MISSION 2 拘束系 Holonomic system
● PHASE 1 ○○大学・兜研究室
弓が初めて兜十蔵教授の研究室に来たとき、研究室は多忙を極めていた。直前の空襲で下町が焼かれたため、研究室をあげて機材やら資料やらを分散させて保管するための作業の真っ最中であった。
十蔵がドイツから帰ってきて大学で研究室を立ち上げて間もなく、日中戦争が始まった。翌年、国家総動員法が制定され、三年後には、日本は太平洋戦争へと突入した。兵役を免れた科学者は、直接・間接を問わず軍事を指向する研究に携わることになり、十蔵もまた例外ではなかった。原子力が兵器に応用できるということは、既にこのころ原子力工学者の常識となっていたが、技術的問題から五年以上先になると考えられていた。国内では、理研を中心として、ウランの濃縮から始めて、兵器開発を目指した研究者グループが軍と一緒に活動していた。しかし、その人数は少なく、まともな工業生産力を欠いた状態では実現は不可能だった。
原子力工学を専門に選んではみたが、これから先何をどうしたものかと不安を覚えつつ、弓は兜教授のところを訪れた。
「戦時研究に参加することになるのでしょうか」
「参加も何も、ここには材料が何もないのだがね」
おずおず切り出した弓に向かって、十蔵はあっさりと答えた。
「では、これまではどんな研究を行ってこられたのですか」
「原子力をエネルギー源として利用するための基礎研究だ。平たく言えば発電所の設計だな。残念ながら、今の日本の状態では当分建設できそうもないが」
十蔵はわずかに溜息をついた。
「ウランは理研に集約することになっているし、陸軍も援助していた。その理研の設備もこの間の空襲で灰になった。ここも早々に疎開させることになるだろう」
「では、一体どうすれば……」
「物が無くても物理法則は変わらん。聴ける講義は聴いて勉強しておくことだ。それから、早めにテーマを決めるつもりがあるなら、やってほしいことがある」
十蔵は、透明なサンプルケースを弓に手渡した。
「これまでに分かっているどんな物質とも違っている。これが何で、何ができるかを調べるのが君の仕事だ」
金属光沢を放つ試料が中で転がって音をたてた。
「ウランがらみじゃないんですか?」
「それは既に調べたが、ネガティブだった。だから、我々で研究してもかまわないだろう。まあ、ゼロからやれとは言わん。私がこれまでに調べた結果を見せよう」
十蔵は、古びたノートを三冊、背後の書棚から引き出した。弓は受け取り、自分の机に戻ってノートを開いてみた。
ノートはハードカバーのA4版のものであった。所々に記された日付と、全てドイツ語で書かれていたことから、十蔵教授がドイツ留学中のものであることがわかった。一冊目の前半は核物理の基礎研究に混じって、新元素の可能性がある物質Xの分析という項目がしばしば出てきていた。二冊目では、新元素だとしたらどのような性質を持ち、利用できるかという可能性を理論的に検討していた。後半になると、理論計算に混じって、機械工学の基礎実験について書かれていた。三冊目の最初の方で理論計算は終わっており、残りは人型のロボットの設計製作に関するものであった。核物理の研究、せいぜい逸脱したとしても新エネルギー探索の研究になるはずが、どうして途中からまるで違うものになったのかと訝りつつ、弓は、十蔵の実験の追試から始めようと考えた。
● PHASE 2 富士山麓・仮設実験棟
十蔵は、設備のほとんどを大学から富士山麓青木ヶ原の山中の仮設研究棟に移動させていた。研究棟は、樹海を切り開いて均した土地の上に、一棟ずつ少し距離を置いて建ててあった。間にコンクリートの塀を作って両側に盛り土してあり、建物の周囲を土手が取り囲んでいるような光景だった。辺鄙な所なので当面は空襲の心配は無いとはいえ、もし攻撃を受けて一つの建物が火事になっても他に延焼しないようにという配慮であった。
テーマも実験場所も決まったものの、弓は、実験をすぐに開始することはできなかった。講義の合間に半日がかりで出かけて実験しようにも、まずは移動のあとの調整からやらざるを得ず、その上しばしば停電で作業を中断することになった。自家発電装置の簡単なものはあったが、装置を存分に動かすには燃料が不足していた。
五月の東京大空襲の時、弓は十蔵とともに疎開先の仮設実験棟に来ていた。後から確認したところ、大学の建物は無事だったが、水道も電気も止まってしまっており、大学での実験継続は不可能となった。
十蔵は、弓を伴って富士山麓の樹海の、弓にテーマとして渡した鉱石を拾った辺りを探索した。自然にあいた竪穴の側面や路頭を注意深く削ると、それらしい鉱石をもっと掘り出すことができた。リュックに詰めて担いで帰れる量はわずかだったが、精錬に使える電力に限りがあったので、それで足りていた。
弓は、不安定な電力の条件のいい時を狙って、小さな炉で鉱石を解かし、精錬作業をして、新しい金属の純度を高めたものを分離していた。合金を作りやすいため、純度はなかなか上がらなかった。正体を突き止めて利用法まで調べるには、もっと集める必要があった。まともな実験器具も動力源も無しに、何とか工夫しながら実験を続けていたある日、十蔵が新聞を持って実験室にやってきた。
「広島に新型爆弾が落とされた。多分ウランだ」
「では、実現したんですか。日本が作って逆転を狙うっていう軍の宣伝はありましたが……」
「動力も材料も欠いていては、夢物語に過ぎん。理研の連中は今頃悔しがってるだろうな。科学者としての完全な敗北を意味する」
十蔵は冷静だった。
「先生は悔しくないのですか?」
「ウランで先を越されただけだ。次には抜けばよい」
十蔵は、弓が単離した金属を入れてある小さな試料瓶を手に取った。
「この状況では、なかなか集まらないのですが……」
「継続してくれ。それからちょっと一緒に出かけたいので準備してくれ」
● PHASE 3 広島
十蔵は、弓を伴って広島に向かった。弓はガイガーカウンターを入れた箱を担ぐことになった。非公式の調査ということで、既に入っている調査団とは別行動をとった。
核反応のエネルギーが莫大だということを、弓は、計算の上で知ってはいたが、その大きさを実感したのは、廃墟となった街を見た時だった。燃えないはずのコンクリートは高熱で灼かれて風化し、金属はまるでガラス細工で出たゴミのように溶け落ち捻れたままの形で固まっていた。
「あまりにも効率が良すぎる。これでは、普通の戦争で使う兵器には、却って不向きだ」
何もかも吹き飛ばされた爆心地を見て、十蔵は呟いた。至る所に瓦礫に混じって人骨が散らばっていた。普通に空襲されたのであれば、もっと建物も、そして死体の肉片も残っているはずだった。
「神の浄化の炎と呼ぶか、悪魔が運んできた地獄の業火と呼ぶかは立場によって違うだろう……しかし、発見したエネルギーをこんな形では使いたくないものだ」
「勿論、地獄……の方でしょう、先生」
放射線を測定しながら、弓はやっと言葉を発した。
「何、神だって時には無慈悲なものだよ。だが、科学技術を使うなら、神と悪魔のどちらになるか選べる立場でありたいな」
十蔵は鞄から地図とクリノコンパスを取り出した。しかし、目標となるべき建物は無く、道であったはずの場所が瓦礫で埋め尽くされているとあっては、今居る場所と地図を対応させるのは難しかった。
「本格的な測量の道具でも持ってくるのだった」
「精度は悪くなりますが、コンパスだけで何とかするしかなさそうですね」
「私の指示通りに歩いて測定をしたまえ」
遠くにいる弓の身長は、コンパスの鏡に小さく映る。その縮小率から距離を決めて、爆心地周辺の測定を終えた時には、既に日が暮れかかっていた。弓は、瓦礫の間から見えている土を掬って缶に入れた。蓋をして、外れないように紐で縛った。
「此処で食べ物を口に入れない方がいい。早々に引き上げよう」
十蔵に言われなくてもそうするつもりだった。夜通し歩いて、明け方には、まだ動いている鉄道の駅にたどり着いた。富士山麓の実験棟に戻るには、さらに丸一日以上が必要だった。
● PHASE 4 富士山麓・仮設実験棟
長崎に同種の爆弾が投下されたという情報を聞いたのは、広島から戻ってきた翌日のことだった。今度は、十蔵も「調査に行こう」とは言い出さなかった。そのかわり、広島での測定結果を書き込んだ地図と、弓が測定している最中の、持ち帰った土の放射能の値を見て、深い溜息をついた。
「そう長い時間待たなくても、また人が住めるはずです。喜ぶべきことでは……」
「だから完敗なのだ……」
十蔵は続けた。
「いくら連鎖反応が早いといっても、始まれば急激に温度も圧力も上がる。余程巧く作らない限り、未反応のウランがばらまかれてしまう」
「じゃあ、早く減ってるということは……」
「ほぼ完全にウランを核反応させたということだ。工学の勝利だな。それも圧倒的な」
十蔵は、弓が使っていたガイガーカウンターのスイッチを切った。部屋に静寂が戻った。
「我々に勝ち目はない。だが、負けたところで殺されはせんだろう。次のことを考えて研究を続けるんだ」
弓の肩を軽く叩いて、十蔵は背を向けた。
日本が全面降伏したのはそれから間もなくであった。その日も、普段と変わらず、実験棟周辺にはうるさいほど蝉が鳴いていた。
暫くして、国内の原子力関係の研究室には占領軍の調査が入った。核兵器開発が行われていたかどうかを調べる目的であった。十蔵は何度か呼び出され、研究室の設備や購入した材料の伝票までチェックされたが、やっていないものはやっていない。何一つそれらしいものが出てこなかったので、兜研究室に対する調査は早々に打ち切られた。
弓が続けていた新物質を特定するための実験は、材料が放射線を全く出していなかった上に、核物理学との関係もなかったため、ありふれた材料工学の実験とみなされて、殆ど無視されていた。
物資は不足していたが、それでも少しずつ良くなっていた。発電機の数を増やしてどうにか小型のサイクロトロンを動かし、弓は、十蔵からもらった材料が新元素であることを突き止めた。とりあえず、その新元素をジャパニウムと呼ぶことに決めた。これが弓の学士論文となった。弓が、研究を続けたいと希望したため、十蔵は、新元素が何に使えるか、特にエネルギー源と材料の両面にわたって調べることをテーマとして与えた。十蔵は、新元素にはエネルギー源になるものとそうでないものの二種類があるはずだと予測したから、それを確認することが弓の次の仕事になった。
そのためには、できるだけ純度の高いジャパニウムをたくさん手に入れる必要があった。弓が仕事にとりかかろうとした頃に、もりもり、せわし、のっそりの三博士が研究室にやってきた。三人は、もともと十蔵の研究室で研究していたが、戦争が激しくなったので繰り上げて博士号を取得後、軍の技術将校の下で働いていた。国内の研究機関に派遣されて、兵器の開発に協力することがその任務だった。戦争が終わって軍が無くなったので、再び研究をするために、十蔵のところに戻ってきたのだった。三博士は、弓が取り組んでいる問題の話をきくと、金属を再結晶させてある程度まで純度を高めるための大型の装置を作ってしまった。大学の実験室育ちの弓よりは、開発の現場をくぐってきた三博士の方が、ものを作る手際はずっと良かった。
弓は、純度の高いジャパニウムを手に入れようとしたが、修士論文の締め切りには間に合わなかった。結局、より純度の高い合金の形に精錬できる設備を設計・製作し、動作を確認したという内容をまとめた。
ジャパニウム鉱石の採集は、ほとんど人力に頼っていた。手軽に採集できる場所は、十蔵がかつて偶然手にした附近だけで、手に入れられる量も限られていた。新しく戻ってきた三博士も一緒になって研究を進めることになったから、あっという間に材料が不足することになった。
「本格的に採掘するしかないということだな」
弓と三博士の報告を教授室で聞いた十蔵は、立ち上がって書棚から富士山周辺の地質調査図を取り出した。実験棟の位置がインクで書き込まれ、その近くが帯状に赤い色鉛筆で塗られていた。
「富士山の洪積世の地層のうち、ジャパニウムの鉱脈がありそうな場所の推定位置だ。過去のボーリングによる調査は間隔が広すぎて、正確なことまではわからないが……」
「そこにジャパニウム鉱石が?」
「おそらくな。私が最初に見つけたのもここだった」
十蔵は、赤く塗った領域の端を指さした。
「では、早速採掘を」
もりもり博士が部屋を出て行こうとした。
「待ちなさい。地図の上では比較的平坦に見えても、実際には樹海で足場も悪い。そう簡単に調査などできんよ。第一どうやって機材を運ぶつもりかね」
「それなら私に考えがあります」
すかさず言った弓を見て、十蔵は続きを促した。
「ロボットを作ってみてはどうでしょう?先生が以前やっておられたように。人の力が足りない時こそ必要なのでは」
「ロボットか、面白い。やってみなさい。みんなも手伝ってあげなさい」
この日から、弓は、人型巨大ロボットの設計を始めた。
十蔵のノートを参考にして設計を始めたから、基本構造はすぐに決まった。原子炉の代わりに、航空燃料で動くタービン発電機[[ジエネレータ]]を背負わせ、人が乗り込んで動かせるように操縦席を後頭部に作った。さらに、胴体内部に爆薬を積み込み、両腕と頭部に測定装置との接続コネクタやカメラを取り付けた。操縦のための装置と測定のための装置を全部操縦席で動かすことにしたため、操縦席を四方からパネルやスイッチが取り囲む恰好になった。
「二人乗り[[タンデム]]にした方が良かったのではないか」
