言っておくが、二人ともそういう趣味は持っておらん!」
---確認したんですか?一体どうやって?
断言した宇門にすかさず記者の一人が突っ込んだ。数人の記者から失笑が漏れた。宇門は一瞬言葉に詰まった。
「む……ともかく、おかしな噂を立てるのはやめていただきたい」
---今後、どうするつもりですか?国防軍は出撃したようですが……
「我々も調査はしているが、対策に頭を痛めている。正直なところ、どうしたらいいか、まだ見当もつかんのだ。何かアイデアがあったら教えて欲しい」
『所長、そろそろ戻ってください。空軍が攻撃を再開します』
スピーカーから林の声が響いた。
「聞いての通りだ。君たちもここから避難した方がいいと思うがね」
● PHASE 16 宇宙科学研究所、観測室
ホバリングするAHー1S[[コブラ]]が、七十ミリロケット弾を発射した。大介のドッペルゲンガーの後ろから甲児のドッペルゲンガーが腰を突き入れ、両手で股間の前に触れた格好で重なり合った姿を、ロケット噴射の光が次々に貫いた。着弾でもうもうと土煙が上がり、あたりが見えなくなる。研究所のメインスクリーンの映像も途切れた。
「やったか……?」
甲児が食い入るようにメインスクリーンを見つめた。
「いや、おそらく効かないのではないかな」
宇門が静かな口調で言った。土煙がおさまると、二体は、何事もなかったかのように姿を現した。
「だめか……しかし、攻撃ヘリが出てくるのは珍しいですね、先生」
ベガ星連合軍のミニフォー相手では、最高性能の戦闘機でも格闘戦[[ドツグフアイト]]で勝つのは難しい。ヘリでは的になるだけであったので、救助のためならともかく、攻撃のための出動はしばらく行われていなかった。
「見せつけているだけで、今のところ攻撃はしてこないからねぇ。撃墜される危険は少ないということだろう。もっとも、こちらの攻撃が通用する様子もないが」
「今のも中継されてるようです」
大井は、監視カメラの映像に加えて、テレビチャンネルのチェックも続けていた。宇門は椅子ごと回転して、入り口脇のモニターシステムを見た。
『国防軍の武器は全く通用しません』
アナウンサーの明瞭な声とともに、画面がスタジオに切り替わった。しばしばオカルト批判番組に登場する高名な大学教授が、番組のレギュラーメンバーと並んでスタジオに座っていた。
『先生のご見解をおきかせください』
『あれはきっとプラズマだ!』
「大井君、我々の観測では、プラズマの可能性は否定された筈だがな……」
「まったく、あの教授[[せんせい]]も、スタジオにじっと座ってないで、いっぺん現場に出てきて調査してみればいいんだ……」
『プラズマなら電磁網で何とかならないのでしょうか』
スタジオの声を合図に、カメラが再び現場に切り替わった。研究所の観測ドームの上で首を振っている巨大なパラボラアンテナが、投光器でライトアップされて画面一杯に出た。
『巨大なパラボラを使うという案は検討されていないようです』
「このレポーター、特撮映画の見過ぎじゃないですかね、所長」
佐伯が皮肉っぽく言った。
「一体何を期待してるか知らんが、宇宙科学研究所[[うち]]のパラボラは、マーカライト・ファープでも原子熱線砲でもメーサー砲でもない!電波望遠鏡だ」
憮然とした表情で、宇門は椅子にもたれた。
アンテナの次に画面に映ったのは、ドッペルゲンガーを見ようと集まってきた人混みだった。
「---騒ぎが大きくなる一方だな」
「ミサイルやバルカンではどうにもならない。父さん、出撃します」
「グレンダイザーでどうにかできると思うか?大介。確かに、まだビーム兵器は試していないが……」
「わかりません。でも、この際、試してみる価値はあるでしょう」
「よし。だが、ギャラリーが増えている。研究所からの出撃は目立ちすぎる。ルート7だ」
大介が、観測室のドアに向かって走った。
「俺も出撃します」
甲児が後を追う。
林が素早いタッチでキーボードからフライトプランを入力した。国内の管制組織に瞬時に転送される。
「名誉がかかっている戦いでもある。しっかりな」
宇門の声が観測室に響いた。
● PHASE 17 北八ヶ岳、蓼科高原
研究所の地下深くから天然の鍾乳洞に入り、地上を流れる川の滝の後ろから飛び立つのがルート7である。秘密を守るため、洞窟内には一切照明が無い。流れる水が月明かりでわずかに輝いているのが見えた瞬間、グレンダイザーは滝をくぐり抜けていた。
デュークは、そのまま操縦桿を引いて上昇した。付近一帯の電波障害のおかげで、どういう飛び方をしても目視以外の方法で発見されるおそれはない。研究所に近付くと、上空を旋回していたダブルスペイザーが並んだ。鋭く点滅する衝突防止灯と、観測ドームの窓から漏れる光の向こうに、ぼんやりと光を放つドッペルゲンガーが見えた。
「デューク、あれだ!」
「そうらしいな、甲児君。近付いてビームを試してみよう」
「ここからでも射程距離内だぜ?」
「いや、もっと近付いた方がいいだろう。ギャラリーが多いって、父さんも言ってた。射線上に人が居ないことを確認してからでないと撃てない」
デュークは操縦席の上のレバーに手を掛けた。
「シュートイン!ダイザー・ゴー!」
ダイザーが分離し、重力場制御で速度を落としながら、ドッペルゲンガーのすぐ側に、大した衝撃も与えずに着地した。いつでも武器を使えるように油断無く身構える。ダイザーの臨戦態勢をよそに、ドッペルゲンガーは相変わらず、二人だけの世界に浸りきっていた。デュークは、つい、いつもの調子で叫んでいた。
「さあ来いっ!」
その途端、ギャラリーから冷やかしの口笛と歓声が上がった。
「いいぞいいぞー!やっちゃえーっ!」
「サイズも合ってるぞー!」
「---あ」
自分の発したかけ声が何を意味しているのか、やっと気付いたデュークが、コックピットの中で思わず天を仰いだ。
『……相手は円盤獣ではないのだぞ』
至近距離からハイ・パワーで発振された搬送波が、猛烈なECMを打ち破った。さすがに少し砂嵐の混じった画面の向こうで、宇門が額に手を当てて顔をしかめていた。
「大介さん、しっかりしてくれよ」
「ああ、甲児君。だが、いつもと勝手が違いすぎる」
デュークは慎重に、ダイザーをドッペルゲンガーに近づけた。
「ダブルハーケン!」
ダイザーの両肩から、半月型の刃を持った大鎌が飛び出した。両手で柄を持ち、頭上でで合体させる。重なりあう二体に向かって軽く振り下ろした。何の抵抗もなく、切っ先は地面にめり込んだ。
「……まるで、何もない空間を切っているようだ」
ダイザーはハーケンを持ち直した。甲児のドッペルゲンガーが、大介のドッペルゲンガーの首と頭に手を回し、唇を重ねている。その首の後ろからそっと刃を入れて、途中で止めた。二体とも、ハーケンの刃などそこに無いかのように、口づけを交わしていた。
「おいおい、デューク。何遊んでんだよ。……ったく、変な気分だぜ。自分そっくりの奴がギロチンにかけられるってのはよ」
「遊んでいるつもりは無いんだが、甲児君、途中に邪魔するものがあっても、こいつらは何の影響も受けないらしい。父さん、見えますか?」
『さっきからこちらでもずっとモニターしている。切ってみた手応えはどうだ?デューク』
「何の手応えもありません。何でできているかはわかりませんが、ほとんど空気と変わらないようです」
「所長、そろそろビームの攻撃、試しましょうよ」
『待ちたまえ、甲児君。今、警察と陸軍が、ギャラリーを誘導して、射線上に誰もいないことを確認しているところだ。我々の方でも射撃管制データの計算をしている。終わり次第そちらに送るから、それを使って攻撃するんだ』