整備用の足場の上に立って腕の配線を確認していた弓の方へ、梯子を登りながら十蔵が近づいてきた。
「いや、大丈夫です。私一人でも何とかなります」
「大量の爆薬を積んで足場の悪いところを動き回るわけだが、安全にやれるのかね?」
「信管は現地で取り付けます。そうそう爆発はしないでしょう。それよりも---」
「何かね?」
「山林にダメージを与えてしまわないか心配です」
鉱石の分布を知るには実際に掘ってみるしかないが、ボーリングの数をそうそう増やすこともできない。弓は、爆薬を使って人工的に地震を発生させ、揺れが伝わる様子を広範囲に測定することで、地下の構造を調べるつもりだった。
「それについては、出来るだけ被害が出ないような計画を立てよう。まあ、道路を造らなくても調査機材を運んで設置できるのが最大の利点だろうな」
弓が地質調査用ロボットの最終点検をしていた頃、十蔵は一人の青年を弓に引き合わせた。
「私の息子で、剣造という」
「あなたが……」
弓は右手を差し出した。剣造は力のある掌で握り返してきた。教授の一人息子が先日同じ大学の同じ学部に入学したという話は、弓も伝え聞いていた。
「早く研究に加わりたいというので、私の研究室に限って参加を許すことにした。ここの設備も使うことになるだろうからよろしく頼む」
「実験装置の説明はいつでもやりますが、その……」
どこから説明すればいいのでしょうか、と続けようとした弓に向かって、十蔵は笑った。
「私の研究に関連する部分については、学部で教わるようなことは全部知っている。英才教育などするつもりは全く無かったが、勝手に勉強しおったのでな」
驚いている弓に向かって、剣造は「よろしく」、と会釈した。
地質調査が始まると、弓は、研究棟の隣に新しく作った急ごしらえの建物で過ごすことになった。ロボットの整備用の道具や燃料、調査で持ち帰った岩石資料などを入れる倉庫を兼ねていた。外から見ても中にはいってみても、研究施設というよりは、町工場の建物に近かった。
数日分の食料と野営道具一式を積み込んで調査に出かけ、作業に区切りがつくと戻ってきてロボットの整備とデータの整理をするのが弓の生活の全てだった。軽量合金で作ったとはいえ、エンジンを軽くすることができず、故障にせよ燃料切れにせよ、山中で立ち往生したら最後、搬出が困難になることは明らかだった。それだけに整備点検には手を抜けない。
特にトラブルが多発したのは、予想通り関節部分だった。フィールドに出て、細かい砂が入り込むと途端に動きが悪くなった。毎回分解して掃除していたが、傷ができたり、無理に動かしたためゆがんだりした部品が出て、しばしば関節の一部を新品と交換していた。この日も、弓が次の調査の準備をしていると、十蔵が様子を見に来た。
「はかどっているかね」
「ええ、何とか」
整備用の足場につかまったまま、弓は答えた。十蔵は広い屋内を歩き回っていたが、痛んでしまったため交換した部品を並べてある一角で足を止めた。小型の一つを手にとって力を入れる。ガリ、と音がして、引っ掛かりながら動いた。
「外で使うなら、可動部分は完全に覆った方がいい」
「そうしたいのですが、重くなりすぎて難しいのです」
弓は、整備のために足場からロボットの腕に飛び乗った。その衝撃で腕がゆっくりと角度を変えた。滑り落ちそうになって、弓は慌ててロボットの腕にしがみつきながらゆっくりと下に移動した。
「おい、関節を固定しておかんか、馬鹿者」
やっとの思いで床に飛び降りた弓を見て、十蔵は溜息をついた。弓の作業用机の上にあった紙と鉛筆を持ってくると、紙を床に置いて簡単な図面を描いた。
「こんな感じで固定してはどうかね」
弓は、差し出された紙を受け取った。ロボット内部に関節固定用の器具をとりつけた、関節部分だけを覆うカバーが描かれていた。
「すぐ作業にかかります。ただ、次に出かけるのが数日遅れてしまいますが……」
「かまわんよ。これまでのところ順調に進んでいるようだしな」
作業机の脇に富士山麓の地図が貼ってある。そこに書き込まれた調査ポイントを見て十蔵は頷いた。
野外調査が一段落した頃、日本列島は梅雨入りした。連日の雨で調査に出ることができなくなったので、弓は集めたデータから内部の地層の状態を推定するための計算に取り組んでいた。十蔵の指示で、最初に考えていたよりずっと地下深くまで調べることになったので、データの量が増えていた。その作業の合間を縫って、ジャパニウム鉱石を炉に入れて溶かし、再結晶を繰り返して精製を行っていた。
ジャパニウムの純度を上げることは難しかった。溶かして冷やす時に、大部分が他の金属と合金を作ってしまうため、うまく取り出せなかったのだ。急冷すれば表面の一部にだけほとんど純粋なジャパニウムが膜のように出てくることはあったが、たくさん作るのは無理である。弓は、どういう組成にすれば、最もたくさんジャパニウムを取り込んだ合金ができるかを調べ続けた。加える金属を変えながら何度も溶かしているうち、手持ちの炉で過熱した位ではどうしても溶けない固まりができてしまった。
「これ以上の精製は無理か……」
次の手順を試すため、試料を取り出して箱に入れかけ、弓は手を止めた。
「溶けない合金か……使えるかもしれない」
弓は、固まりの周囲にこびりついた余分な材料を切り落とした。カッターでも切れない固まりが手元に残った。さらに、丁寧にヤスリで削って、芯の部分を取り出した。それから数日かけて、密度、硬度、電気的・磁気的性質から初めて、実験棟でできる測定を順番に試し、一通り終わったところで結果をレポート用紙にまとめて、十蔵の部屋を訪れた。
十蔵は、息子の剣造と話をしていたが中断し、弓が持ってきた結果に目を通した。
「チタンよりも固いのに衝撃に強い、か。その上融点が高く、熱による変形も少ないというのだな」
「偶然できたものです。組成は後から調べました」
削ること自体が困難だったため、光やX線を使って組成を調べたので、あまり正確とは言い難かった。
「材料としては素晴らしい性質を持っている。これを使えば、今君が使っている地質調査用のロボットの性能は格段に上がるだろう。合金Zとでも名付けてはどうかな。ジャパニウムの濃度はさほど高くなくてもできるということか」
「はい、この組成なら量産できると思います」
弓は答えた。
「どう思う?」
十蔵は、弓が持ってきた結果を剣造に渡した。剣造は、ぱらぱらと紙をめくって目を通した。
「実用的には、量産するならこちらでしょう」
「こちら、というと既に何か別のものが?」
剣造の言葉に、弓は引っ掛かるものを感じた。
「実は、まだ少量だが、ほぼ純粋なジャパニウムを取り出すことに成功した」
「何ですって?一体どうやって?私は随分たくさん試してきてもできなかったのに……」
年下の駆け出しの研究者である剣造があっさり成功したというのを聞いて、弓は驚愕していた。
「化学的な方法---ウランと同じ方式でね。ハロゲン化させて溶液にしてから、電気を使って析出させた。だから、わずかな量しか取り出せていないのですよ」
「気付かなかった……」
弓は呻いた。
「むしろ、弓さんのおかげで私は気付いたんですよ。弓さんが、鉱石を溶かして再結晶させるやり方をあれほど試して見つからないのなら、私が同じことをやっても出来るはずがないですから」
剣造の言葉は、弓の方法は袋小路に迷い込んでいると婉曲に指摘する内容になっていた。だが、剣造の口調には、皮肉めいたところは微塵もなかった。
「詳しくは、こうなります」
剣造に実験ノートを差し出されて、弓はページをめくった。一週間もあれば追試できる内容だった。
「これで、好きな組成で合金を作れますね。ジャパニウム濃度が高いもので、いい性質を持った合金を探すなら、弓さんの方が早いでしょう」
「それは、できると思いますが……」
「少し調べてみてくれんかね?私の予想ではこのあたりだと思うが……」
十蔵は、ペンを取り出し、合金の組成を机の上の紙に走り書きして弓に渡した。
「どうせこの天気では、建物の中でデータ処理をするしかないのだろう?」
十蔵の部屋の窓から見える雲は分厚く、土砂降りの雨の音は部屋に居てもうるさい位だった。
「しかし、これは剣造さんの成果です。応用まで含めて研究を継続されては……」
「そのことでしたら気になさらないでください。まだ、冶金の経験では私は弓さんには及びませんから、弓さんに続けていただいた方がいいものが出来ると思います。それに、今度はロボットの設計を手がけるつもりなので、両方を同時にやる余裕はありません」
剣造は、父十蔵のしてきたことを踏襲するつもりなのだと弓は思った。
弓は、剣造が見つけた精製方法をそのまま追試してみた。処理途中の液体に強い磁場をかけると、ジャパニウムが二つに分離した。磁石の周りに集まってきたものの量は少なかったが、集めて精製したものにγ線や中性子を照射すると、入れたエネルギーよりも多くの光を発することがわかった。磁石に引きつけられなかった方にはその性質は無かった。十蔵が予想した通り、ジャパニウムにはエネルギー源になる燃料用のものと、材料になる合金用のものがあることは間違いなかった。夜通し、エネルギーを発する様子を観察した後、朝一番に十蔵を捕まえて弓は報告した。予想通りだった、と満足げに頷く十蔵を見て、徹夜明けにもかかわらず、弓は気分が高揚していた。
三博士達に手伝ってもらって、弓は、剣造が見つけた精製方法をスケールアップした、ジャパニウム製造プラントの建設にとりかかった。材料を入れるタンクや、析出させるための巨大な電解層の間を配管が結んでいた。さらに、廃液処理装置まで接続すると、ちょっとした化学工場になった。地質調査のついでに、ロボットを使って鉱石を掘り出すようになってから、手に入るジャパニウム鉱石の量は以前よりかなり増えていた。この夏、弓は、ジャパニウム鉱石を集める作業に追われることになった。
純度の高い材料用のジャパニウムを用いて、ジャパニウム濃度の高い合金をいくつか作ってみたら、合金Zよりもさらに頑丈なものができた。成分を変えたときの性能の違いをあらかた突き止めてから、弓は十蔵の所へ報告に行った。既に秋になっていた。
「見つけたか」
十蔵の問いは短かった。
「はい、しかし、大量に作るのはまだ無理です」
狙った組成の合金はたくさん作ることができたが、期待した強度が出るものはそのうちのわずかだった。弓が手にしていたのは、せいぜい数センチ四方程度の板状の試料に過ぎなかった。
「強度が出る理由は、原子レベルで欠陥のない合金になるからか……君が最初に見つけたものが合金Zなら、これは超合金Zとでも呼ぶべきだろうな」
「生産量を増やす方向で進めましょうか?」
「それは急ぐ必要はない」
「では、私はどこまでで一区切りつけましょうか?」
そろそろ学位論文をまとめる時期になっていた。
「何を書いてもかまわないが、足りなくて困ることはあるまい。ロボットの設計製作から地質調査から、ジャパニウムの分離精製プラントの設計運用まであるのだから」
考えた末、弓は、ジャパニウムからクリーンなエネルギーを取り出すことができることを確認したという内容で論文をまとめることにした。原子力工学を専門に選んだ初志貫徹のつもりだった。さらに、もし十分なエネルギーを確保できていたなら、太平洋戦争などしなくて済んだかもしれないし、戦争を始めたとしても終わらせる時にはもう少し有利な条件で講和できていたかもしれないという考えたことも、エネルギー取り出しにこだわった理由だった。基本となった現象の発見とその実験の説明にページのほとんどを費やし、連鎖反応で安定してエネルギーを取り出す条件を計算したものをまとめるという内容で第一稿を書いた。
十蔵の指導を受けるため、弓は手書きの原稿と図を持って十蔵の部屋に向かった。十蔵は机の上に大きな図面を何枚も拡げて見ていた。
「先生、まとめたので見ていただけますか?」
弓は、十蔵に論文を差し出した。ついでに机の上に目をやり、十蔵が熱心に見ていたものが、これまでに見たことのないロボットの設計図であることを見て取った。
「これは……先生はまた新しいロボットの設計をなさっていたのですか?」
「いや、これは剣造の考えたものだ」
「何という……」
論文を出しに来たことも忘れて、弓は目の前の図面に見入った。この半年、論文をまとめるためのデスクワークばかりになって、弓は倉庫兼整備工場の方には顔を出していなかった。入れ替わりに剣造が出入りして、ロボットの腕やら足やらの試作をやっているということを話にはきいていた。
「素晴らしく洗練されている……」
弓も、自分で地質調査用のロボットを作り、実際に動かして経験を積んでいた。参考にした十蔵の設計に対し、自分なりに改良点を見つけていたし、それを活かして次はもっと性能の良いものを作ろうという計画を立てていた。しかし、剣造が出した答は、弓の想像を遙かに上回っていた。
「私もそう思う---親馬鹿と言われるかもしれんがな」
「とんでもない。これは本物です。私が作ったのとは比べものにならない性能を出せると思います」
言いながら、弓は、ロボットの開発をテーマにして学位論文をまとめなくて良かったと心底思っていた。剣造とロボットの開発で競争しても、到底勝てる気はしなかった。
「それで、博士号を取った後はどうするつもりかね?」
「できれば、今の仕事を続けられたらと……」
「原子力工学者としての仕事かね?」
「そう……です」
弓は、ロボットの設計図をちら、と見た。この先、ロボットの設計を主な仕事に決めたとしたら、敗北感を味わい続けるだけだろう。