「わかりました」
● PHASE 18 宇宙科学研究所、観測室
「極東第八艦隊から哨戒機が……続いて戦闘機隊が飛び立ったようです」
研究所近辺は、並のレーダーは軒並み使用不能である。林は、地上を見ている衛星からの情報を、光通信で受信し、レーダースクリーンに重ねて表示させていた。これと、管制データの更新を見ていれば、いつ、何が飛んでくるかが把握できる。
「とうとう米軍にまで嗅ぎ付けられたか」
「富士山麓空軍基地からも、JーSTARS[[ジヨイントスターズ]]が来るようです。とりあえず攻撃してみたものの、効果無しでしたからねぇ。やっと真面目に調査する気になったんでしょうかねぇ」
「何か有効な調査の手だてでも思いついたのかね、空軍は。相手が通常の地上目標ならそれでも何とかなるだろうが、JーSTARS[[ジヨイントスターズ]]の合成開口レーダーで、ドッペルゲンガーがまともに捉えられるとも思えんぞ……」
「正直な話、軍の偵察機よりもマスコミのカメラの方が、まだ役に立つかもしれませんね」
宇門は、林の前に並んでいる円形のディスプレイを見た。色の違う点がいくつも動き回っていた。
「報道の方も結構な数だな。あたり一帯の上空は大混雑だ。コンタクトもろくにできんような状況では、まともな管制など無理だぞ。事故が起きなければ良いが……」
「所長、軍事用衛星のいくつかが軌道を変えました。どれも、三時間以内にこのあたりを偵察しながら上空を通過します」
大井は、メルカトル図法で描かれた世界地図上の衛星表示を軍事用偵察衛星に切り替えた。地図上にはいくつもの正弦波が重なっており、地球を回る衛星の軌道を示していた。普段は、研究所の衛星や探査機の位置を出しているのだが、軌道要素がわかっているものなら何でも表示できる。軍事衛星の軌道が正弦波から少しずれて、日本上空を通過する位置に集まっていた。低軌道を回る軍事用偵察衛星の周回はどれも早い。
「確かに、自動警戒管制[[バツジ]]システムが大混乱を来しているのでは、軍事的脅威をもたらす現象だと判断されても仕方あるまい」
宇門は、少し考え込んだ。
「林君、集まってきているのは、全部偵察が目的と思っていいのかね?」
「管制データから見る限り、そうです。制空戦闘機も混じってますが、本気で攻撃する気なら、もっと数を揃えてくるでしょう。まあ、空軍が手出しして全く効果無しでしたし、今は、大介さんと甲児さんが出撃してますから、様子見じゃないですかね」
「偵察ってぇよりも見物じゃないですかね、正確に言うと。何せ只で見れますからねぇ」
佐伯が苦笑いした。
「射撃管制のデータは出たんだろうな、佐伯君」
「準備OKです、所長。いつでも送れますよ」
うむ、と宇門は軽く頷いた。自動ドアが開いて、山田が走り込んできた。
「所長、空気の分析結果です」
山田は、ハードカバーの実験ノートを宇門に手渡した。受け取った宇門がページをめくっていく。
「窒素化合物の組成が少し違うだけで、他には目立った変化はないということか」
「そうです。最初は密度の高いプラズマみたいなものが飛んでるんじゃないかって話だったんですが、これを見る限り、もしそういうものが飛んでいたとしても、かなり微量でしょうねぇ」
「わかった。引き続きノイズの解析の方を進めてくれ」
宇門は、ノートを閉じて山田に返した。
「デューク、甲児君、射撃管制のデータを送る。攻撃開始だ」
佐伯が送信するのを見ながら、チャンネルを共通周波数に切り替えた。
「宇宙科学研究所[[ISS]]コントロールだ。これから攻撃を開始する。付近を飛行中の航空機は速やかに一時退避せよ」
高出力アンテナで力任せに送りつけた宇門のメッセージは、ECMをものともせずに周辺を飛ぶ航空機に到達した。
● PHASE 19 八ヶ岳、蓼科高原
「最初は俺にやらせてくれ、デューク!」
叫ぶなり、甲児はダブルスペイザーを旋回させた。ドッペルゲンガーの方に機首を向けると、照準レティクルと距離情報が操縦桿のスクリーンに表示された。縦横四方のカーソルが、レティクル中央に来るように相循環を操作し、すべてが一点に重なった瞬間、左側のレバーを引いた。
「サイクロンビーム!」
両側の翼から発射されたビームが、ドッペルゲンガーを突き抜け、そのまま斜面に吸い込まれた。三万度の熱線が木と岩を焼き、地面に含まれていた水を急激に気化させて爆発を起こす。甲児のドッペルゲンガーに貫かれた大介のドッペルゲンガーが、ひときわ光を放ってのけぞった。
「ダメだ、全然効かねェや」
「よし、僕がやってみよう」
ダイザーは十歩ほど下がって距離をおいた。そのまま無造作に右の拳を突き出した。
「ハンドビーム!」
三本の赤い光量子レーザーが、ドッペルゲンガーに吸い込まれ、サイクロンビームが穿ったクレーターをさらに吹き飛ばした。熱線で焦げた木が煙を上げた。ドッペルゲンガーには何の変化もない。
「よし、ならこれでどうだっ!スペースサンダー!」
ダイザーの頭部にコロナ放電のような光が集まり、稲妻の束が奔った。ビーム兵器の効果を偵察するために急降下してきた米軍のFー35Cをかすめて、電撃がドッペルゲンガーを切り裂いた。強烈な電磁パルスを喰らってふらつき始めたFー35Cからパイロットが慌ててベイルアウトする。機体はそのまま斜面に激突し、残っていた航空燃料もろとも爆発して火柱を上げた。パラシュートが風にあおられながら、暗い原生林へと降りていった。
「しまった!」
『デューク、どうした?』
「米軍機を墜落させてしまった」
『命中させたのか?』
「いいえ。スペースサンダーの近くまでいきなり急降下してきたので……パイロットは脱出しました」
『だから、退避せよと警告したのだ。スペースサンダーは、核爆発並みの電磁パルスを叩き出すのだ……航空電子機器[[アビオニクス]]などひとたまりもあるまい』
砂嵐のかぶったディスプレイに、宇門の沈痛な顔が映っていた。
「攻撃を続けます」
デュークは、武器の制御パラメータを軽い指裁きで入力した。
「反重力ストーム!」
普段より絞った重力波のビームが七色の光を伴って、ダイザーの胸部から打ち出された。反重力ストームは、大介のドッペルゲンガーの乳首を咬んでいる甲児のドッペルゲンガーの背中側から、二体をまとめて串刺しにした。ビームが通っている空間で、二体の姿が揺らいでねじ曲がった。ビームが途切れると、また元の姿に戻る。
「デューク、こりゃあいけるかもしれないぜ」
甲児がはずんだ声で叫んだ。
「父さん、唯一、影響を及ぼせるのは、反重力ストームだけです」
『こちらのモニターカメラでも確認した。どうやらヒントを掴んだようだな』
「次はどうしましょう?」
『少し時間が欲しい。デューク、甲児君、そのまま周辺の警戒にあたってくれ』
通信が切れた。デュークはそのまま、ドッペルゲンガーの様子を見守った。
『---攻撃しないんだったら、ちょっと手伝ってくれないか?』
いきなり呼ばれて、思わずデュークはあたりを見回した。グレンダイザーのすぐ脇を通っている林道に、トラックが止まっていた。ハンドマイクを片手に、中年の男性が立っていた。
グレンダイザーが跪いてその男に近付いた。
「一体何です?ここは危険です、下がってください」
『そう言うなって。おたくの所長も対策に困ってるんだろ?』
「……まあ、そうですけど……」