「それなら、私の助手になるがいい。そして、新しいエネルギー源の開発を進めることだ」
「よろしいのですか?」
先輩にあたる三博士も居れば、弓を独力で超えつつある剣造も居る。それをさしおいて助手になっていいものか、と弓は気になった。
「弓君が居た方が、他の皆が動きやすい」
「そういうものですか……」
「そういうものだ。皆、君の手伝いをするのを楽しんでいたはずだ」
十蔵の言う通りだった。弓自身はさほど意識していなかったが、弓は、困っている姿を見ると周りがついつい手伝いたくなるような雰囲気を持っていた。
「エネルギー利用と、合金Z、超合金Zの生産が主な仕事だ。ただし、超合金Zについては暫くの間、発表を差し控えてくれ」
「合金Zでも、世の中にアピールする性能を十分に持っていますが、しかし何故です?」
「広島を思い出せ。後に残った放射能を除けば、街の破壊の主な原因は、急激なエネルギーの発生によるものだ。超合金Zの性能があれば、臨界量を遙かに超えたジャパニウムを、高圧を保ったまま内部で一気に連鎖反応させることができる。クリーンでもエネルギーはエネルギーだからな。放射能を持たないだけで、大量の熱とそれによる大気の膨張、広範囲にわたる衝撃波の発生は十分に起きる」
「確かに爆弾を作ることは、理論上は可能です」
「放射能が残るとなると使用をためらうこともあろう。だが、ジャパニウム爆弾は後に放射能を残さない、極めて効率のよい通常兵器ということになる。兵器として使いやすい分、却って始末が悪い」
「わかりました。平和利用を掲げて研究を進めます」
部屋を出て行こうとした弓を、十蔵は呼び止めた。
「来年、私は海外出張で当分の間、日本には居ないかもしれん。その間の研究室の実務をやってもらいたい」
「どちらへ行かれるのです?」
「ロードス島だ」
エーゲ海のロードス島に、人類の有史以前のものと思われる遺跡が見つかったという話は、既に何度か新聞に出ていた。
「しかし、あそこは考古学者の仕事場所では……?」
「実は、最近になって巨大ロボットが出土した。ほとんど動態保存されているらしい。数千年も動作可能な状態で保存する技術や、それがどれほどの性能のものなのかは、ロボット工学者でないとわからん。近々、考古学者と工学者で調査団を作って、本格的な発掘作業をすることになった。チームに加わるように要請されたので、引き受けるつもりだ」
十蔵の専門は原子力工学だったが、地質調査とはいえ人型巨大ロボットの運用実績を持つ研究室は他に無かったので、調査を依頼されたのだった。
「先生の留守の間は出来る限り研究室をお守りしますが、剣造さんの指導は私にはちょっと……」
荷が重い、と弓は言いかけた。
「ああ、それなら気にすることはない。あれは、卒業したらすぐアメリカに留学して、博士号も向こうで取るつもりでいる。大学のことは、私も時々は帰国するから、そんなに心配することもなかろう。私がやってきた研究の記録は置いておくから、好きに使うといい」
昨年、対日講和条約が締結されて、アメリカとの人的交流も再開されつつあった。それでも、アメリカに留学できるのは、他の国に行かれては戦略上まずいと認められるような人材が優先されていた。弓は、自分も行ってみたいと思わないでもなかったが、剣造が描いた設計図を思い出して納得した。
その後、弓は学位論文を二度修正して、審査と最終試験を受けて学位を取得した。その直後に、十蔵はロードス島に旅立ち、剣造はMITに留学していった。
弓は、十蔵に与えられたテーマを三博士達と進めながら、十蔵が残して行った昔の研究の記録を追いかけることになった。
● PHASE 5 富士山麓・仮設実験棟
夜の実験室の床を、途切れることなく水が流れていた。白衣の前にゴムのエプロンをかけ、マスクとヘアキャップを付けた弓の前で、麻酔で眠らされたウサギが横たわっていた。頭から背中にかけて、毛は完全に剃られていた。その脇には、鈍い光沢を放つロボットの腕と足が並んでいた。細い金属の信号線が伸びている。
一週間前にも同じような実験をやった。その時は、脊髄に到達してから足の神経をたどり、ロボットの足をつないだ。麻酔から覚めたウサギは、どうにかロボットの手足をコントロールしていた。今回は、可能な限り脳に近い位置でロボットの足を繋いでみるつもりだった。脳だけを残して残りを機械の体にして動かすことが最終的な到達点だと弓は考えていた。
十蔵がロードス島へ出向いてから、弓は研究室の留守を守り、順調に光子力エネルギーの基礎研究を進めていた。研究室のメンバーの協力も得られ、進捗状況には何の問題もなかった。客観的に見て、弓は十分すぎるほどよくやっていた。しかし、弓にとって、それは十蔵の引いたレールの上をただ歩いているだけに過ぎなかった。
十蔵の部屋で剣造の描いた設計図を見た時のショックを、弓は忘れることができなかった。ロボットの設計ではこの先剣造には到底勝てない。材料開発にしても、剣造から大きなヒントをもらっている。ジャパニウムの発見、性質の特定の実験を中心になって実行したことは確かだが、それは全て十蔵の着想と指導によるもので、弓が自ら決めてやったものではない。十蔵と出会ってから今に至るまで、研究者としての弓は、十蔵の掌から一歩も出ていない。地質調査は相当の部分を独自にやったが、既に調査の大半は終わったと判断していたし、この先地質学者になる気は無かった。三博士達は、めいめいのびのびとロボットやエネルギー利用の研究をしており、研究室を任された弓を一応は立ててくれていた。弓は意識して調整役に徹していた。三博士の誰かとぶつかる方向に自身の研究を進めてもうまくいかないだろうと予想していた。
弓個人としてはどの方向に進もうかとあれこれ考えながら、十蔵の残した記録を調べることになった。十蔵が積極的に手を出していないのは、生体で機械を制御するという部分だとわかった。そこを攻めれば、十蔵とも剣造とも違う部分で自分のオリジナルな研究ができるのではないか。
弓は、ピンセットでウサギの皮膚をつまみ、ハサミで切開した。何度か生物学の研究室に通って教わったので、作業に慣れてきていた。脊髄に到達するのに大した時間はかからなかった。今回の実験では、脳を活かすのは本来の体で、手足の制御の信号だけを延髄の近くで入れ替えることになる。間違って生命維持に必要な神経を傷つけると実験は失敗である。弓は、一つ一つ確認しながらロボットにつながる細い信号線を埋め込んでいった。全てが終わり、麻酔が覚めるの待つだけになったとき、疲れ切った弓は椅子に座り、手術台に顔を伏せて眠ってしまった。
---弓君、此処に居たのか?
声をかけられて弓は目を覚ました。脇に十蔵が立っていた。
「先生……いつ日本に?ロードス島の調査中ではなかったのですか?」
「国際会議がらみで仕事を頼まれてな、準備のために急遽帰国した」
「おっしゃってくだされば、迎えに行きましたのに」
「何、気にしなくていい。君にも一緒に会議に出て、光子力の現状について発表してもらう。内容を指示するから準備をしてほしい」
「わかりました」
仕事の指示をしながらも、十蔵は立ったまま、実験台の上を眺めていた。
「で、これはどういうつもりかね?」
「私なりに調べた結果です。光子力の実用化は三博士達が中心になって、もう間もなく実現する。ロボットの設計は、どう考えても剣造博士がブレイクスルーするでしょう。我々のグループでほとんど手を付けていないのは、生き物を使って小型の機械をコントロールする分野です」
「確かにその通りだが……私のノートを見たのか?」
「---はい。小型のロボットを作ろうと試みた部分を読みました。その後ほとんど進んでいないようでしたので……」
十蔵は、脇のワゴンの上に置いてあった弓の実験ノートを手に取った。無言で最初から読んでいく。
「こういうことを始めるとは、予想外だったな……」
「私は、先生のおっしゃること以外、してはいけないのですか?指示された仕事は十分やっているつもりです」
「確かに、君は、私が指導した弟子の中でも優秀だ。研究室のことも非常によくやってくれている」
「それなら、残った時間で私が自由に研究をしても、何も問題は無いはずです」
珍しく弓は食い下がった。
「だが、これでは……」
十蔵は、実験台の上で、機械の腕を繋がれたまま眠っているウサギを見た。
「生き物を機械の部品にしているだけだぞ」
「ですが、私には、私にしかできなかった仕事は何もない……」
「そんなことで悩んでいたのか?だから、私がやっていなかった研究に手を出したのか?」
「いけませんか?先生」
弓が普通程度に優秀な研究者だったら、十蔵や剣造の仕事を見て凄いとは思ったとしても、自分にも何とかなるかもしれないと楽天的に考えただろう。だが、弓は優秀すぎた。それ故に、十蔵や剣造の才能が、努力で追いつけるものではないことを、容赦なく認識することになった。そこで、弓は、十蔵も剣造も手をだしていないテーマを探して進もうと考えたのだった。
「いけなくはないが……君のしていることは、ヘルの追試だ」
「ヘルって……もしかして、ロードス島調査団の?」
調査団の代表が、考古学とロボット工学の二つの分野を専門とするドクターヘルという研究者であるということを、弓は、以前に新聞で見た記憶があった。
「私がドイツに留学していた時の、元同級生でもある。ともかく、君がやっている実験は、随分前にヘルが終えている」
「一体どういうことですか?」
「まあ、ついてきなさい。どうせウサギが目を覚ますまでの間、待っているしかないのだろう?」
十蔵は歩き出した。
十蔵は、教授室まで弓を連れて行った。留守中、部屋の資料は弓が自由に見ていいことになっていたが、その弓にも入れない、施錠された物置が奥にあった。十蔵は鍵を開け、扉を開いた。ほこりっぽい臭いが漂ってきた。
十蔵は、入り口にある照明のスイッチをいれ、まっすぐ奥に進んだ。四畳半ほどの広さの空間に、古い真空管やら測定機器やらが雑然と積まれていた。その奥に、木の箱が立てかけてあった。十蔵は、箱の全面の蓋をずらして脇にどけた。等身大の機械の体が中に立っていた。
「かつて、ヘルは、生き物の体を機械で置き換えようとした。そのヘルの研究を見て、私なりに試作したものだ」
頭部はがらんどうで、首から下は金属のフレームで輪郭が作られ、内部のメカが見えるようになっていた。
「これは……」
弓は、手を伸ばして胸の中に格納された機械に触れた。次に、腕をとって軽く曲げた。抵抗無く関節は曲がったが、人間のものよりずっと重い腕であることがわかった。
「どうして発表なさらなかったのです?」
「ヘルの研究が倫理的に問題になってな、ドイツでは表だってこの手の仕事はできなくなった。そのうち帰国して原子力工学に忙殺されているうちに戦争になり、それどころではなくなった」
十蔵は、弓と並んで立ち、久しぶりに自らの成果を眺めた。
「私にはここまでが限界だった。この構造と重量を見てみろ。顔の形や体格は人間のようにできても、中身は機械そのものだ。まあ、この程度のものは、本気になれば君ならすぐに作れるだろう。いい材料も手に入ったことだしな」
弓は、獲物を追う目で機械の体を見つめていた。
「ヘルは大型ロボットも作ったが、そちらは私の作ったものの方が性能が良かった。私は、動力源と材料の開発でヘルの先を行っていたからな。ロボット工学だけならせいぜい互角の勝負だった。専門分野は一つでは足りない。その分野を支えているもう一段下の分野を押さえると、開発で優位に立てる」
「---心しておきます」
「実のところ、この研究をそのままにした理由は別にあるのだ」
十蔵は独り言のような調子で言った。
「こんなものでも、人間以上の力は出せる。人間と違って、弾丸を喰らっても、そうそう死ぬことはない。痛みを感じないように作ることだってできるだろう。脳だけ生かしておける維持装置を組み込めば、人間を作り替えることだって原理的には可能だ」
「それが、何故いけないのですか?体が機械になっても人は人です」
「なあ、弓君。人間を洗脳するときにはどうやるか知っているかね?」
意外な質問に、弓はすぐには答えられなかった。
「一つの方法は、体の自由を奪ったり単調な行動をさせたりして、脳がニセの感覚を得るようにし向けるのだ。そのタイミングで別の情報を与える」
「一体何の関係があるんですか?」
「君は、脳が機械を制御することしか考えていない。だが、その時、脳への入力はどこから来るのだ?」
十蔵は、試作品の機械の体から目を離さずに問うた。
「体を動かした時、意識しなくてもその情報は脳に戻る。そのフィードバックがかかって初めて脳は正常に動作するのだ。だから、入力を、元の体があったときとは違うものにしてやれば、案外脳は簡単に狂うかもしれん。ニセの信号を与え続ければ、外から脳を操ることだってできるだろう。敵と戦えと洗脳すれば、死なない兵士の軍隊を作ることができるのだ。このことがわかれば、軍は私に仕事をさせただろうな」
「そこまで考えていませんでした……」
「サイボーグの開発を目指せば、これまでとは違った何かが見えると思ったのか?」
十蔵は、弓の方を向いた。
「だが、ヘルもまた、ずっと先を進んでいる。私がこれしか作れなかった時、体重から触った感触まで人間そっくりのものを作っていた。脳で機械を制御することだって、動物実験までは成功させていた」
「では、その後のヘルは……」
「はっきりしたことは分からん。が、簡単には死なない兵士を作るため、ナチスに合流したと聞いてはいる。どううまく立ち回ったものか、戦犯にはならずに研究を続けているが、詳しいことは私にも何一つ言ってはくれない。多分、思い出したくもないのだろう。考古学などという、現実の利害とは無縁の学問を第二の専門にしていることとも、何か関係があるのかもしれんな」
十蔵は、箱の隅に突っ込んであったノートを取り出し、弓に手渡した。これまでに弓が借りたのと同じ種類のハードカバーのノートだったが、半分ほどのサイズで、ページの端は黄ばんでいた。五ミリ方眼の罫線の中に、日付と共に縦書きの日本語が書かれている。実験記録ではなく日記であることが見て取れた。
「あまり考えたくはないが、第三帝国では人体実験のやりたい放題だったに違いない。ヘルが仕事の成果を全て提供していれば、死なない兵士の軍隊を得たナチスが負けることなどなかったと思うが、何があったのだろうね。ともかく、あの才能がその経験を積んで、一体どこまで研究を進めたのか、私にもちょっと想像がつかんよ」
十蔵は言葉を切って、哀れむ目で弓を見た。
「君がヘルを超えられるならいいがな。さもなければ、私の路線[[レール]]からは外れても、今度はヘルの背中を見ることになるだけだぞ。それでも、得られるものがあると信じるなら、ヘルの後を追うがよい」
● PHASE 6 十蔵のノートより抜粋
×月×日
ドイツに来て半年経った。毎日が講義と実験だが、新しいことを知るのは楽しい。同級生の多くは、週末になるとベルリンの街へ遊びに出かけているが、私は金を節約するために大学の図書館で過ごすことにしている。
図書館居残りの常連組に、ヘルという男がいる。ライン地方の貧しい家の生まれだときいている。子供の頃から神童と呼ばれていて、大学へは奨学金を得て進学してきた。窪んだ大きな目と痩せぎすの体がこれまでの苦労を物語っているようだ。大抵は薄汚れた白衣か綻びた上衣で、図書館の端の方で本を読んでいる。
×月×日
今学期の成績が発表された。自分では完璧にこなしたつもりだが、いくつかの科目でヘルに負け、総合順位で二位だった。世界は広いと認めざるを得ない。
講義が終わってから、廊下でヘルを見かけたので声をかけた。「成績一位、おめでとう。実は僕も自信はあったが今回は完敗した」と言うとヘルは嬉しそうに笑ったが、すぐ真顔になって「成績が悪くなれば奨学金を打ち切られるからな……」と呟いた。
×月×日
こちらの生活にもだいぶ慣れたし、トップは取れないにしても、成績は二位を保っている。そろそろ、婚約者のゆみこを日本から呼び寄せようと、手紙を書いた。大学では聴講生も受け入れているので、共に学ぶことができるだろう。
×月×日
時々、下宿の机の引き出しから、握り拳ほどの金属光沢を放つ石を取り出して見ている。
高校の時、夏休みに富士山へ山歩きに出かけ、青木ヶ原の樹海に踏み込んで道に迷った。木の枝が時折途切れると、満天の星が見えていたことを憶えている。原生林をさまよい続け、何度か溶岩の洞穴に落ちそうになって肝を冷やした。夜明け頃には何とか林道に出ることができ、遭難を免れたのだが、その直前に滑り落ちた穴の底で拾ったのがこの石だ。昔の火山の活動で、マグマと共に古い地層が押し上げられて地表に出てきたものらしい。何とも不思議な輝きをもっていたし、これまでに鉱物の図鑑などでも見たことがなかったものだったので、そのまま持って帰った。高校の理科の実験室を借りて、何でできているのか知る限りの方法で調べようとしたが、既存の鉱物のどれにもあてはまりそうになかった。
もう少し私の知識が増えて、大学の分析装置を借りることが出来れば、何であるかがわかるだろうと思う。
×月×日
「エネルギーを取り出せる日が来るかもしれない。ただ、問題は何に使うかだ」
原子力工学の教授が言った言葉だ。核物理学は、どんな現象が起きるかということを、そしてどんな現象は絶対に起きないかということを予測できる……はずだ。しかし工学的に何が実現できるかまでは教えてくれない。
カイザー・ヴィルヘルム化学研究所では、新元素と同位体と粒子の発見ラッシュが続いている。
×月×日
最近、機械工学の講義に潜り込んでいる。原子力が単なる動力源だというのなら、何に使うかというアイデアを同時に持っていた方がいい。いろいろ考えたのだが、人間の力を拡張するために使う可能性を探ることにした。人間が操縦する、巨大で力の強いロボットを作ること。十分な耐爆・耐放射線の性能を持つこと。原子力の実験には危険を伴うものがいくつもあるが、人間を安全な殻で覆ってしまえば自由に実験できるだろう。
ヘルも機械工学の講義に時々姿を見せているが、いつもではない。どうしているのかと訊いたら、何と、生物学を学んでいるという答えだった。
×月×日
ヘルには気の毒なことをした。ゆみこを呼んで少ししてから、ヘルがゆみこのドイツ語や他の勉強を親切に教えてくれるようになったので、つい、ヘルの好意に甘えていた。しかし、ヘルはゆみこに恋心を抱いていたらしい。
私がゆみこの下宿に出向いて話をしていたら、ヘルがやってきてゆみこにプロポーズしようとした。ひどく気まずい思いで、実はゆみこは私の婚約者だと説明したら、ヘルは何も言わずに出て行ってしまった。婚約者とは言っても、結婚は、無事に大学を卒業し、日本に帰って職を得てからの話だ。だから他人には、ことさらにゆみこが私の婚約者であるということを言っていなかったのだが、逆に誤解されてしまったようだ。
×月×日
あれ以来、実習以外の時間にヘルの姿を大学で見かけることが無くなった。週末の図書館にもヘルは顔を出していない。試験になると出てきてほぼ満点を取っているので、勉強はしているらしいが……。ところが今日、同級生達が「ヘルが犬や猫を追いかけて殺しているのを何度も見た」と言っていた。さすがに心配になって、ヘルの下宿を訪ねることにした。
大学で住所を確認したら、ヘルのアパートはスラムのはずれにあった。街を歩いていると、時々、何とも言えない異臭が漂ってくる。小一時間歩き回ってようやくヘルのアパートを見つけた。階段を上がって二階にあるヘルの部屋のドアをノックした。返事も何もなく、いきなりヘルが扉を開いた。中から強烈な腐臭が漂ってきて、思わず顔を背けた。ヘルが「入れ」と言ったので、私はハンカチで鼻と口を押さえながらゆっくりと中に入った。
異常な悪臭の元は一体何かと部屋の中を見回したら、大きなバケツの中に腐敗した動物が無造作に突っ込まれているのが目に入った。犬や猫の足が何本か飛び出していて、白い蛆が這い回っている。気持ちが悪くなって、流しに向かい、水を流しながら吐こうとしたら、「捨てに行く暇も無くてな」とヘルが笑いながら近づいてきた。
「犬や猫を殺しているというのは本当だったのか?」
と訊いたら
「本当だが、成果はあった」
と、ヘルは平然として答えた。気分が悪いなら外の空気を吸えばいい、とヘルは言い、窓際の椅子に私を座らせた後、窓を開け放った。そのときになって初めて、足許に何かがじゃれついているのがわかった。機械の体を持った犬と猫だった。関節や胴体を動かす小型のサーボモーターが剥き出しになっている。
「もしかしてこれを作るために犬や猫を殺したのか」
「そうだ」
「ロボットを作るだけなら、何も殺さなくてもいいじゃないか」
「ロボットに見えるのか、そいつが」
ヘルは大笑いし始めた。私が黙っていたら、「お前にならわかると思ったのに」と、分厚い実験ノートを放ってよこした。
ノートには、実験手順[[プロトコル]]が延々と記載されていた。動物の脳を取り出して長期間生かすための培養方法に始まり、脳と脊髄の一部から信号を取り出す方法、それを機械につないで増幅する方法を書いたものだとわかった。途中で失敗した部分は赤で線を引いて消され、さらにやり直した結果が追記されている。最後の方は、ミクロな構造を持った滑り運動をする機械、つまり人工筋肉の開発のアイデアが書かれていて、こちらはまだ着想の段階だった。ノートを読み終えて顔を上げた私の目の前に、ヘルは機械仕掛けの犬を突きつけた。頭の覆いを外すと、白っぽい色の脳が見えた。ノートに書かれた通り、脳のあちこちに電極や信号線が接続され、機械の体へとつながっていた。
誰が何と云おうとヘルは間違いなく天才だ。とにかく、もう少し衛生状態にも気を配らないと病気になるぞ、とだけ忠告して、私は大学に戻った。腐臭が体に染みついて、なかなか抜けない気がしたのが少々憂鬱だった。
×月×日
研究室に出入りが許されて、大学が持っている設備が使えるようになったので、以前から気になっていた石の分析を始めた。といっても、ロボット開発の方を先に進めているので、少しずつしか進まない。
どうやってロボットを制御して動かすのかという問題は、私にとってさほど難しくはない。問題は材料と動力である。今は、航空機用のエンジンを使っている。近い将来、原子核の反応からエネルギーを取り出せるようになるかもしれないし、その時にはエンジン自体は小さくできるかもしれないが、放射線の遮蔽まで考えるとそれなりの重量になる。さらに手足を付けて動かすとなると、よほど軽量かつ丈夫なもので作らない限り動かない。関節だって荷重がかかればそれだけ摩擦が増えてしまう。図面はとっくに出来ているのだが、どの材料で作るかを決めかねて、毎日、金属の状態図や相図を見ては、強度計算を繰り返している。
×月×日
実験室に戻ったら、面白い物を見せてやるというヘルの伝言があったので、早々に実験を切り上げてヘルのアパートに向かった。前回のとんでもない悪臭にはかなり参っていたので、覚悟して出かけた。
部屋は暗くて内部の様子がよく見えなかったが、特に腐敗臭はしていなかった。さすがに全部片付けたらしい。「そのまま進め」というヘルの声に、私は足許を気にしながらゆっくり歩いた。いきなり部屋の照明がついた。部屋の真ん中にゆみこが立って、微笑んでいた。
「どうして君がここに……」
「見せたかったのはそれだよ」
部屋の隅の机の前で、ヘルが椅子に座っていた。
「ゆみこに何をした?」
訊いたがヘルは何も答えない。代わりにゆみこが両手をあげて、私の肩を掴んだ。そのまま押されて私は後ずさった。後ろに下がりながら、私はゆみこの頬に触れた。柔らかい感触だったが人の組織よりは弾力があった。胸にそっと触れたが、やはり同じだった。だが、機械よりはずっと人に近かった。壁まで追いつめられ、ものすごい力で両肩を壁に押しつけられた。逃れようとしてもびくともしない。両肩が粉砕されるかという痛みが走って、私は悲鳴を上げた。「戻れ!」というヘルの声が飛び、ゆみこは力を抜いた。両手を下げ、踵を消して元居た場所にゆっくりと歩いていく。
「そろそろわかっただろう?」
「ヘル、動物だけでは飽きたらずにまさか人間を……」
「それはこの次の段階だ」
ヘルは笑って、ゆみこの首から上を覆っている厚い樹脂の皮膚を剥がした。金属製の頭部が露わになった。ヘルは中を分解して見せた。精巧なメカニズムで埋まっているだけであった。
「まだ簡単な動きしかできんが、コンピュータが進歩すればもっと人間らしくなる」
人体実験ではなかったことに安心した。その一方で、本物のゆみこと区別が付かないほど精巧な出来には驚嘆した。いい材料が開発できれば、もっと人に近づけることも可能だろう。人とロボットが共存するのなら、こんな形もあるのかもしれない。
×月×日
材料の組み合わせがようやく決まったので、巨大ロボットの製作に入った。身長は十五メートル、体重は二十五トン程度になる見込みだ。これでやっと先に進める。
だが、それよりももっと驚くことがあった。富士山で拾った石には、どうやら未発見の元素が含まれている。ロボット用の材料を決める実験のかたわらで調べてきたのだが、おそらくこの結論は正しい。石の一部の光っている部分から、微量ではあったが金属単体に近いものを削り落とすことができたから、性質は間もなく明らかにできるだろう。また、最初に非常に強い光か、何かの粒子を打ち込んだことがトリガーとなって、大量のエネルギーを取り出せる可能性がある。簡単な測定で求めた実験式を外挿して予測しているだけなので、本当かどうかは実際にやってみないと確定しない。もし、エネルギーの殆ど全てが光として出てきて、高エネルギー粒子線は出さないのであれば、被曝の心配も放射能汚染の心配もないだろう。いずれにしても、日本に戻ってから試料をもっと手に入れて詳しく調べる必要がある。かなりセンセーショナルな内容なので、十分な確証を得るまでは発表すべきではない。当分の間、実験結果は秘密にしておくつもりだ。
ヘルが大学に出てこなくなってから、二回に一回くらいの割合で、私が学年一位の成績をとることができるようになった。成績優秀でないと国に顔向けが出来ないという事情を抱えているのは私も同じだが、正面から争って勝ったわけではないから、複雑な心境である。
×月×日
ヘルの研究が気になったので、等身大サイズのロボットの試作をやってみたのだが、どうにもうまくいかない。ある程度以上小型にできないのだ。関節も、小さくしすぎると歪んだりしてうまく動かなくなってしまう。屈強な男性の体格で作れば何とかなるが、ゆみこのような小柄な女性の体格と同じにするのは無理だ。制御の部分も小型化できない。各関節を駆動する信号を外から与えてやるなら何とかなるが、ヘルのように、小さな頭部に組み込むのはとてもできそうにない。どうやってブレイクスルーしたのか、全く分からない。つくづくヘルは天才だと思う。
×月×日
研究発表会の後、一騒ぎあった。