デュークは反論できなかった。男は地図を両手で掲げて見せた。グレンダイザーのカメラがそれを捉えて、コックピット中央のディスプレイに表示した。ドッペルゲンガーを中心にして、五カ所に赤で×印と番号がついていた。
『場所がわかるか?』
「わかります」
『その場所に、順番通りにこいつを立ててきてくれないか?』
男は、トラックの荷台を指さした。長い白木の杭に、紙でできた白い人型がくっついていた。
「いいですけど、どうしてまた……」
『他にすること無いんだろ?試しにやってみてくれよ』
グレンダイザーは、荷台の人型をまとめて手に取った。ドッペルゲンガーの周りを歩きながら、壊さないように一つずつ指先でつまんで、言われた場所に刺した。五分もかからずに元の場所に戻った。
『どうもありがとう。効果があることを祈ってくれよ』
男はトラックの荷台から飛び降りると、原生林に姿を消した。
「何をやってたんだい?デューク」
上空を旋回して警戒にあたっているダブルスペイザーから通信が入った。
「人形みたいなものを置いてきてくれって頼まれた」
「なんだい、そりゃ?」
「僕にもよくわからないよ」
デュークは浮かぬ顔で答えた。
「---あっ!」
甲児が短い叫び声を上げる。
「どうしたんだい?甲児君」
「誰か近くに居るぞ。何か、段みたいなものを作って火を燃やしているんだ」
「ここからじゃ見えないけど……」
「ちょっと行って様子を見てくる。様子が変なら所長に報告するよ」
「僕が行こうか?」
「そこからだと、崖を迂回するから遠回りになる。大介さんは下で警戒してくれ」
ダブルスペイザーが機体をバンクさせた。
● PHASE 20 宇宙科学研究所、観測室
「どうやら手がかりは得られたようだ。しかしさっきの攻撃は、まるで光のイリュージョンだったな」
「あれが大介さんや甲児さんに似てなくて無害なものなら、ビールでも片手にじっくり眺めていたいものですね。実に幻想的な輝きでした」
大井が感嘆の声を上げた。
「とにかく、あれを封じ込める方法を考えるぞ」
宇門は、コンソールのパネルをいくつか裏返しにして、露出したコネクタに、キーボードとパネルディスプレイをつないだ。図面やプログラムを呼び出して、計算を始めた。
「佐伯君、ちょっと見てくれる?グレンダイザーの動きが変なんだけど?」
「どうした?大井君」
「ドッペルゲンガーの周囲にこれを置いて回ってる」
モニターカメラに、白木の杭にぶら下がって揺れる白い人型が出た。
「何だこりゃ?どこに置いたかわかるか?」
言い終わらないうちに、メインスクリーンが周辺の地図に切り替わった。五角形の頂点に、赤く点滅するマーカーが表示された。
「五芒星だ……清明桔梗印か。誰だ陰陽師にかぶれた奴は?結界でも張って封じ込めようってのか」
「まさか、大介さんのアイデアじゃないですよね」
「違うだろ。大介さんが日本の古い呪法[[まじない]]を知ってるとは思えない」
「実体兵器が通用しないのなら、呪術的攻撃を試そうってわけですか。でも、やっぱり、フリード星のロボットでやっても効果は無いってことだな」
「問題はそこじゃないと思うけど……」
めまぐるしくキーボードを叩き続ける宇門の後ろで、佐伯と大井は顔を見合わせて肩をすくめた。
『所長、台の上に座ってる人が居るんですが……』
甲児の声が、集中していた宇門を引き戻した。
「どこの野次馬だ?」
『それが、立川流だと……』
「落語のか?」
『いえ、密教の方だそうで』
「甲児君、読み方が違うぞ---まあいい、僧侶が一体何の用だ?」
『幽霊を追い払うために来たと言ってます』
「そこに居ては危険だ。すぐ避難するように言いたまえ」
『言ったんですが、研究所には任せておけないって、全く聞く耳持ちませんよ』
宇門は、ひどく面倒くさそうな顔でマイクに向かった。
「わかった、もう構わなくて良いから、甲児君は警戒を続行するんだ」
通信が切れると、スピーカーから再び雑音が流れ始めた。
「---大井君、カメラを切り替えて映せるか?」
原生林の中に護摩壇を作り、結跏趺坐で真言を唱える僧侶の姿がモニターに出た。
「陰陽道の次は真言密教ですか。まあ、この際、お祈りでもお祓いでも何でも良いから、収まってくれりゃ結果オーライですよね。今のところ、我々の調査では対策の目処も立っていませんし」
「最先端の宇宙科学がSEX宗教に負けるのか……情けない話だ」
絞り出すように宇門は言った。
「こりゃあ、もし収まったらそれはそれで、所長のトラウマになりそうだなぁ……」
大井のつぶやきは、しっかり宇門の耳に入っていた。
「ともかく、科学でどうにもならないからといって、オカルトに走ればいいというものでも無いと思うがね、大井君」
「だけど、対策方法[[アイデア]]募集中なんて報道陣の前で言っちゃったのは所長ですよ。だから、腕に覚えのある呪術[[まじない]]師が詰めかけてきてるんじゃないですか」
宇門はコメントせずに立ち上がった。
「隣のコンピュータ室に行ってくる。あと少しだ……」
● PHASE 21 宇宙科学研究所、地下VAB
『全員、地下工場へ来てくれ』
宇門は所内放送のマイクで呼びかけた。
研究所の地下には、八十メートルサイズのロケット二基を同時に組み立て可能な規模の大工場があった。かつてはここで探査機やロケットの組み立てが行われていた。今は、少し離れた地中に、さらに大きな第二組み立て工場を作り、宇宙開発にはそちらを主に使っている。地下工場の方は、ここしばらくの間、大規模実験室として使っていた。
キャットウォークのある広々とした空間に、超小型の原子炉にも似た光量子転換炉が並んでいた。グレンダイザーの推進システムのリバース・エンジニアリングから始まり、スペイザーのエンジンの設計に至るまでの基礎実験で使ってきた装置である。
それぞれのまわりをついたてのような遮蔽板が取り囲み、ところどころに赤い三枚羽根の放射線管理区域のマークのプレートがぶら下がっていた。もっとも、実験をしてみた結果、光量子エネルギーはクリーンなものだとわかっていたので、今ではプレートはほとんど不要だった。さらにその外側に、制御用の基盤やらコンピュータやらを納めたラックが配置されて、ケーブルが床を這っていた。四方八方からライトに照らされて、内部は昼間の明るさである。
二重になっている耐爆・耐火扉が油圧でゆっくり開いた。装置を見上げていた宇門が、入ってくる所員達の方を向いた。
「所長、これは一体……」
どういうことですか、と山田が続ける前に、宇門が口を開いた。
「光量子研究用のエネルギー転換装置を使う」
「何をやるつもりなんですか」
「光量子エネルギーを解放するんだ。元は重力場推進や慣性制御を可能にするエネルギーだからな。三方向から同時にやれば、重力場の歪みを作り出せるはずだ」
グレンダイザーの推進エネルギーが光量子だとわかってからは、光量子を使ったエネルギー変換過程を実験によって調べていた。しかし、地球上の技術では、通常推進の光量子ロケットエンジンを作るのが精一杯で、重力や慣性の制御には成功していなかった。莫大なエネルギーを投入すれば、あるところから重力場---空間そのもの---の歪みを作ることは可能だったが、歪みが相転移的に発生する上、歪みの大きさを変えるために必用なエネルギーは、コントロールできる範囲を超えてしまっていた。
「反重力ストームは、ビーム到達範囲の重力場を変える技だ。あれで姿が揺らぐドッペルゲンガーならば、重力場の歪みを作ってやれば、閉じこめることも潰すことも可能なはずだ」
「転換装置を暴走させるつもりですか。下手したら、山の斜面全部持って行かれますよ」
山田が転換炉の周りを歩いて、運転状況を確認した。
「それに近いことになるが、他に方法がない。ドッペルゲンガーの存在する空間自体に歪みを作ってしまえば、後の制御も調整もいらん。反重力ストームを撃ちっぱなしというわけにはいかないしね。我々の転換炉でも、あの空間だけを変えるなら何とかなるだろう」
宇門は、ケーブルを外し始めた。
「起動用のエネルギー供給ラインと、最低限のモニターだけを外に運び出すんだ」
「外に向かってエネルギーを解放できる構造に作ったのが、まさかこんな形で役に立つとは思いませんでした。ただ、三つ同時に起動となると、研究所の水力発電とタービンジェネレータを動員しても不安ですね。反対側の送電線から電力をもらえるよう、協力を要請してきます」
大井はそれだけ言うと、扉に向かって歩き出した。
「これって、図面引いたの所長でしたよね。こんなこともあろうかと……って奴ですか?」
佐伯が、巨大なレンチを手に、床と装置を固定しているネジを外し始めた。
「いや、まあ、そういうつもりでは無かったんだがねぇ」
「っていうか所長、最近、宇宙科学研究所[[うち]]はいつも『こんなこと』ばっかりじゃないですか。そっちの方が問題なんだけどなぁ。特にベガの連中が来るようになってからは---」
林がクレーンのスイッチを入れた。天井のレールに沿って、モーター音とともにクレーンが移動してきた。
「ロケット搬出用のエレベータに載せて、後はCHー46[[バートル]]でつり下げ輸送しますかね。設置は大介さんにも手伝ってもらえるでしょうし」
● PHASE 22 八ヶ岳、蓼科高原
光量子エネルギー転換炉をつり下げたCHー46[[バートル]]が、ドッペルゲンガーの近くでホバリングした。ダイザーが転換炉を受け取り、岩盤が露出している場所を選んでそっと降ろした。所員達がアンカーボルトを打ち込んで固定作業を開始する。すぐ脇にテントを立て、制御用のラックとコンピュータを運び込んで転換炉のコネクタと接続した。埃や雨に備えて、テントの周りはシートで覆われている。起動用の電源ケーブルは、研究所と送電線から延びて、直接転換炉に接続されていた。これに加えて、細い光ファイバーの信号線が、制御装置と研究所を結んでいた。
ドッペルゲンガーの様子に変化はない。抱き合い、キスを交わし、腰を使って快楽をむさぼっているように見えた。
「こうなると、何の音も声もしないのが却って不気味ですね、所長」
テントの入り口のシートを降ろして、佐伯が出てきた。
「音声付きの方がいいかね?」
普段と変わらぬ穏やかな調子で宇門に言われて、佐伯は一瞬固まった。
「しかし、転換炉で外の重力場を変えるような運転をして、本当に大丈夫なんですか?」
「光量子だけで空間歪を起こさせながらまともに連鎖反応させたら最後、我々には止める手段がない。だから、少し条件を外したところで動かすつもりだ。そうすれば、外からのエネルギー供給を断てば自然に止まる」
「所長、送電線側も準備完了しました」
林が、続いて大井が、下草をかき分けて近付いてきた。
「レンジャー部隊の手を借りる必用もありませんでしたね」
研究所の輸送ヘリによる空輸と、地上での作業にダイザーも動員したことで、装置の設置は速やかに何の問題もなく完了していた。
「そうだな。陸路しか使えなかったら、とてもこの時間と人数では終わらなかっただろう」
空輸できなかったとしたら、ロープを張って滑車をとりつけ、転換炉も分解して輸送し、現場で組み立てなければならないところだった。
「テントの中からでも転換炉を起動できますが、どうします?」
山田が眼鏡を外して、顔の汗をぬぐった。
「事故が起きたら、最悪、このあたりにある物質がまとめてどこか別の時空に飛ぶかもしれん。研究所から制御しよう」
宇門は先に立って歩き始めた。
● PHASE 23 宇宙科学研究所、観測室
宇宙科学研究所がドッペルゲンガーの封じ込め作戦を開始したという連絡は、国防軍とマスコミに届いていた。万が一、事故が起きた場合に備えて、軍もマスコミも二キロメートル以上退避していた。ダブルスペイザーも、半径二キロのあたりを旋回して警戒を続けていた。ダイザーは五百メートル程のところから様子を見ていた。
「タービンジェネレータ始動。水力発電の電源と、転換炉出力を連動させます」
装置と研究所を光ファイバーで結んでいるから、制御の設定から起動に至るまで、すべてキーボードを叩くだけで済む。
「---よし、転換炉起動」
転換炉が莫大なエネルギーを飲み込み始めた。電源から見た場合、転換炉は時々刻々大きさが変化する負荷であり、その変化に合わせて発電機の出力が調整される。
出力ゲージが八十パーセントを超えたあたりで、抱き合ったままのドッペルゲンガーの姿が揺らいだ。まるで、水面に映る姿が緩やかな波で乱れるように、形を変えていく。
「始まったぞ。発電機[[ジエネレータ]]をそのまま維持しろ」
「やってます。ですが……」
佐伯が口ごもった。
「どうした?」
「研究所の出力にはまだ余裕があります。しかし、変電所経由の方がどこまで持つか」
「まずいな……」
言い終わらないうちに、送電線から電力を供給している転換炉の出力がいきなり落ちた。空間歪みを維持できず、ドッペルゲンガーの体の半分だけが、鮮明に現れた。
『先生、リゾート村から麓の茅野市に至るまで真っ暗です』
上空を飛ぶ甲児が報告を入れた。
「変電設備が負荷に耐えきれなかったか。思ったよりやわな仕様だな……」
宇門は顔をしかめた。
「国立研究所の加速器並みの電力を要求する転換炉の方が異常なんですよ。三段ダムの発電機から直接とってるわけじゃないですからね。間に弱いところがあれば、そこがネックになるでしょう」
「佐伯君、電力会社に連絡をとれるか?修理にどれくらいかかるか、確認してくれ」
「もう修理に向かってるとは思いますがね。しかし、修理したところで、今のままじゃ、転換炉と街に同時に電力を供給するのは無理でしょう」
「外にエネルギーを解放するとなると、予想以上にパワーを喰うな……」
宇門は腕組みした。
「黒四越えてる宇宙科学研究所[[うち]]の水力に、補助用のタービンを動員しても、転換炉二基で総発電量の八割が必用ですからね。変電所経由でやるとしたら、蓼科高原や茅野市だけじゃなく、松本から小諸あたりまで灯火管制しないと追いつかないんじゃないですか」
「いっそ、グレンダイザーを使ってみるか。装甲を一部外して光量子エンジンから直接出力を取り出せば、転換炉の起動には充分足りるはずだ。だが---」
「ベガ星への対応を考えると、それもちょっとまずいですよね」
「うむ」
左手を操作卓[[コンソール]]に置き、右手を顎に当て、目を閉じて考え込んだ宇門に向かって、山田が言った。
「さっき、短い間でしたがドッペルゲンガーの姿を変えることはできましたよね。でも、電波障害の方は全く変わりませんでした」
「では、ドッペルゲンガーが電波障害を直接発生させているのではないということか」
「それから、電波障害を起こしているノイズに対する、信号処理の結果が出ました。やはり、完全な雑音でもないようです」
「どういうことだ?」
宇門は立ち上がり、山田の前にある巨大なディスプレイを見た。いつもは電波望遠鏡の観測結果を出しているところに、種類の違うグラフが出ていた。
「三次元分出すのがやっとのグラフを二次元で表示するしかないので、ちょっとわかりにくいのですが、元のデータがこれです」