私は、特殊合金製のロボットを操縦し、重い建築素材を持ち上げたり、指先から放電して溶接をしたり、不要になった鉄筋コンクリートを切断したり叩き壊したりといった操作をやってみせた。ロボットは完璧に動いて、拍手喝采だった。
ヘルは、ゆみこの姿をしたロボットと、前に私に見せた犬と猫を連れてきた。人間そっくりの外見と動作をするロボットと、動物の脳で制御されたペットに、同級生も教授陣も心底驚いた様子だった。ロボットの動きは前よりずっと洗練されていて、私ですら、時々本物のゆみこが居るのではないかと思ったほどだった。発表が終わってから、ヘルに頼んでゆみこのロボットを持たせてもらった。女性の体重を書くのは差し控えるが、何を材料にして作ったのか、人間だと言っても何の違和感もない重量だった。
しかし、評価をするときに、動物実験のやり方が倫理的に問題になったらしい。また、ゆみこが私の婚約者で、ヘルが振られた事は皆知っているので、そのゆみこそっくりのロボットを伴って現れたヘルは、未だにゆみこをあきらめられないのかという哀れみの目を向けられることになった。さらに厄介な別の問題は、宗教的反発だった。ヘルが完成させたロボットは、ある程度自律的に判断して動くものだったので、一部の保守的な教授から「造物主になるつもりの不遜な人間に学問を続けさせるのは不適切ではないか」という批判が相次いだ。
ヘルは大学に残ることを希望していたが、倫理的・宗教的理由での批判の声が大きかったため、卒業はさせるが大学には残らないということで決着した。
この騒ぎのおかげで、私が作っていた等身大ロボットについても、教授から「やりすぎるな」と釘を刺されることになってしまった。当分、等身大サイズのものについては実験を中断するしかない。
いずれにしても、歴史に残る奇妙な研究発表会になってしまったことは確かだ。原子力工学者を養成していたはずが、クラスの成績一位と二位の二人ともがロボットの研究成果を発表したのだから当たり前だが。
×月×日
ヘルが逮捕された。理由は人の脳を使ってロボットをコントロールしたというものだ。もう病気で助からない人を助けたのだというのがヘルの言い分だったが、本人の同意を得ていなかったのが決定的にまずかった。
帰国が迫っていたが、私はヘルに面会しに行った。思ったよりヘルは元気そうだった。
「私も、君がやったようなロボットを作れば良かったのかもしれないな」
「なぜ、そうしなかったんだ?」
「とても君には勝てないと思った。だから……」
ヘルは顔をそむけながら、呟くように言った。
「この容貌と出自[[うまれ]]のせいで、素直に才能を認められたことなど無かった。成績が良ければカンニングの疑いをかけられ、実力が本物とわかると紙一重の狂人扱いだ」
「私はいつだって君を天才だと認めてきたつもりだ」
「君だけだ。そして、俺も君を天才だと思っている。最初に下宿に来てくれた時の実験記録は全部君にやるよ。もう必要ないからな」
ヘルは、実験ノートは下宿の机の引き出しの中で、入り口にも鍵はかけていない、と言った。
「研究をやめるのか?」
「いいや。だが、今のまま続けるのはもうたくさんだ。人は裏切るがロボットは裏切らない。俺の才能を認めぬ世界など要らない。俺はロボットの住む世界を愛する。だから世界を手に入れて作り替えてやる」
ロボットは裏切らないと断言したとき、ヘルはやはりゆみこの事を思っていたのだろうか。
● PHASE 7 ベルリン・国際会議場
国際会議場では、大ホールでの基調講演の後、続けて招待講演が行われた。
兜十蔵は、招待された講演者の一人だった。ジャパニウムの発見から新元素であることの確定、その性質が新しいエネルギー源としてどう利用できるかを、図を交えて説明した。その後、いくつかの小さな会場に分かれてパラレルセッションが行われることになっていた。
弓の発表は、三日目の午前中で、質疑応答も含めて三十分が予定されていた。十蔵が講演中に「実験の詳細は弓が説明する」と言ったため、弓は普段にも増して念入りに準備することになった。このため、講演が終わるとすぐにホテルの自室にこもって、想定される質疑応答がどうなるか、考えを巡らせることになった。
座長から講演題目と共同発表者と所属組織の名前を読み上げられて、弓は壇上に登った。スライドを映すために部屋の照明が落ち、講演要旨を見たりメモをとるのがやっとの薄暗さになる。薄暗い部屋の座席はほぼ埋まり、後ろの方で立ち見している参加者も居た。発表に関心が持たれている、と思うと弓は緊張した。
やがて、スライドが映し出され、弓の英語がマイクを通して会場に流れた。ジャパニウムが新元素であることの実証、エネルギー源になるものを集めた方法、実際に反応させてみたら出てきたものが光だけだったことを、順に説明していく。余計な情報を一切削ぎ落としたスライドの一枚一枚に、弓や三博士達の数ヶ月分の仕事が凝縮されていた。反応条件を振って、エネルギーをどこまで取り出せるか調べた結果を話し始めた時には、講演時間が終わりに近づいていた。弓は、二十分で終わらせるはずの講演を二十五分かけて終えた。その分、質疑応答の時間が減ることになり、座長は、聴衆に向かって、短い質問に限って受け付けると告げた。聴衆の一人から手が上がった。
「反応のメカニズムはわかっているのですか?」
短いが、最も本質的な質問だった。弓は、まだそこまで進んでいないと答えた。分からなくても条件出しさえしっかりできればエネルギー源として使えるので、そちらを優先していると補足した。
「他の目的には使えないのですか?例えば、何かの材料を作るとか……」
二つめの質問に対しては「軽量で頑丈な合金を一種類だけ作れたので、もうすぐ論文として発表する」と答えた。超合金Zに一切触れなかったのは、十蔵との打ち合わせの通りだった。
講演が終わって、弓は壇上を下りた。聴衆の方も入れ替わりのために、会場を出入りしている。後ろの入り口から出て行く十蔵の姿を見て、弓は後を追った。
「あれで良かったのでしょうか」
「良くやった」
十蔵の一言で、弓はやっと緊張から解放された。
国際会議の三日目の夜、会議場に隣接したレストランで簡単な懇親会が行われた。天候が安定していたので、屋外の広いバルコニーにもテーブルと椅子が並べてあった。弓は、ワイングラスを片手に、料理を載せた皿をもう一方の手に持って、屋外の隅のテーブルに置いた。立食パーティーなので、参加者は思い思いに、皿とグラスを手に議論していた。師の十蔵は、古くからの友人達と話をするため、あちこち歩き回っていた。
二度目に取ってきた料理を全部平らげると、弓はやっと落ち着いた。発表は今日の午前中に済んでいたから、後は情報を集めて帰国するだけであった。知った顔は殆ど居ない。どう営業したものか、と思っていたら、弓と同じくらいの年齢の精悍な東洋人が一人、タバコのパイプを片手に歩いてきた。弓の脇を過ぎて、バルコニーの柵にもたれた。
「日本人ですか?」
弓は声をかけた。
「そうです」
「初めまして、私は……」
「兜十蔵教授のところの弓博士ですね。実に面白い発表だった」
「ありがとうございます」
弓は、その男の胸の名札を見ようとした。察した相手が、名札を手でかざして見せた。所属はETH[[エーテーハー]]チューリッヒ、コスモロジーグループ、名前はUMONと書いてあった。原子力工学の分野ではきいたことのない名前だった。さらにその男はスーツのポケットから万年筆を抜き、机の上の紙ナプキンの束から一枚を取って『宇門』と走り書きしたものを弓に渡した。弓がそれを確認したかどうかを見ようともせず、宇門はさらに紙ナプキンを十枚ほど取り、万年筆で点線や波線と矢印でできた図形を何種類か乱暴に走り書きした。時々書き損じて、斜線を引いて消している。発表に興味を持ったのなら、当然、エネルギー源としての可能性や、ちらっと会場でも出た材料開発の話を詳しく聞き出そうとするのではないかと予想し、どこまで話すべきかと身構えていた弓は、宇門の振るまいに拍子抜けした。
「発表を聞いて私が思いついた限りでは、あり得る反応過程はこれだけだ。定石通りに摂動展開したとして、未発見の粒子をいくつか仮定すると、最終的に光が出てくるところはうまく説明できそうだが……うん、おかしなことはたくさんありそうだが、それでも今の枠組み[[フレームワーク]]を変えるほどでもないか……」
先に話しかけてきておいて、さっさと自分の世界に入り込み一人で納得している宇門を見て、弓はどう会話を続けたらよいものかと困惑していた。そのうち、宇門は紙ナプキンをまとめて弓の前に突き出した。
「実に変わった現象だ。一体どうやって発見したのですか?」
弓は、受け取ったナプキンを見た。宇門が描いたのは、素粒子の反応を表すファインマン・ダイヤグラムだったが、弓の方はそんなものを使って考える習慣は全くなかった。見慣れない図形に、宇門が一体何を考えているのかさっぱりわからず、弓はそれ以上議論することができなかった。
「兜教授の指導によるものですが……兜教授もほとんど偶然発見したらしいです」
「なるほど……他にも何かやっておられるのですか?兜教授はロボットの開発でも有名ですが」
弓が、ダイヤグラムの内容について話さなかったので、宇門はあっさり話を変えた。
「生き物の体から出る信号を使って、ロボットを直接制御しようと考えました」
多少の酒の勢いも手伝って、ほとんど唯一自分から始めたテーマを弓は口にしていた。
「サイバネティクス・オーガニズムとは、原子力工学とはまた随分かけ離れた仕事ですね」
「でも、兜教授に止められてしまいました。この先、どうしようかと思っている。やはり、これまで通り、新エネルギーの開発に専念するべきなのかもしれない……」
宇門は、わずかに首をかしげて続きを促した。弓は、十蔵とのやりとりを簡単に話した。
「その研究、続けてくれた方がありがたい。話を聞いた限りでは、兜教授は研究自体を禁止したわけではなさそうだしね」
宇門は平然と言った。
「しかし、倫理的な問題もあるだろうし……」
「……いや、でもそういう技術だったら、もともとあそこで使うものだろう?」
宇門は上空を指さした。弓は、宇門の指先を目で追った。星空が広がっていた。
「地球じゃ必要無いかもしれないが」
「一体どこで使うつもりなんです?」
「周回軌道から先だ。温度差が大きく水も空気もないから、ヒトの体を維持するには無理が大き過ぎる。生かすのが脳だけで済めば、宇宙空間での行動の自由度は相当広がるはずだ」
「あなたは何を目指しているのです?」
「宇宙の謎を解き明かすこと、それから人類の仲間を捜すこと」
「仲間?」
「地球外生命体だ」
「はあ?」
「そう。宇宙の彼方には必ず居ると私は信じている。今のロケットはせいぜい太陽系内にしか探査機を送れないが、私の本当の狙いは恒星間だ」
弓は、かすかに微笑んでいる宇門を見た。
UFOを目撃したという話は、十年以上前に空軍パイロットによってもたらされたことがきっかけとなり、その後も報告例が増えつつあった。空軍としては、国防上の理由から、正体不明の飛行物体を見てしまったら、とりあえず全力で追いかけないわけにはいかない。ところが、世間では、UFOが異星人の乗り物[[エイリアン・ビークル]]で、軍や政府が異星人の来訪を隠しているという陰謀説が広がっていた。挙げ句に、特定の人々[[コンタクテイ]]がテレパシーでUFOと連絡を取り合っているとか、宇宙のどこかにユートピア社会が実現しているという噂話まで登場し、UFO目撃譚はオカルトじみた方向に変わってきていた。
弓には、異星人が存在するという宇門の主張は、単に世間のデマに振り回されているだけのものに見えた。第一、今の技術では太陽系の外に出ることもままならない。それなのに恒星間飛行を考えるというのは、目の前に居るのは一体どういう種類の誇大妄想狂なのかと訝った。しかし、せっかく発表に興味を持ってくれた人を、初対面であからさまに不審人物扱いすることもできない。弓はとりあえず黙るしかなかった。
話が終わって、兜十蔵が建物の中から出てきた。弓が思わずそちらに注目した。弓と同じ方を見て、弟子の所に来るのだろうと察した宇門が立ち上がった。
「まあ、さしあたっては、V2よりはましなものを作りたいと思ってるよ。いずれは私もあそこへ行くつもりだしね」
「これをどうすれば……」
弓は、ナプキンとしては使えなくなった紙束を揃えた。
「別に捨ててしまってもかまわない。可能性のある反応と展開の各項を順番に書いてみたただけだしね。互いに打ち消すものも含まれていそうだから、発散はしないと思うが……」
「実際に調べてみるつもりはないのですか?」
「ここから先は専門家にお任せしたいね。私の研究テーマでもないし、第一、その場しのぎの経験則の山に分け入りたいとは思わない。それに、どうやら宇宙論まで書き換えるような代物でもなさそうだしね」
核物理学の成果が、単純な法則に還元されるようなものとはほど遠いことは、宇門の指摘の通りだった。言いたい事だけ全部言ってから、さっさと立ち去った宇門の後ろ姿を、弓はあきれて見ていた。入れ替わりに、十蔵が来て、椅子を引いて座った。
「楽しんでるかね?昼間の発表には何か反響があったかね?」
「ええ、これがそうです」
弓が差し出した紙ナプキンの束に描かれた図を見て、十蔵は目を細めた。
「---ほう、あの発表を聴いただけでこんなものを書いたか。とすると、専門は宇宙論か場の理論か---いずれにしても我々の業界の人間ではないな。一体誰だ?」
弓が出したもう一枚の紙ナプキンの署名を見て、十蔵は頷いた。