周波数、強度、時間の三軸で表されたグラフがゆっくり回転していた。半透明で表示された濃淡の形は、複雑に入り組んでいる。
「電気信号だと思うとやっぱりノイズなんですが、発生源に多次元の自由度まで仮定した場合はこうなります。データ量が膨大な上、どう処理すればいいのか手がかりがなかったので、時間がかかりましたが……」
山田が指さしたグラフの形に、宇門は見覚えがあった。
「超光速[[FTL]]通信の実験をやったときと似ているな……」
「所長もそう思われますか」
グレンダイザーの調査から光量子エネルギーの存在を知った後、研究所では推進法と通信への応用を試みた。しかし、光量子の完全な利用には、人類がまだ手にしていない物理学の知識が必用であったため、重力場と慣性の制御を推進に使う見込みはなく、超光速通信も、何をどうしたらいいか手探りが続いていた。とりあえず、超光速で飛ぶはずの粒子を作って送り出してはみたものの、直接検出する方法はなく、粒子が別の次元で相互作用をした結果、こちらの時空に発生したらしい電磁波を捉えたにとどまった。
「このノイズが、何らかの超光速通信の影響によるものだと仮定して、さらに多次元のデジタル信号が載っていると考えれば、観測結果をほぼ説明できます」
「電波障害だと思っていたのは、通常の超光速通信の痕跡だったというわけか。いずれにしても地球上のものではないな」
「だとしても、なぜあんなドッペルゲンガーが……」
「わからん、この実体の無さと来たら。待てよ……」
言いかけて宇門は、はっと目を見開いて、マイクを取った。
「デューク、聞こえるか?あそこに出ているのはまるで蜃気楼だ。こういう攻撃が以前にもあったな」
『父さん、僕も今それを考えていました。あの時は、滅んだはずのフリードの街をそっくり見せられました』
「超光速通信を使って発生装置を操ってる奴がいるかもしれん。グレンダイザーで探してくれ。我々のレーダーでは、超光速通信そのものを直接捉えることができん」
『了解しました』
「私としたことが、迂闊だったな。ドッペルゲンガーの実体の方に気を取られすぎた……」
● PHASE 24 日本上空、静止軌道付近
ダイザーは、超光速レーダーを受動[[パツシブ]]モードに切り替えた。通信の発信源は簡単に見つかった。
「父さん、発見しました。日本上空、ほぼ静止軌道に近いところです。これから向かいます」
ダイザーを軽くジャンプさせ、スペイザークロスし、そのまま垂直に近い方向に急上昇した。空力過熱で温度が上がり、機体が輝き始める。グレンダイザーは一気に大気圏を離脱し、数分で静止軌道に到達した。
ベガ星のものではない中型の円盤が止まっていた。グレンダイザーが近付いても、何の変化もない。
「円盤が居ました。今のところ、攻撃はしてきません。どうしましょう?」
『おかしな風景を見せられただけで、直接の攻撃は無かった。説得して地上に降ろしてくれ---もちろん、危険を感じたら攻撃するしかないだろうが』
「わかりました」
デュークは、グレンダイザーから停船命令を送った。すぐに応答があった。
『一体何事やねん!』
「今地上に向けて送っている通信を中止し、これから指示する場所に着陸せよ。逆らえば攻撃するぞ」
円盤が逃げ出そうとしたので、デュークは、すかさずスペースサンダーで威嚇射撃をした。円盤をかすめて電撃が駆け抜け、宇宙空間の彼方に消えた。
『わかった、わかりましたがな……。通信は止めたし、これからシャトルで出るさかい、どこへでも誘導してぇな』
円盤のハッチが開いて、小型の円盤が飛び出した。
● PHASE 25 宇宙科学研究所
ドッペルゲンガーの姿は、現れた時と同様、唐突に消えた。電波障害もおさまり、研究所のレーダーに、付近を旋回する多数の飛行物体がコード付きで次々に表示されていく。
「封じ込め作戦は終了だ。光量子転換炉カットオフ。タービンジェネレータ停止。水力も通常運転に戻せ」
矢継ぎ早に宇門の指示が飛んだ。佐伯が受話器を取り上げて、電力会社に、作業終了の報告と協力に対するお礼を伝えた。
「山田君、レーダーと電波望遠鏡の設置を元に戻して観測を続行---全自動[[フルオート]]にして、今日は終了だな」
山田が機器室へ向かうのを見送って、宇門は立ち上がった。
「どこへ行くんです?所長」
林が呼び止めた。
「ヘリポートだ。私が出よう」
「ちょっと待ってください」
ヘッドセットを脱ぎ捨てて、林が立ち上がった。
「管制業務を続けたまえ。円盤は私が空から誘導する」
「空中指揮機[[エア・フオース・ワン]]を気取ってどうするんです?降りてくるのを待ってりゃいいじゃないですか」
「どのみち、バートルを移動させないと着陸場所が無いだろう」
歩きながら宇門は答えた。光量子転換炉を運んだ後のバートルは、ダブルスペイザーの発射台下のヘリポートに着陸させてあった。
「研究所に円盤を降ろすんですか」
「そのつもりだ。だから、ついでにこの目で確認したい。相手も、それに付近の状態も」
「夜が明けてからの方がいいと思いますけどねぇ。移動だけなら私がやりますよ」
林の言葉にはかまわず、宇門はそのまま廊下を進み、エレベータに乗ってヘリポートに向かった。林が小走りで後を追った。
「搭乗前七時間は酒飲んじゃいけないんですがねぇ。所長はまだ---」
「いや、もう大丈夫だ」
スライドドアを開けてバートルの操縦席に滑り込んだ宇門が、手慣れた操作で離陸シーケンスを開始した。林が慌てて隣の副操縦士席に乗り込んだ。ローターの回転数が上がり、サーチライトがヘリポートを煌々と照らした。離陸直前に宇門は無線で呼びかけた。
「甲児君、バートルの離陸を確認したら戻ってくれ。スペイザーは発射場に移動させ、ヘリポートは空けておくんだ」
『わかりました』
自重九〇トンのダブルスペイザーが垂直着陸するときのダウンウォッシュを浴びたら、バートルは確実に飛ばされて墜落する。
バートルが離陸し、研究所上空から離れるのと入れ違いに、研究所からのビーコンを捉えたダブルスペイザーがアプローチを開始した。
● PHASE 26 宇宙科学研究所、上空
「あまり高度を下げないでください、所長。テントが飛ばされます」
「わかっている」
操縦桿を握ったまま宇門は答えた。足下のキャノピーから下を見る。焼けこげ倒れた木々を囲んで、白いテントの屋根がサーチライトの光を反射していた。
「また、随分派手にやったものだ……」
騒動が起きた場所を一周した後、バートルは上昇を開始した。
キャノピー越しに雲一つない夜空を、宇門は見つめた。
「雨は降りそうにないな」
「予報でもそう言ってました」
「転換炉の収容は明日でも大丈夫だな」
航法コンピュータの指示を見ながら、宇門は、バートルの進路をグレンダイザーの帰還軌道へと向けた。
『所長、まだマスコミのヘリが何機か残ってます』
観測室から佐伯が連絡してきた。
「わかった。以後、すべての通信にスクランブルをかける」
宇門は、通信機の設定を切り替えた。
はるか上空に、軌道ステーションでも人工衛星でもない軌道を描く光が見えた。
「デューク、聞こえるか?」
『父さん、どうしたんです?』
「宇宙人はどうした?」
『シャトルに二人乗ってます』
「研究所のヘリポートに着陸させる。シャトルは光学迷彩できるか?できるだけ目立たないように降ろしたい」
「わかりました。僕はどうしましょう?」
「低空飛行で自動警戒管制[[バツジ]]システムを避けて、ルート5から戻れ」