「名前と噂はきいたことがある。スイス連邦工科大[[ETH]]のシュバイラーのところに来ている俊英だが……相当な変人って話だ。もっとも、あの分野に居るのは『たった今宇宙の始まりを見てきました』と大真面目に主張する、頭が向こうの世界に行ってるような奴ばかりだがね」
確かに私の目の前でもその人は別世界に行ってました、と補足したくなったのを、弓はどうにか押さえた。
「V2を超えたいとか宇宙に行きたいとか言ってましたが……一体何を飛ばすつもりなんでしょうかね」
「それ以前に本人が上空を飛び回って観測やら実験やらをしとるって話だ。挙げ句に訓練と機体の性能チェックと称してドッグファイトもどきのことまでやったらしい。さすがに大目玉だったそうだが……」
「目茶苦茶だ……」
「あそこのボスはもっと豪傑だ。フォン・ブラウンの向こうを張ろうという連中が集まっているところの親玉だからな」
十蔵は朗らかに笑った。
「飛んでる間に何か見てしまったのだろうか……」
弓は小声で呟いた。宇門にもらった紙束を捨ててしまおうかどうしようかと一瞬迷ったが、まとめて上衣のポケットに突っ込んだ。
● PHASE 8 ○○大学・兜研実験室
国際会議を無事に終えて弓は帰国し、平穏な研究生活を送っていた。十蔵は、そのままロードス島調査団に戻って調査を続けていた。調査開始から約三年が経っていた。
ある日、出勤前に新聞に目を通そうとした弓は、ポストから新聞を引き抜いてその場に立ちつくした。 『ロードス島で大規模な落盤、爆発事故か?』
大きな活字の見出しが一面に出ていた。慌てて開いて記事を読む。記事は、原因不明の爆発事故でロードス島の発掘現場が完全に土砂に埋もれたこと、事故の原因も調査団の安否も不明であると書かれていた。社会面の関連記事まで読んだが、生存者については何も情報がなかった。
弓は急いで研究室に出向いた。三博士や学生達も、ロードス島の爆発を知っていた。
「兜教授の安否はまだわからないのですか?」
のっそり博士が、研究室に出てきた弓をいち早く見つけて訊いた。
「私も、今朝新聞で知ったばかりです」
「外務省経由で問い合わせてはいるが、現地が大混乱しているらしく、ろくに情報が入ってこない」
もりもり博士が片手にタオルを持って、汗を拭っている。
「事故が起きて、何時間経っているかもはっきりしない……」
「現場は孤島ですからな。定時連絡が入らず、異常に気付くまでに数時間は経過してるだろう」
「とにかく、これから航空券を取って、現地に向かおうかと思っています」
弓は、オフィスの机の引き出しを開けて、パスポートを取り出した。
「直行便はない。パリかロンドン経由でギリシャへ飛んで、そこからは船で行くことになる」
「しかし、時間がかかりますな。うまく乗り継げるとは限らない」
せわし博士が顔をしかめた時、電話が鳴った。
「兜研究室、弓です」
「弓博士ですか?」
兜剣造からだった。
「ロードス島のことはご存じですね。現地へは私が行きます。ボストンからなら今日中に着ける」
取り乱した様子もない、落ち着いた声だった。
「私もこれから行こうと思っていたところです」
「---いや、弓博士には、何かあったときの連絡係として日本に留まっていただきたいのですが」
「わかりました。何かわかったら連絡をください」
「すぐに連絡します」
弓は、念のため自宅の電話番号を伝えた。
剣造から、弓宛に兜十蔵教授生存の連絡が入ったのは、その日の午後だった。ただ一人、燃料の切れたクルーザーで漂流しているところを救助されたということだった。
十蔵の帰国は遅れた。事故の後、脱出できた只一人の人物であったため、急遽組織された救助隊に、事故の詳細について情報を提供するために呼び出されたからである。事故の原因について、十蔵は、復元したロボットの暴走による爆発だと説明した。しかし、その説明はほとんど信じてはもらえなかった。発掘と復元作業はほとんど終わりに近づいていたが、いくら復元したといっても、人類の歴史よりも古い時代のロボットの動力が活きているはずがない。第一、操縦席もないロボットを動かす手段など実現していないはずだ、というのが大勢の考えだった。
からくり人形であれば、いくら巨大であってもその動作原理は見れば誰でもわかるから、材料さえ揃えれば古い時代でも製作は可能である。しかし、リモートで動かすとなると、最低でも電磁気学の完成を待たなければならない。熱機関で駆動するならワット以降の科学が要るし、原子力なら二十世紀の物理学である。十蔵の主張を受け容れるには、遺跡の他の部分の状態に比べてあまりにもアンバランスな科学の発展を考えなければならず、無理がありすぎる。
それでも、十蔵の話を参考にしつつ、調査に参加していた主な国は合同で救助隊を組織し、派遣した。救助隊がロードス島に着いた時、遺跡の入り口は完全に落盤で埋まっていた。無理に掘り出そうとしたら再び爆発や落盤が起きて、救助隊の犠牲者が増える一方であった。このため、何度かの救助隊派遣の後、救助作業は打ち切られることになった。
一人で戻ってきた十蔵を、弓は、東京国際空港まで出迎えた。十蔵の荷物は小さなボストンバッグ一つだけだったことが、ロードス島から身一つで逃げ出したことを物語っていた。
「ご無事で良かった。大勢の研究者が亡くなり、発掘の成果が失われたことは残念ですが……それでも、先生まで失わずに済んで本当に……」
弓は、十蔵の荷物を受け取ると、先に立って歩き、駐車場まで案内した。
「しかし、本当は何が起きたのですか?」
「復元したロボットの暴走だ。ミケーネの巨人伝説をこんな形で確認することになるとはな……」
優れた科学力と莫大な財宝を持つ古代ミケーネ人は、常に周辺諸国による侵略の脅威にさらされていた。ミケーネ人が財宝を守るために、侵略者を攻撃するために巨人を作り出して迎え撃ったというのが、今に伝わる巨人伝説であった。
「復元には成功なさったのですね?」
「うむ、完璧にな」
「では、もしかしたら、ミケーネの巨人が本来の力を発揮するようになり、発掘に関わった科学者達を侵略者だとみなして襲いかかってきたのでは」
「そういう可能性もあるかもしれんな。だが、ミケーネの人々が尊敬と驚嘆に値する科学技術を持っていたことは確かだ」
「そんな優れた文明が、なぜ他の種族に受け継がれることなく消えてしまったのでしょうか?」
「いい質問だ。種族の秘法としていたから種族とともに滅びたのか、あまりに突出していたため伝えようも無かったのか、他に渡す位なら葬り去ると決めたのか……もう少し調べることができればはっきりしたかもしれんな」
大学にある十蔵のオフィスまで、弓は荷物を持って従った。
「明日の午前中に全員を集めておいてくれ。今後の研究計画について話し合いたい」
「そんな……事故の後の長旅でお疲れでしょうに、少しはお休みになった方が」
「我々は、やっと今頃になって、巨大ロボットを動かせるようなったが、それでもミケーネのやったことの再発明でしかない。現代人の我々がうかうかしていたら、古代ミケーネ人に笑われるぞ」
戻ってきた十蔵が指示したのは、光子力エネルギーを実際に動力源として使えるようにすることだった。通常の核分裂は自然に崩壊することで起きるか、外から中性子が核に衝突することで起きる。しかし、ジャパニウム核分裂は、強い光にをきっかけとして起こり、発生するエネルギーもまた光であった。自然に崩壊するものは殆ど無いため、反応を開始させるためには、手軽に利用できる太陽光を収束して照射することになった。
施設の建設場所が必要であったため、戦前から使っていた富士山麓の仮説実験場を引き続き使うことになった。新たにプレハブの研究棟を造り、小型の太陽炉を備え付けた。太陽の光を凹面鏡で一点に収束させた後、鏡で反射させてジャパニウムに導くというものであった。ある量以上の反応が起きると、出てきた光がさらに次の反応を起こす連鎖反応が始まる。ジャパニウムの量と配置と光の吸収材料の使い方次第で反応を制御することができるはずであった。
反応の結果出てくるものが光であっても、大量のエネルギーが短時間に放出されることに変わりはない。このため、ジャパニウム反応炉の容器には合金Zが使われた。これ以外の材料で容器としての性能を満たすとしたら超合金Zだったが、今回は量を確保しやすい合金Zでいくことになった。
ロードス島から戻ってきて三年足らずの間に、設備がだんだん大がかりになったので、十蔵は、新エネルギーの開発に専念するための部門を新たに立ち上げることにした。十蔵は、大学や政府に対して、光子力を使えば効率の良いクリーンなエネルギー源を手に入れられる可能性があると説明した。「核」ときくと無条件に拒否反応を示す国民が多く、原子力を進めるにも限界があったため、光子力をもっと重点的に研究するべきだということになった。元々は原子力工学科にあった兜十蔵の研究室は、組織改編で大学内に新しく作った「新エネルギー探索部門」の所属となった。所属とはいっても、兜研究室が丸ごと名前を変えてその部門に移っただけだった。そして、ゆくゆくは国直轄の研究拠点を作り、その時には発展解消させることが決まった。
● PHASE 9 仮研究棟・弓のオフィス
弓は、新研究所の場所を何処にするか検討せよ、と十蔵に命じられて、地質調査の記録を引っ張り出していた。条件は、ジャパニウムの採掘が敷地内でできることと、発電用の原子炉を所内に建設できることだった。
「---で、良さそうな場所はあったかね?」
地質調査の結果を研究室の机の上に広げて考え込んでいる弓に向かって十蔵は訊いた。弓は、図をトレースするためのシャーカステンの上に、トレーシングペーパーに写し取った図を重ねて十蔵に示した。
「原子炉を建設するとなると、万が一に備えて、断層は避けなければならないし、直下型の地震でも致命的な被害を受けない場所を選ぶ必要があります」
「なら、岩盤の上にでも建設するしかないだろう」
「それは無理です、先生」
ジャパニウムの産出する場所は、富士火山帯の洪積世の地層に限られていた。玄武岩質の溶岩を噴出したのが最近の噴火で、その前の古富士の噴火の火山灰が関東ロームとなってその下に厚い層を作っていた。
「偶然、地表に吹き飛ばされたものを除けば、ジャパニウムは、関東ロームの下の境界あたりにあり、場所も限られています。また、鉱脈の存在範囲ですが、大部分が地下深いところにあるため、どこまで広がっているのか、完全にはよくわかりません。産出場所がなぜ旧来の富士火山帯にしているのかについて、地質学的な説明はまだありません。」
火山の分類はグローバルテクトニクスで考えることになっており、従来の火山帯の分類に地質学的な意味は無いことがわかっている。
「では、どうするのかね?」
「いずれにしても、地震から逃れることはできませんし、かといって断層の調査も無理です。ですから、地震が起きた時の波の伝わり方を推定し、揺れの少ないところを候補に選びました。あとは基礎工事で何とかするしかないでしょう」
弓は、最良と考えられる地点を指さした。富士山北側の鳴沢付近であった。仮研究棟からは三キロメートルほど北西になる。
「では、その場所に決めよう」
十蔵は、弓の部屋に来るときに持ってきた筒を開けた。丸めてあった紙を広げて弓に示した。
「これが研究所の大まかな図だ」
建物自体は台形だったが、面は微妙にカーブしていた。側面の外壁が建物の屋上の両脇に超そびえ立っていた。
「これは……富士山をモチーフになさったのですか」
「そうだ。地下に原子炉を建設し、上部は太陽炉とする。ジャパニウムの精錬所を施設の一部として建設するつもりだ」
「本格的ですね。まるで工場だ」
「光子力研究所と呼ぶことになるだろう。光子力の研究拠点であると同時に、ジャパニウムの製造と管理を一手に担うのだ。監督官庁もそのつもりでいる」
クリーンなエネルギー源にもなり、優れた材料を作り出す原料だといっても、使い方次第では原爆並の兵器を作ることもできる。そうである以上、使用量や利用方法については一個所でまとめて管理するしかなかった。
● PHASE 10 富士山麓・仮研究棟
光子力研究所の建設は順調に進んでいた。兜研究室は、大学内に新エネルギー探索部門を作った時に、戦時中の疎開先であった仮説実験棟の方に再び移転してきていた。疎開中とは異なり電力の供給も十分で、棟の数も増えていた。大学とは独立の研究部門に分かれた二年後、十蔵は光子力研究所の設立準備組織を大学とは別に作り、人材を集め始めた。研究所の建物の着工とほぼ同時であった。
光子力研究所の基礎工事が始まった頃、兜剣造が妻とともに帰国し、兜研究室に合流した。剣造は既にMITで学位を得ていたが、日本の大学の組織には属さず、光子力研究所設立準備組織の研究員になった。ちょうど、より高性能な光子力反応炉を開発するプロジェクトが立ち上がり、仮研究棟が立ち並ぶ敷地の外れに専用の別棟を建てたばかりだった。剣造は、新しく作った実験室で、特にロボットの動力源として使える小型反応炉の設計と製作に専念していた。噂を聞いて、剣造のチームに加わりたいと言ってやってくる研究員も増えていた。
弓は、研究棟の周りを取り囲む塀の上に登って、富士山麓の設備を見渡していた。塀はもともと空襲に備えて作ったものではあったが、その後も事故による火災の時の延焼を防ぐため、撤去していなかった。仮研究棟の三キロほど南東の方に、建設中の光子力研究所が見えた。まだ、足場が組まれ、何台ものクレーンが資材を引っ張り上げている状態だった。富士は麓近くまで白くなっていた。
足音がして、弓は振り返った。剣造が、新棟側から登ってきていた。
「こんな寒いところで、一体どうなさったんです?」
「雑用の合間の休憩ですよ。研究所を作ることになってから、あれこれ片付けなければならない事務仕事が急に増えてしまったもので」
研究所設立に関わる雑用は、兜十蔵一人ではとてもこなせるものではなく、弓もつぎ込める労力の大部分をさいてサポートに当たっていた。幸い、若手が育ちつつあったので研究の進捗にはさほど影響していない。
「本当は、現場で実験をしている方が幸せなのですが……そうも言っていられない。あなたの方はどうです?」
「一〇〇万馬力程度までは到達できそうです」
「それは……ちょっとした原発並みですね」
「ただ、まだ問題がありましてね。最初の反応で出てきた光を次の反応に使って連鎖反応させた場合、速度を適切に保つ必要がある。出た光を全部次の反応に使ってしまうと、確実に爆発しますから」
「では、適当な吸収体を中に置けばいい。原子炉の制御棒と同じように」
光子力研究所も原子炉を持つことになっているな、と思いながら、弓は建設現場を見た。
「私もそう考えました。ただ、効率よく光を吸収し、かつ内部の高温にも耐えなければならないから、どんな材料を使うかが問題だったのですが……」
「解決したのですか?」
「ええ。合金用ジャパニウムの方を使うのです。光の吸収に関しては燃料用ジャパニウムとほぼ同じ性質ですから効率もいいし、強度の点でも問題はありません。もちろん、内部にどう配置するかも含めて最適化することになります。すぐにテストに入りますから、数日のうちに結果を報告できますよ」
剣造は、詰め襟の白衣をなびかせながら、盛り土の斜面を降りていった。
翌日の昼過ぎ、相変わらず雑用の書類書きに追われていた弓が遅い昼食を摂るため、オフィスの扉を開けようとしたとき、轟音が響いた。建物が揺れ、ガラス窓の何枚かにヒビが入る。事故だと直感し、弓は外に走り出した。新研究棟の方から大量の煙が上がっていた。遅れて十蔵が教授室の方から走ってきた。
「何事だ?」
「わかりません。でも、新棟の方だ」
二人は塀を回り込んで新棟に向かった。他の研究員や学生が後に続いた。
新棟は吹き飛び、原型を止めていなかった。延焼防止のつもりで設置した塀の新棟側の土砂は半分以上飛び散って無くなり、辺りに土煙を漂わせていた。露出したコンクリートも一部が砕けていた。
「誰かいないのか!」
弓は大声で叫んだ。返事はない。駆けつけてきた研究員達が、爆発四散した研究棟の跡を手早く調べて回った。最初に悲鳴が上がったのは、敷地のはずれの林の中からだった。
「どうした!}」
瓦礫を跳び越えながら走って行った弓が見たのは、木に叩きつけられて倒れている剣造の妻の姿だった。右手右足と胴体の約三分の一が欠けていた。即死であることは間違いがなかった。
「何てことだ……じゃあ、剣造博士はどこだ!」
弓は周囲を見回した。真後ろの仮研究棟側でもりもり博士の声が上がった。
「剣造博士!しっかりしてください」
「動かしてはいかん!今救急車を呼んだ」
のっそり博士が駆け寄った。弓も再び瓦礫を避けながら、剣造のもとへと急いだ。
剣造は、土砂をかぶったまま塀の傍に倒れていた。両手両足があり得ない方向に曲がり、白衣が血に染まっていた。
「しっかりするんだ、今助けてやるぞ」
兜十蔵は、両手を地面に突いて剣造に呼びかけた。剣造の口元がわずかに動く。
「他に怪我人は居ないか?」
集まってきた研究員や学生に向かって弓は言った。メンバーが違いに顔を見合わせる。
「今日来ている人で、行方が分からない人は他には居ないようだ」
せわし博士が研究室の人数を確認した。
「『今回の実験は私がやる、順調に始まったら遠隔操作でデータを集める』とおっしゃってましたので、私達は新棟から退避していました。もしかしたら、先生は、何かを感じておられたのかもしれません」
剣造の研究チームの一人が言った。
救急車がサイレンを鳴らしながら走ってきた。停車するなり薄いブルーの服を着た救急隊員が降りてきて、剣造をストレッチャーに乗せて救急車に運び込んだ。十蔵が続いて乗り込んだ。一緒に乗ろうとした弓を、十蔵は止めた。
「これだけの事故だ。警察に連絡しなければならんし、そうすれば実況検分が入る。君に対応してもらいたい」
「お孫さんには……」
「私から知らせる。研究室を頼む」
サイレンを鳴らして走り去る救急車を、弓は他のメンバーと共に見送った。
十蔵から連絡があったのは、弓が警察の事情聴取から一旦解放された夕方だった。剣造の怪我は開放骨折が数カ所に広範囲な内臓破裂で、全身状態が悪すぎるため、手の施しようもなく時間の問題だということだった。「どうせ助からないなら、病院ではなく、剣造が気に入っていた別荘の方で最期を迎えさせたいので一旦連れて帰ることにした」と十蔵は伝えた。
この夜、弓は帰宅せず、研究室に泊まっていた。夜中に何度か、立ち入り禁止の黄色いテープが貼られたところまで行って、懐中電灯で周囲を照らしながら見回った。放射冷却で気温が氷点下に向かって下がり続ける、晴れた冬の夜だった。
● PHASE 11 富士山麓・兜博士の別荘
---たった今、息を引き取った。残念だ。
兜十蔵からの電話を、弓は、未明のオフィスで受けた。すぐ行きます、いや、そちらに伺わせてください、と叫んで受話器を置いた。普段から十蔵は、弓とも研究室の他のメンバーともプライベートな付き合いはほとんどしていなかった。十蔵の側でそれを好んでいない様子で、弓も承知していたが、今回はそんなことに構ってはいられなかった。
車を飛ばして十五分ほどで別荘に着いた。弓はノックするなり扉を開けた。玄関に出迎えにきた十蔵と目があった。入れ、と目配せされて、弓は奥へと進んだ。
剣造は寝室のベッドに横たわっていた。白いシーツが顔までかけられていた。すぐ脇に、取り外された酸素呼吸器が置いてあった。
「---信じられない」
弓はつぶやいた。十蔵が、茶色い大きな封筒を手渡した。
「病院の検査の結果だ」
中身はレントゲン写真だった。弓は、一枚ずつ、部屋の照明にかざして見た。手足の骨は何カ所かで折れ、一部が応急処置されていた。肋骨や鎖骨も折れていた。腹部に本来はっきり見えるはずの胃腸や肝臓といった器官は、それらしい形が見当たらなかった。体の大部分が破壊されたのだということは、素人の弓にもわかった。
「開放骨折の部分だけ処置したが、まず敗血症は免れなかっただろう。それでも、内臓が無事なら両手両足の切断で命だけは助かったかもしれん。だが、内臓までこれでは、手術をするだけ無駄だというのが医者の結論だった」
「苦しまれたのでしょうか」
「意識は二度と戻らなかったよ。脳と心臓がたまたま無事だったから、しばらくの間は保ったのだろう。酸素吸入器だけは借りてきたが、それ以上の延命措置はとらないことにした」
「まだ小さい子供を二人も残して、研究も半ばで……」
弓は、十蔵の方を向いた。
「やはり、私はサイボーグの研究を止めるべきではなかった。人体実験と誹られたっていい、たとえ機械の体にしてでも、剣造博士を助けたかった……」
「君はそこまで……」
「ヘルなら確実に助けられた筈だ。私はヘルを目指していればよかったのだ」
「あるいは、な。だが、君はヘルじゃない。ヘルにはなれない」
「わかっています。でも……」
無念だ、と続けようとしたが、弓は言葉を発することができなかった。代わりに、レントゲン写真をまとめて封筒に入れ、十蔵に返した。
「警察の捜査はどうなっている?」
封筒を受け取りながら十蔵は訊いた。
「あと三日ほどはかかりそうだと」
「事情聴取の終わったメンバーに頼んで、こちらに来るように言ってくれないか。葬儀の準備をしなければならないので助けてほしい。私と、孫二人だけではどうにもならないのでね」
「わかりました。ところで、奥様の方は今どちらに?」
「監察医のところだ。検死と解剖が終わったはずだから、午前中にはこちらに戻される」
弓は、剣造の亡骸に一礼して立ち上がった。夜が明けようとしていた。朝からまた警察の捜査が始まる。それまでには研究棟に戻っていなければならなかった。
葬儀と並行して、警察の実況検分が続いていたので、弓は対応に追われることになった。四日目になって、警察の捜査は一旦終了した。
● PHASE 12 仮研究棟・兜教授室
関係者の刑事責任が直ちに問われることは無かったが、研究室としては事故原因を突き止めて、今後どのように事故を防止するかを考えなければならなかった。弓と三博士は、研究棟があったあたりを歩き回って残骸を回収した。
爆発した反応炉の部品は、周囲の原生林の木をへし折ったり、荒れ地の岩に突き刺さったりしていた。それを注意深く掘り出して全部一個所に集める作業は、後になるほど部品が小さくなったために難航した。作業の終わりには、金属探知機を借りてきて、研究室のメンバー総出で破片を集めることになった。
剣造が書いた反応炉の設計図の原本は爆発で失われたが、コピーを十蔵が保管していた。集めた部品がそれぞれ炉のどの部分かを突き止めるのに、一ヶ月程かかった。
炉の容器として使われた超合金Zの破片は、全て内部からの力で破壊されたことを示していた。欠陥の無い超合金Zでは、ミクロな欠陥をきっかけとして破壊が起きることはあり得ない。安全のために取り付けてあった圧力開放弁は吹き飛んでいた。内部が短時間のうちに高温高圧になったために、弁の部分に穴を開けた程度では対応できず、容器の強度が保たずに破裂、さらにその破片が周囲を破壊し、わずかの間に炉を完全に崩壊させたということがわかった。設計で見込んだ以上の連鎖反応が一度に起きたことは明らかだった。
連鎖反応がどの程度の速さと規模で起きるかは、燃料用ジャパニウムの量によって決まる。しかし、剣造が使っていた燃料用ジャパニウムは爆発で飛び散ってしまっていて、正確な量はわからなかった。さらに詳しく調べた結果、光の吸収体として使われたはずの合金用ジャパニウムの部品が、燃料用ジャパニウムでできていることがわかった。
弓は、調査結果を持って十蔵の部屋を訪ねた。中間報告でも構わないから一区切りついたら知らせろ、と十蔵に命じられていたからである。
「それでは、剣造は、反応を押さえるつもりで逆に燃料を供給してしまったことになる」
説明を受けた十蔵は、新型反応炉の図面を見て考え込んだ。
「---確かにこの炉の構造なら、吸収体のあるべき場所に燃料を投入したりすれば、爆発的な連鎖反応が起きるだろうが……」
「しかし、信じられません。剣造博士に限ってそんなミスをなさるなど」
「では、他にどんな可能性があるというのかね?」
「それは……」
もし研究室内の誰かが、合金用ジャパニウムだと偽って剣造に燃料用ジャパニウムを渡していたとしたら、まさに今回起きたような爆発を狙って起こすことができる。あるいは、誰かのミスで、分離した燃料用ジャパニウムと合金用ジャパニウムの仕分けが間違っていた場合も同様である。燃料用ジャパニウムと合金用ジャパニウムは、目で見ただけでは区別がつかない。「他の可能性」とは、故意にせよ過失にせよ、研究室内の誰かに対し、剣造の死の責任を問うことを意味していた。
「私だって、自分の研究室のメンバーを疑いたくはない。情けないが、剣造個人の失敗であってくれれば、それが一番丸く収まる」
「しかし、必要なのは真実を知ることです、先生」
剣造はつい最近まで海外に居た。戻ってきてからは新棟にこもりきりで、研究室とはほぼ独立に動いていた。剣造の研究チームに志願してきたのは、剣造の噂をきいて自ら志願して集まった人達ばかりであった。人間関係の確執も研究の上での利害も、何らかの事件に結びつく程のものがあるとは考えにくかった。
「とにかく、燃料用ジャパニウムの生産量と貯蔵量をチェックしてみます」
核爆弾並の兵器の材料になる燃料用ジャパニウムは、生産から貯蔵、使用に至るまで、ウランやプルトニウムと同程度の厳しい管理がなされていた。今のところジャパニウムと光子力については準国家機密扱いだが、近いうちに機密指定される見込みで、それだけに注意を払って扱っていた。だから、確認も追跡も可能な筈だと弓は見込んでいた。
● PHASE 13 仮研究棟・弓のオフィス
数日がかりで、弓は、貯蔵してあるジャパニウムの量を確認した。燃料用と合金用では磁気的性質が違うので、磁化の測定器と質量分析装置を使って、貯蔵してあるジャパニウムの抜き取り検査を行い、純度と現在の貯蔵量を求め、製造記録と照合していった。研究室の誰かを疑うことになる作業であったため、他のメンバーに手伝わせることはできなかった。研究室のメンバーがほとんど帰宅した夕方から、弓はたった一人で明け方まで作業することになった。
燃料用ジャパニウムの総量に違いが出れば、合金用の代わりに燃料用が使われた証拠になる。燃料用と合金用がもし混合していたら、分けて貯蔵するときの作業にミスがあったことになる。仮に爆発が人為的なものであると判明したとしても、それが過失であってほしいと願いながら、弓は測定を続けた。
調査を終えて結果を整理してみたら、生産量と貯蔵量は誤差の範囲で一致していた。何度計算しても間違いは無かった。研究室の誰かを疑わなくて済んで、弓はほっとしたが、肝心の問題は解決していなかった。