交信している間に、光る点が近付いてきた。バートルに、超音速衝撃波の影響が出ないように、かなり離れた位置で減速を始めた。光学迷彩中のシャトルが、グレンダイザーの前方で、微妙に屈折率が揺らいだ空間を作っていた。
「大した機能を持ってますね、所長」
ああ、と宇門は頷いて、インカムのマイクで呼びかけた。
「そこの宇宙人、聞こえるか?先導するからついてきたまえ。着陸したら、こちらの指示があるまでそのまま待機せよ」
宇門は操縦桿に力をこめ、バートルを研究所へと向けた。
● PHASE 27 宇宙科学研究所、ヘリポート
光学迷彩を解除して現れたのは、小型の円盤だった。普段戦っているベガ星のものとは、形も色も違っていた。マヤ文字のような、絵とも文字ともつかない記号が機体表面に描かれていた。
先に研究所に戻っていた甲児が、サイクロン銃をハッチに向けて構えて警戒していた。所員達が周りから写真を撮る。フラッシュの光がひとしきり瞬いた後、赤外線や紫外線で照らしての撮影が始まった。
「やいやい、あんなもの出すなんて、一体どういうつもりなんだい!」
銃を構えたまま近付こうとした甲児を、宇門は、右手を挙げて制した。
「そこの宇宙人、そのままゆっくり出てきたまえ。話がある」
インカム経由で、宇門の声がヘリポートのスピーカーから響いた。ハッチが内側に落ち込むように開いて、緑色の皮膚の人間型宇宙人[[ヒユーマノイド]]が二人、姿を現した。
「アンドロメダの辺境の種族のようです。ベガ星とは無関係のはずです。どうします?父さん」
大介が、宇門に耳打ちした。
「ベガと無関係であっても、研究所の内部を知られるのはまずい。玄関から直接ラウンジに案内してくれ」
「いいんですか?所長」
カメラを片手に林が言った。
「武器による攻撃は無かった。とりあえずお茶でも出すしかあるまい」
「あ、だったら俺、コーヒーがいい!」
甲児の一言に、思わず宇門は目で笑った。
「甲児君……」
たしなめようとした大介を、宇門は遮った。
「大介、いいんだよ。おそらく甲児君のこの明るさに、弓教授も随分救われていたのだろうね」
● PHASE 28 宇宙科学研究所、ラウンジ
「銀河系規模のテキヤの一員だとぉ!}」
コーヒーカップを持つ手を止めたまま、宇門は、二人の宇宙人をしげしげと見つめた。
「そや。わしらお化け屋敷担当なんやけど」
翻訳機を通して、関西弁で流れ出した宇宙人の言葉に、所員一同はしばらく絶句した。
「---所長、円盤に書かれていた文字ですが、地球上に該当するものはありませんでした。コンピュータで解析中ですが、まるで暗号解読でして……」
沈黙を破ったのは佐伯だった。
「あ、それ、わしらの星の文字で『納涼』って意味や」
あっさり言われて、努力を無にされた佐伯と大井が揃ってテーブルに突っ伏した。宇門も椅子からずり落ちかけている。
「君達のお化け屋敷は、蜃気楼発生装置を使うのか?」
「いや、使ぉたんは幽霊発生装置や。まあ、原理は似たようなもんやけどな。わしらの幽霊は、その星の住人が抱いた妄想を調べて、そっくりなもンを見せるんや。何せ、いろんな星で演[[だ]]し物やっとるもんで、ま、何がええかは星によって違うしな」
確かに、人外のものを信じて怖がるのは、妄想といえなくもない。
「では、君たちは、お化け屋敷を出したつもりだったのだな?」
「その通りや」
「それが、どうしてストリップ劇場になったのだ?」
ずっと引っかかっていた疑問を、宇門はストレートに口にした。
「そんなはずは……」
宇宙人は、顔を見合わせて口ごもった。
「質問を変えよう。どこで、何を、調べたのかね?」
「実地調査したんは三日前で、場所はX一〇七、Y四〇……」
佐伯が端末を取り出して、数値を入力した。
「測地系を合わせると、東経一三九・四七・四二、北緯三五・三七・三八です、所長」
「そこには何があるのかね?」
「イベント会場、東京ビッグサイトです」
「三日前に何があった?お化け屋敷の博覧会か?」
宇門はコーヒーをすすった。
「同人誌即売会[[コミツクマーケツト]]でした」
即座に答えたのは、宇宙人ではなく佐伯だった。訝る宇門の表情を見て取って、佐伯は補足した。
「僕も、友達と一緒にソフトウェア出してますんで……」
宇門は宇宙人の方を向いた。
「で、何を調べたのかね?」
「わしらが手に入れたんは、これなんですわ」
宇宙人は、バッグから同人誌の束を出して、テーブルの上にどさっと置いた。宇門は一冊手にとった。表紙に、少女マンガのようなタッチで美化された大介と甲児が、裸で抱き合っている絵が描かれていた。確かに、「妄想」というカテゴリーに分類されることに間違いはない。
「出現したのは確かにこういう物だった。だが、なぜあの大きさなのだ?我々のサイズは見ての通りだぞ」
「それは、コイツが、山には大きいのが出るもんやって言うたさかい……」
宇門は首をかしげた。
「ダイダラボッチの話じゃないですかね。山に出る巨大な妖怪で、全国各地に伝承があります」
山田が、眼鏡の縁を触りながら言った。
「状況はわかった。どうやら、我々は、どこぞの遊園地でやってる『カリブの海賊』のアトラクションに向かって正規軍を展開するような真似をやらかしたらしい……科学技術のレベルに雲泥の差があるとはいえ、情けない限りだ」
苦虫をかみつぶした表情で宇門はコーヒーの残りを流し込んだ。
「あのぅ、わしらは、何か悪いことでもしてしもたんやろか」
おずおずと質問した宇宙人に、宇門は説明を始めた。
そもそも幽霊屋敷の意味を根本的に間違えている上、超光速通信を使うと強烈な電波障害を発生させ、地球の防衛や通信に多大な影響を与えてしまうのだということを理解させるのに、十五分ほどかかった。説明が進むにつれ、宇宙人が神妙な顔つきになり、最後は泣きそうな表情になった。
「どうしたのかね?」
「あかん、こら確実に当分営業停止や……。その星の技術レベルを越えて、環境を乱すようなことをしたらいかんっちゅうのが、絶対守らんならん決まりやさかい……」
消え入りそうな声で言う宇宙人を見て、所員達が顔を見合わせた。そこへ、自動ドアが開いて、刑事達がなだれ込んできた。
「原因を作ったのはそいつらですか?宇門所長。今度こそ、わいせつ物陳列罪で逮捕する」
まだこのへんをうろついていたのか、と宇門はうんざりした表情で刑事達を眺めた。
「待ってください。彼らに故意はない。騒ぎが大きくなったのは我々が勝手に騒いだからで……第一、宇宙人に刑法を適用できるのですか?」
言われた刑事が言葉に詰まった。侵略行為を繰り返すベガ星連合軍に対しても、刑法が適用された前例は無かった。
「仕方ありませんな……二度とこんなことが起きないようにしっかり頼みますぞ」
「私に免じて、どうか許してやってください」
立ち上がって宇門は一礼した。刑事達が出て行くのを待って、すっかり畏まっている宇宙人の方を向いた。
「何とか内密にしてもらえんやろか……何でもしますさかい」
「そう言われても、我々には、君達が騒ぎを起こしたことを、宇宙の彼方に居る君達の上司に報告する方法すら持ち合わせてはいないのだがねぇ」
「でも、それではわしらの気が済まんし……」
「わかった。関係修復に私も一肌脱ごう」
「所長まで脱ぐんですかぁ……」
山田がぼそっと言った。所員達を見廻した宇門は、全員が引いていることに気付いて、思わず慌てた。
「ものの例えだ。まったく、みんなすっかりトラウマになっているな……」
「我々のコンタクトときたら……最初が亡命、次が侵略、そして今度は営業ですか。もうちょっと厳かに、外交関係から始まるかと思っていたんですけどねぇ」
「営業が一番平和的じゃないの、佐伯さん」
大井が、佐伯のカップにコーヒーを注ぎ足した。
「それでは、本物のお化け屋敷を二、三日やってみる気はあるかね?」
つかの間考えた後の宇門の言葉に、宇宙人二人は身を乗り出した。
「では、しばらくここで待っていてくれ。情報提供しよう」
● PHASE 29 牧葉家
「夜分遅くに済みません」
牧葉家を訪れた宇門を、団兵衛と吾郎が出迎えた。バーベキュー大会を途中で抜け出したことを詫びてから、宇門は吾郎に声をかけた。
「本を貸してもらいに来たのだが……」
「先生が?僕の本を?」
「そうなんだ。童話や民話、絵本もいいね。幽霊や妖怪の話が出ているものはあるかい?あるだけ見せて欲しいのだが」
「ちょっと待ってね。今取ってくるよ」
吾郎が階段を駆け上がっていった。音をききつけて、リビングからひかるが出てきた。
「まあ、先生。騒ぎは収まったんですか?」
「ええ、何とか」
「お酒もお料理も、まだだいぶ残ってますけど、研究所のみなさんでいかが?」
「ありがとう。いただきます」
宴会の途中で飛び出して、夜食も摂らずに仕事をする羽目になっていたことに、言われて初めて宇門は気付いた。ひかるから料理と酒を受け取り、あらかたジープに積み込み終わった所へ、吾郎がやってきた。
「これで全部だよ、先生。でも、先生がこんなもの読むなんてねぇ……」
紙袋三つに入れて差し出された絵本や資料を宇門は受け取った。
「いやぁ、助かるよ、吾郎君。研究所にあるのは科学や技術の専門書ばかりだからね」
● PHASE 30 宇宙科学研究所、ラウンジ
大介と甲児と所員達が夜食を摂っている隣のテーブルで、宇門は宇宙人と向き合い、地球上の幽霊や妖怪について講義を始めた。
吾郎が渡した資料を、年代別地域別に分類するところから作業が始まった。
「この絵は日本、つまり我々の地域に古くから伝わる妖怪や幽霊で……」
水木しげるのマンガを示しながら宇門は言った。宇宙人が三次元ディスプレイ付きのノートパソコンを使ってメモを取った。机の上の、何もない空間に、妖怪のミニチュアが実体化しては消えた。
「次に、西洋、つまりこの星の反対側の地域に伝わる妖怪だが、吸血鬼ドラキュラ、狼男、フランケンシュタインあたりが有名だ」
別の資料の山を見ながら、真剣な顔で宇宙人が頷いた。
一通りの説明が終わった後、宇門は訊いた。
「何か質問はあるかね?」
「ありまへん。よう分かりましたわ。明日から早速始めさせてもらいます」
「ちょっと待ちたまえ。どういう規模でやるつもりかね?」
宇宙人が示した必用な面積は、小さいグラウンド程度だった。宇門は携帯端末を取り出し、優雅なタッチでキーボードを叩いた。
「数日なら空いている場所があるので、今から借りておこう」
「ほな、これで失礼します。明日の朝までにお化け屋敷作って、このあたりの街に案内出しますわ……」
宇宙人はラウンジを出て行った。入れ替わりに、勤務弁護士[[アソシエイツ]]が入ってきた。すれ違った宇宙人の姿をみて、一瞬ぎょっとした表情をする。
「何かね?」
「今のは一体……?」
「君の事務所は見かけで人を判断するのかね?」
「---いえ、そういうわけでは。サインをお願いします、宇門所長」
弁護士が差し出したのは委任状の束であった。
後は報告書を書くだけだ、と言って、料理と酒と宇宙人が持ち込んだ同人誌を手に、宇門は所長室へと戻った。三十分ほどして、佐伯が報告書を受け取りに行ったが、引きつった顔で手ぶらで戻ってきた。
「何かあったのか?」
大井が声をかけた。大介も甲児も佐伯の方を見た。
「所長の様子が……」
それだけ言うと、佐伯は椅子に座った。林と山田が立ち上がった。
「とりあえず、そっとしておいた方がいいと思うよ」
「わかった。気付かれないように見てくる」
林の後を追って山田と大井が、続いて大介と甲児が部屋を出て行った。五分ほどして戻ってきた一同は、まるで誰かの通夜に出てきたような表情になっていた。
所員一同が見たのは、所長室入り口近くのソファに座り、まったく無表情なまま、同人誌に山ほど付箋紙を貼りながら読んでいる宇門だった。料理にはほとんど手をつけないまま、持ち込んだ酒は半分以上減っていた。宇門がこういう表情になるのは、頭をフル回転させているときで、鳶色の瞳にはほとんど何も映っていない。
「---やっぱり、僕が報告書を書いて所長の決裁をもらった方が良かったかな」
佐伯がぽつりと言った。
「飲みたくなる気持ちはわからないでもないけど……ショックだろうな。自分の研究所を舞台に山ほどやおい本を書かれてたわけだし。ましてやこんな騒ぎのあった後じゃあ……」
大井が頭を抱えた。
「宇宙人の勘違いと地球人の妄想の、見事なコラボでしたからね」
「山田さん、それコラボって言うんですか」
感慨深げに言った山田に、すかさず林が突っ込んだ。
「佐伯さんは知ってたんですか?あんな本が出てるってこと」
甲児が訊いた。
「話にはきいてたけど、現物を見たのは初めてだよ。甲児さんや大介さんは気にしないんですか?」
「俺は別に……ま、わけわかんねぇこと考える奴が世の中に居るってだけの話だしな」
「恨まれたり憎まれたりするよりはいいのかもしれないね。戦いではどうしても被害が出てしまいますからねぇ」
「じゃ、後の問題は所長のカルチャーショックのケアだけか」
佐伯は暗澹たる気分でため息をついた。
「まあ、ああいう世界を理解できるかどうか……理解できなくてもそれなりに許容できるかどうかは、世代にもよるしなぁ。浮いた噂もない堅物の所長じゃ、馴染めなくても無理もない、か---」
大井が遠い目で、ラウンジの窓を見た。
「笑って済ますか、馬鹿馬鹿しいと投げ捨てるかすればいいんだけど、あれで妙に真面目な人だから、本気で理解しようとしてる節があるんだよな」
佐伯が、窓に映った大井の姿に向かって言った。
「消化不良起こすだけだよ……」
「---けど、今回はさすがに許容範囲を超えちゃったみたい……ですよね。ショックで変な方向に目覚めなきゃいいけど」
山田の一言に、所員達は体温が音を立てて急低下したのを感じていた。
「冗談じゃない、俺たちが困る」
大井はラウンジの天井を見上げた。
「ともかく、所長にとっては、とんでもない悪夢だったな。今夜の出来事は」
● PHASE 31 宇宙科学研究所、所長室
「父さん、もう遅いですよ。そろそろ切り上げませんか」
大介が所長室に入ってきた。宇門は付箋紙だらけになったやおい同人誌をテーブルに置いて、ふらふらと立ち上がった。二、三歩歩いたところで、バランスを崩して倒れそうになった。大介が慌てて支えた。
「宇宙人の文化より地球人の文化の方が理解が困難だとは思わなかったよ、大介……」
大介の肩に左腕を回したまま、宇門は言った。所員達が心配そうにドアから様子を見ていた。
「大丈夫ですか?そんなに酔われて」
「山田君か……大したことはないよ……」
「もしかして、激怒しておられるんじゃないかと……」
佐伯は、怒鳴りつけられる覚悟で口を開いた。
「そこまで野暮でも馬鹿でもないさ……私は」
少し俯いて宇門は続けた。
「あれを書いたのは……結局のところ二人のシンパなのだろう?それくらいは分かったよ。理解はできなかったがね」
所員達は、大介に抱えられるようにして帰宅する宇門を見送った。
● PHASE 32 蓼科高原
---翌日。
蓼科高原のリゾート地の一角に、有名な遊園地並みの幽霊屋敷のアトラクションが一夜にして出現していた。軌道上から呼び寄せた円盤を中心に、いくつもの通路や建物が接続されていた。