他の仕事を中断して、弓は、余分な燃料用ジャパニウムがどこから来たのか考え続けていた。一週間ほど考えたが進展は無かった。週末になって、もう今日のところは終わりにしようと、ペンや定規を机の引き出しに放り込もうとして、弓は動作を止めた。引き出しの奥に、無造作に古い紙ナプキンが突っ込んであった。以前、国際会議で宇門にもらったものだった。弓は、紙ナプキンの束を出し、描かれたファインマン・ダイヤグラムを順番に並べた。一番簡単な図は、原子核を作っている陽子や中性子が崩壊し、ニュートリノを出しつつ光に変わっていく過程を現していた。宇門が描いたのは、弓の馴染んだ核反応の式ではなく、素粒子の相互作用に直したものであった。その図から式を導いて定量的な計算をすることは、弓の知識ではできそうになかったので、かわりに参考書を図書室で捜し出し、何が書かれているかを読み取ることに専念した。
複雑に入り組んだ図の途中に、合金用ジャパニウムが燃料用ジャパニウムと反応して、燃料用ジャパニウムに変わる過程が現れていた。その過程は、別の図形が表す項と打ち消し合うから現実には起こらず、元に戻ることになっていた。さらに別の項を宇門は図で追加し……ほぼゼロだと式で示した上で、斜線を引いて消していた。だが、もしこの消した項がゼロにならなかったらどうなるか。そこまで考えて、弓は、十蔵の部屋に電話を入れた。帰る支度をしていた十蔵は、すぐに部屋にやってきた。
弓は図の意味を簡単に説明した。
「なるほど。ダイヤグラムで考えるというのは確かに強力な方法らしいが……」
十蔵も図を前にして考え込んだ。目の前の図は、原子力工学やロボット工学の分野では見たことのないものであった。
「加速器を使った衝突実験や、宇宙線の相互作用のような、一発の事象[[イベント]]だけを考えるのであれば宇門博士の図はおそらく正しいと思います」
宇宙物理と結びつく地上での高エネルギー実験が、普段はどう行われているかを考えながら弓は言った。
「しかし、極めて限られた場所で立て続けに反応が起きる場合には、ゼロだとしていた項が残り、結果として合金用ジャパニウムが燃料用ジャパニウムに変わる過程が完全には消えないのではないでしょうか」
かつて宇門に揶揄された「その場しのぎの経験則」を相手に研究を続けてきた実験家の直感だった。
「それで、変換が起きるとしてどの程度のものになるか、見積もれるのかね?」
「私には、この図からそれだけの計算はとても……。図を描いた本人ならば可能でしょうが」
「もし、合金用ジャパニウムから燃料用ジャパニウムが作れるということになると、それは当分の間、第一級の機密事項になるだろう。そうそう気軽に外部に計算を頼むわけにはいかんしな」
「いっそ宇門博士をこちらに引っ張り込めませんか。例えば研究員として来てもらっては……そうすれば守秘義務を課せます。ポストにもまだ余裕がありますし」
「無理だな」
十蔵はあっさり否定した。
「この間、知り合いの天文学者に聞いた話では、宇門博士は八ヶ岳の蓼科高原に天文台兼打ち上げ施設を立ち上げて、運用に追われている。既に世界最大級のミリ波の電波望遠鏡を建設し、宇宙望遠鏡を周回軌道に乗せて、観測に入ったそうだ。理論に明るいだけではなく、実験家としてもプロジェクトマネージャーとしても相当な腕らしい。ただ、宇宙人実在説を強硬に主張して本格的にSETIを始めたために、天文学者の間ではすっかり異端扱いだというが……そんな人物に向かって、今度新しく作る光子力研究所で研究員として雇ってやると言ったところで、果たして我々のところに来るかね?」
「じゃあ、何か適当な役職を付けてみては……」
「天体物理学やロケット打ち上げのチームが光子力研究所に来たって、お互い仕事にならんだろう」
弓は軽く溜息をついた。
「確かに、仕事の優先順位も興味の持ち方も全く違いそうですね。第一、この図だって、私の発表から一体どうやって思いついたのか皆目見当もつきません」
十蔵や剣造であれば、その天才ぶりは弓にも理解できた。開発目標やテーマに対するアプローチが弓の想像できる範囲にあったからだ。だが、宇門が一体何をどう考えて反応過程を推定してのけたのか、弓には全く理解不可能であった。
「実験天文学と宇宙論にどっぷり浸かっているのなら、我々とは住んでいる世界も見ているものもまるで違うだろう。我々が宇門博士の鼻先でロケットでも打ち上げない限り、仕事で絡んでくることはないと思うがね」
「しかし、燃料用ジャパニウムへの転換が機密になるとすると、宇門博士からこの情報が広まってしまうことはないのでしょうか?」
「その可能性もまず無いな。その図を描いたことさえも、彼はさほど意識していない筈だ」
ジャパニウムに関する発表をしてから、兜研究室では、他の研究グループから関連論文が出てくるかどうか、調査[[サーベイ]]を行っていた。天文・宇宙論分野からは、関係しそうな報告は皆無であった。この分野の関心は、より根源的な粒子を求める高エネルギー実験や、重力と強弱電磁の力をどう統一すればいいのかということにあり、個別の原子核反応などは誰も相手にしていなかった。
「さて、どうするかね?」
「計算できないのだとしたら、実験してみるしかありません。最初にするべきことは剣造博士の追試だと思います。今度は最初から爆発に備えてやってみます」
一月半ほどかけて、弓は剣造の作った反応炉を再現した。ただし、今度はわざとに壊れやすい場所をあらかじめ作っておいた。さらにそれを、コンクリートの耐爆容器の中に入れた。追試で反応炉はまたしても壊れたが、吸収体として入れた合金用ジャパニウムが燃料用ジャパニウムに転換することが確認できた。剣造の引き起こした爆発事故は、反応を押さえるために炉の中に入れた合金用ジャパニウムが、最も効率よく光を吸収する場所に置かれて一度に燃料用ジャパニウムに変わったため、急激に連鎖反応起きたことが原因であるとはっきりした。
もともと埋蔵量の少ない燃料用ジャパニウムを増やすことができるのだから、この発見は朗報ではあった。「兜剣造博士の死を無駄にするな」をスローガンに、弓と三博士が中心となって、光粒子増殖炉の開発を開始した。
● PHASE 14 光子力研究所
兜剣造の死から約一年後に、光子力研究所は落成した。一九六三年であった。落成の直前に、弓は教授に昇任していた。新研究所の運営は、兜十蔵が初代所長に、弓が副所長となり、三博士がそれぞれ異なった開発部門の長となるという体制であった。人事はほとんど十蔵の一存で決められた。
落成式に続いて行われた記者会見で、十蔵は、超合金Zと光子力について正式に発表した。分厚い特殊合金を簡単に破壊する光子力と、光を発して輝く超合金Zのデモンストレーションに、記者団は驚嘆し、それが原子力とは異なりクリーンなエネルギー源であると説明されると歓声が上がった。弓は、十蔵の横に立ち、記者達の質問に答えた。
取材が終わった後、十蔵は、研究所全体の動力を制御するコントロールルームに向かった。太陽炉も原子力発電所も全てが順調に動いていた。
「組織としても整ったし、設備としても申し分ないな」
「ええ。これも先生のお力です」
弓はそう言いつつ、制御室を見回した。
「めでたい日なのに、何を浮かない顔をしている?」
十蔵に言われて、弓は我に返った。
「---いえ、本来なら先生の隣に居るべきなのは、私ではなく剣造博士ではなかったかと」
「気にすることはない。第一、君を選んだのは私だ」
「私が今ここに居るのは、私などよりずっと才能がある剣造博士が亡くなられたからではないのですか。だとしたら手放しで喜ぶことなど、私にはとてもできません。むしろ恥じます」
「いや、君が適任だ。光子力とジャパニウムの超合金を主にロボットの開発だけに使うのなら、私の息子の方が適任だっただろう。だが、この研究所のミッションは、もうそれだけではないからな」
「どういう事ですか」
「エネルギー問題の解決を目指すのが、我々の研究室の主要なテーマだったな。この研究所の総発電量を考えてみたまえ」
計画の段階から、光子力研究所は、その規模に比べて不釣り合いなエネルギーを確保していた。実験目的とはいえ、太陽炉で駆動する光子力反応炉は効率が良い分、大型の火力発電所をゆうに超える電力を供給できる。その上、地下に原子力発電所を抱えていた。光子力によるエネルギーが開発中なのでバックアップが必要だし、ジャパニウム精錬のために十分な電力を確保しなければならないといって余裕を持たせる方向で仕様を決めていたが、いざ運転に入ってみると、余ってしまうエネルギーが莫大過ぎる。
「確かに、普通に光子力の研究やジャパニウムの精錬をしているだけでは、動力系の半分以上が遊んでいる状態になります。落成してから言うのも何ですが、まさかどこかで見積もりを誤ったのでは……」
おずおずと弓は切り出した。
「いや、最初から狙い通りだ。これでいいんだよ。光子力の研究を掲げて進むのは勿論だが、かといって原子力の研究を捨てるわけではない」
「だからわざわざ原子炉を……」
「それだけではない。光子力反応炉の効率を上げるのと並行し、余剰電力を使って核融合の研究を行うのだ。トカマク程度はまとめて数台、余裕で動かせるだけの場所も動力もある」
「何ですって?さっき、クリーンで効率のよいエネルギーだと記者の前で宣伝したばかりではないですか」
「別に嘘はついておらんよ」
十蔵は笑った。
「光子力はエネルギー問題を一気に解決できる力を持っている筈です」
「原理的にはな」
十蔵はコントロールルームの扉を開けて歩き出した。弓は後を追った。地下の採掘場へと続くエレベータが一階で止まっていたので、待ち時間無しに乗り込んだ。
「問題はジャパニウムの埋蔵量だ。光子力を駆使して、日本のエネルギーを二十年支えろと言われれば、まあできないこともないだろう。だが、それで世界を救うことはできんよ」
エレベータが地下最深部で止まり、十蔵は扉を開けて出た。掘削用の機械が何台か備え付けてあった。
「これまでのところ、富士山裾野附近からしかジャパニウムは見つかっていない。これを使い尽くせば、新しい鉱脈を発見しない限り先はない。かといって、石炭や石油にも問題はあるからな」
「そのうち枯渇してしまうということですか」
石油危機が何度か話題になり、原油の価格が上がることも経験していた。
「枯渇ならまだいい。我々はエネルギー確保のために石炭や石油を掘り出して使ったから、地球上の炭素の分布と循環を大幅に乱してしまっている。その乱れは、おそらく、地球が自然に調節できる範囲を超えている。我々はまだこの地球を理解しつくしたわけではない。正直、この先、何がおきるか私にも分からんよ」
「確かに、公害はあちこちで問題になっています。しかし、風力や水力だってあるじゃないですか。新しく燃料になる材料を植物から得てもいいはずです」
「公害はせいぜい一地方の問題だが、我々が将来直面するのは、地球規模の環境の激変だ。第一、風力は火力と併用しないと安定運用できないし、水力で何とかなるのは地球上のごく一部に過ぎん。かといって燃料確保のために新たに植物を育てれば、その分だけ農地を確保しなければならん。さらに環境が破壊されてしまうぞ」
弓は、十蔵の次の言葉を待った。
「環境を破壊せずに効率よく世界中で使えるだけのエネルギーを得るには、やはり核融合[[フユージヨン]]しかない。我々が目指すのは、光子力をスターターにして核融合炉を動かすことだ。これができれば、世界が救われる。ジャパニウムと違って、水素は地球上の至る所にあるし、宇宙を見渡しても最も存在量が多いからな。核分裂[[フイツシヨン]]の原子炉は、まあ一時的なものだと考えている」
核に対する国民のアレルギーが大きかった反動で、光子力の研究拠点を作ることが認められたにも関わらず、十蔵の言葉はその期待を裏切る内容であった。
「光子力は、核融合炉の開発が遅れたときの生命線になり、さらに最初に火をともす役割をするはずだ。君には地質調査をやってもらった。別に地質学者になってくれることを期待したつもりはないが、学ぶものもあっただろう。今の標準的[[スタンダード]]な考え方を」
「グローバル・テクトニクス……それから地球惑星系の全体について」
「そう。地球上の物質とエネルギーの循環について考えることになったはずだ。それならわかるな?この先、君はこの世界を……地球を見ながら研究を進めるのだ。むろん、君一人だけでできることではない。材料開発、反応炉の開発、動かすためのロボット工学や制御工学、そしてこの地球を理解するための気象学や地質学といったものをバランス良く進めていくことになる」
「……はい」
「この研究所は、単に光子力の研究拠点に止まらず、いずれ、世界を救う最後の砦になるだろう。国民の核アレルギーなど、時間が解決する。それまでに研究が潰されるようなことがあってはならん。だから、徹底的に平和利用を掲げておかなければならないのだ。年齢からいって、私が先に此処を去ることになるが、私の後を継いで、研究を進めて欲しい」
もともと軍属だったことを突っ込まれないために、三博士は研究所の行政面で表には出ない立場に居た。平和利用の宣伝に差し障る可能性があるからだった。
「私には、ヘルの才能も無いし、剣造博士に代わる力もない。私は結局どちらにもなれなかった。せめてどちらかになれていれば、心おきなくあなたを継ぐと言えたものを……」
「弓君、そろそろ自分の才能に気付いたらどうだ?研究所にさまざまな人材を集めて動かしていくには、君は不可欠な人材なんだ……。単独で大きなブレイクスルーをする研究者は確かに目立つ……私も、それから私の息子もそのタイプだった。だが、それだけで物事が進むわけじゃない」
「力の及ぶ限り、やれるだけのことをします」
後戻りはできない。弓はこの先の人生を、光子力の平和利用に捧げると誓ったのだった。