周辺の家のポストにチラシを配った甲斐があって、開園前から家族連れが入り口に列を作っていた。宇宙人二人もお化けに扮して、客の受け入れ準備に余念がなかった。
「たくさんお客さんが来てくれるのはええけど、今回も赤字やでぇ」
「しゃあないがな。営業停止でつぶれるよりマシやろ」
「今度からもっとちゃんと下調べせなアカンなあ……」
● PHASE 33 宇門邸
「これが届いてましたよ、父さん。彼らはきちんと約束を守ったようですね」
大介は、宇門にお化け屋敷のチラシを手渡した。青ざめた顔でリビングのソファに横たわった宇門が、いかにも大儀そうにちらっと内容を見て、テーブルに置いた。向かい側に座ったマリアが手にとって読んでいる。
電話に出ていた甲児が受話器を置いた。
「先生、ひかるさんから電話です。みんなでいっしょに遊びに行かないかって……」
「君達で行ってきたらどうかね。私は少し休ませてもらうが---」
「しかし、ホントに大丈夫ですか?先生」
「---何、少し飲み過ぎただけだ。時間が経てば治るよ」
ひどい頭痛に悩まされながら、宇宙人が持ち込んだやおい本の内容を宇門は思い出した。昨日の騒ぎの報告書を作るためとはいえ、自分の息子と研究員のSEXの記述を延々と読む羽目になったのは苦痛でしかなかった。宇宙人がどの部分を使ったかを特定するために、それらしい場所に付箋紙を付けてチェックし、通し番号を振って似た表現の分類をするというのは、酒でも飲まなければとてもやっていられない作業であった。作業の最後の方の記憶は無いが、大介に支えられて帰ったことだけは何となく覚えていた。
あれこれ考えて気が緩んだ途端に吐きそうになって、宇門は上半身を起こした。歯を食いしばって深呼吸して耐える。
「マリア、僕が見ているから甲児君と一緒に出かけてきたら?」
心配そうに宇門を見つめるマリアに向かって、大介は言った。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「行こうか、マリアちゃん」
甲児とマリアが出て行った直後に、また電話が鳴った。呼び出し音から、研究所から直通の呼び出しだとわかった。電話を取ろうと宇門は立ち上がったが、動作は緩慢だった。大介が慌てて電話に出た。
「ちょっとしばらく動けそうにないですね」
大介は、蹲ってしまった宇門を眺めた。受話器を置いてから声をかけた。
「後始末は大体終わったって報告がありました」
「---そうか」
同人誌に対する調査を今後もすべきかどうかで宇門は珍しく迷っていた。他に何を書かれているのか把握することは必用かもしれないが、把握したところでこれから先の活動が変わるとも思えなかった。何より一番の問題は、調査をしたところで内容が理解できるとも共感できるとも思えないということだった。
再び襲ってきた吐き気をこらえて、宇門はため息をついた。
「地球人の方が別の意味で厄介だったとはな……」
● PHASE 34 宇宙科学研究所
宇宙科学研究所の所員たちは、昨夜の大作戦の後始末をしていた。バートルで四往復して、光量子転換炉や機材をを地下VABに収納した。再び床に転換炉を固定し、必用なケーブルをつないで、自動診断プログラムを走らせた。
「そう深刻なエラーは出てないな。所長もロバストな実装をしてくれる……」
大井が関心した口調で言った。
「そういや、所長はどうしたんだ?」
「さっき電話したんだが、大介さんの話だと、気分が悪いって寝込んでるらしい」
林が答えた。
「無理もないか……」
実験室の片隅のコンピュータのディスプレイが警告メッセージを出した。佐伯が席について、端末を操作する。
「---やれやれ、またウチのシステムに侵入[[クラツキング]]を試みた奴がいるぜ。昨日からひっきりなしだ」
「大丈夫かよ……」
「宇宙科学研究所[[うち]]のセキュリティを破れる奴なんてそうそう居るわけがないさ」
佐伯は、林に軽くウインクして見せた。
「しかし、何が狙いなんですかね」
山田が、画面をのぞき込んだ。佐伯は、ネットワーク経由でいくつかの掲示板やニュースサイトをチェックした。
「うわ……昨日のHビデオ、既に売られてるぜ。軍の購買部[[PX]]とネットオークションで」
「結構、いい値段がついてますね」
「---わかったぞ、そういうことか」
ドッペルゲンガーを撮影した最も品質のよい画像[[ビデオ]]は、最初から観測と対策を行った結果として、宇宙科学研究所が押さえていた。ログを見る限り、侵入[[クラツキング]]は、その画像目当てであることは間違いがなかった。
「最新鋭のモニターシステムでHビデオを撮影する羽目になるとは思わなかったけどな」
大井は、隣の端末を開いた。
「しかし、こんなものが出回ってると知ったら、また所長が……」
佐伯がため息をつく。
「我々で全部落札[[おと]]しますか?」
山田が値段を確認した。データを更新するたびに、じりじりと値段が上がっていく。
「予算、どうします?自分の金を払ってまで欲しい代物じゃないんだけど」
林が他の三人を見廻した。どうにもならない、と三人とも首を振った。
「二日酔いの所長を叩き起こして、エロビデオの買い占めの指揮を執ってくれって頼むしか無いんですか……」
買い占めたところでコピーが出回るのを防ぐことは不可能である。この件に関する限り、所長にすべてを報告する勇気はさすがに無く、顔を見合わせた所員の表情は一様に暗かった。
● PHASE 35 長野地方裁判所
同じ頃、勤務弁護士[[アソシエイツ]]六人が、紙袋を両手に提げて長野地方裁判所を訪れていた。宇門に対する名誉毀損報道の損害賠償請求の訴えを起こすためである。被告の数がやたらと多い上に、証拠のビデオのコピーが一件につき三本必用であったため、訴状と証拠の量がふくれあがっていた。
「提出です」
裁判所の窓口に、次々に紙袋が置かれた。カウンターが埋め尽くされる。一瞬唖然とした書記官は、それでも気を取り直して受け取り、事件番号を振り始めた。
事実上の地球防衛指揮官に対して、衆道[[ホモ]]の噂を広めたツケは意外に大きかった。マスコミ各社はこの後二年に渡って、宇宙科学研究所と訴訟合戦をくり広げることになる。
● PHASE 36 牧葉家
「ねえねえ、おねえちゃん、こんなの入ってたよ」
吾郎が郵便受けからチラシを取って、リビングに走り込んできた。ひかると団兵衛がのぞき込んだ。
「---納涼、リアルなお化け屋敷、無料体験日か。面白そうじゃな」
「父上、大介さんや甲児さんもさそって、一緒に遊びに行きましょうよ」
「吾郎、宿題はしたんじゃろうな?」
「ちゃんとしましたよ」
「よし、ではみんなで遊びに行くか」
団兵衛の言葉に、吾郎は両手を挙げて大喜びした。
「今度は子供も安心して楽しめるみたいね」
ひかるは受話器を取り上げ、宇門邸に電話をかけた。
甲児とマリアがやってくるのに、十分もかからなかった。
「ひかるさん、行きましょう」
「あれ、大介さんは?マリアさん」
「それが……何か、先生が具合悪いって言うんで、様子を見てるんだよ。まあ、大したことはないし、先生も行っておいでって言ってくれたしさ」
甲児はマリアと顔をみあわせた。
「まあ、残念ね」
「昨日、先生は遅くまで仕事してたみたいだからね。きっと疲れたんだよ。大介さんも大変だなぁ……」
甲児もマリアも、敢えてここで吾郎に真実を告げて誤解を解こうという気分にはならなかった。
「ま、仕方ないさ。今日のところは俺たちだけで楽しもうぜ。な、吾郎君」